※当記事は、取材に際して感染対策を十分に配慮した上でおこなっています。
食べるだけで多幸感に包まれる「むじなそば」
板橋区の仲宿にある「そば谷」のむじなそば(400円)は、スッキリした味に炊かれたきつねと、粗削り節がふんだんに使われていて旨みの強いガッシリしたタイプのツユがよく合う。
▲むじなそば(400円)
これに天ぷら素材の切れ端が混じったたぬきがツユの旨みをブースト。それらを立ち食いそば通の間で評判の良い興和物産のゆで麺がしっかりとまとい、ひと口すすれば、口中に広がるうまさで多幸感に包まれること間違いないだろう。
さて、この「むじなそば」「そば谷」という言葉に、聞き覚えがある人も多いだろう。「そば谷」とは、東十条で営業していた立ち食いそばの名店。
むじなそばが有名で多くのファンがいたのだが、店主の年齢的な問題もあり、2014年2月、惜しまれながら45年の歴史の幕を閉じた。
その東十条の「そば谷」の店名と味を受け継ぎ、2020年2月にオープンしたのが、この仲宿の「そば谷」だ。
オープン時は「あのそば谷の復活!」と、一部のファンの間で話題になったのだ。
お店の常連客だった2人が「そば谷」を復活させた
新しい「そば谷」を始めたのは、オーナーの斉藤さんと店長の二階堂さん(写真は二階堂さん)。
実はこの2人、十条に生まれ育ち、学生の頃から東十条「そば谷」の常連で、店主にもよくかわいがってもらっていたとのこと。
そんな2人は社会人になっても頻繁に会う関係だったのだが、あるとき、「そば谷」を復活させたいという話が持ち上がった。
2人はもともと大の立ち食いそば好き。
斉藤さんは会社の経営者であり、二階堂さんもお笑い芸人を経てサラリーマンとして働いていたが、日本の立ち食いそば文化を継承するべく一念発起。
「そば谷」店主に話をしたところ、最初は驚いたものの快く了承してもらい、見事に「そば谷」復活となったのだ。
2人は店名だけでなく、味もしっかりと受け継いでいる。
東十条時代と同じそば、同じ削り節を使い、作り方を前店主に習って「そば谷」のオールドスタイルな味わいを見事に再現した。
受け継いだのは店名と味だけではなかった。
東十条時代の「そば谷」は19時から翌昼過ぎまで営業していたのだが、仲宿でも当初は夕方からの営業としていた。
しかし、これは東十条時代の営業スタイルにただ寄せただけではない。
深夜でも働くドライバーさんたちのために
東十条の「そば谷」は駅に近い繁華街にあったが、仲宿の「そば谷」は都営三田線板橋区役所前駅からは離れた国道17号線沿いにある、いわゆるロードサイド店だ。
立地が大きく違うのだが、これにはちゃんと理由がある。
斉藤さんは本業(現在もそば谷と並行して続けている)で、車に乗って外回りをすることが多いのだが、深夜になると食事のできる店が少ないのが不満だった。
自分と同じように感じているドライバーさんは多いはずと考え、新「そば谷」はロードサイドで深夜営業の店で始めることに決めたのだ。
同じような営業時間ではあったが、もともとの発想は違っていたのである。
ちなみに現在はコロナ禍への対応もあり、深夜営業はしていない。
▲ゲソ天そば(430円)
同じところ、変えたところ、それぞれいろいろとある「そば谷」だが、メニューも天ぷらに関してはちょっと違う。
東十条にはなかったゲソ天そば(430円)など、新しいものを取り入れている。
場所が違えば客層も違う。
東十条時代は飲み帰りのお客さんが多かったが、現在はドライバーさんがメイン。
そのこともあってか、ジャンボゲソそば(480円)や五目かき揚げそば(480円)など、ボリュームのある天ぷらがある。
▲五目かき揚げそば(480円)
ゲソ天そばは、立ち食いそば好きであちこちの店を研究している斉藤さんと二階堂さんらしく、日暮里の名店「一由そば」のようにゲソがぎっしり。
プリッとした歯ごたえで旨みもしっかり残っていて、かなりレベルが高い。
イカ、玉ねぎ、春菊にニンジン、花咲ガニのカニカマが入った五目天は、紅一点のカニカマがいい仕事をしている。
これは千歳船橋の名店「八兆」を意識したのかな、と思ったが、確認するのを忘れてしまった。
立ち食いそばに対する深い知識と愛情が注ぎ込まれた店
ともかく、「そば谷」を復活させただけあって、メニューにも立ち食いそばに対する深い知識と愛情が、しっかり注ぎ込まれているのだ。
それもあってか開店以来、お客さんもじわじわと増え、常連さんが足繁く通う、仲宿の名物店となっている。
最後に、あまり気が進まなかったのだが、コロナ禍の影響を二階堂さんに聞いてみた。
考えてみれば「そば谷」がオープンしたのは2020年の2月。
オープンして1カ月後にはコロナの感染者が急増し、今も多くの飲食店が苦しんでいるコロナ不況がやってくる最悪と言っていいタイミングだったのだが、意外にも影響はほとんど受けていないのだという。
その理由は「そば谷」の営業形態にある。
まず、ロードサイド店であるためお客さんが減らなかったこと。
都心部はリモートワークの普及でお客さんの数自体が減ってしまったのだが、「そば谷」のメイン客層であるドライバーさんにリモートワークは無縁なのだ。
そして、「密」を避けられる営業形態であること。
立ち食いそばは基本的に滞在時間が短く、ワイワイと話す場でもないため、ドアを開けていれば「密」を避けることができる。
また、ロードサイド店であるため集中して混むことがなく、これまた「密」を避けられる。
さらに、仲宿という都心から離れた立地も、コロナ禍の影響を受けにくかった理由のひとつだろう。不況のなか、さまざまな模索をしている飲食店は多い思うが、この「そば谷」のやり方には、多くのヒントが隠されているように思える。
コロナ禍での立ち食いそばの新店。
ただでさえ応援したくなるのだが、始めた経緯、そしてなにより出しているそばが素晴らしい。
駅から少し歩くが、ぜひ一度、食べに行ってほしい。
お店情報
そば谷
住所:東京都板橋区仲宿53-1
電話番号:03-5944-1289
営業時間:月曜日~土曜日5:00~ラストオーダー9:00、11:00~ラストオーダー22:00
定休日:日曜日
書いた人:本橋隆司
フリーランスの編集、ライターとしてウェブや雑誌などで仕事中。近著は『東京立ち食いそばジャーニー』『立ち食いそば大図鑑』(ともにスタンダーズプレス)そばであればだいたい好き。
- サイト:立ち食いそば図鑑の中の人のサイト
- Facebook:東京ソバット団
撮った人:安藤青太
カメラマン、書籍制作。グラビア系から食べ物系まで何でも撮るカメラマン。本橋とは『立ち食いそば図鑑 東京編』『立ち食いそば図鑑 ディープ東京編』を制作。その他『檀蜜DVD色情遊戯2』『相撲部屋の幸せな猫たち』『東京の、すごい旅館』など。好きな立ち食いそばはコロッケそば。