地元で評判の店。駅から離れてポツンと立つ小さなやきとん屋さん
地元で友だちと「飲もう」となったとき、十中八九第一候補に挙がる店がある。
駅周辺の繁華街から外れた小さな店にもかかわらず、そこに惹きつけられる人は多く、平日も沢山のお客さんで賑わうやきとん屋さん。
一度足を運べば、その美味しさと居心地のよさで「また行こう」とならざるを得ないワンダーな世界。
そんな「やきとん なつ屋」の美味さと居心地のよさには、聞けば首がもげんばかりにうなずける開店までの物語がありました。
「おとうさんの笑顔が見たい」父娘の強い愛から生まれた名店
でっかい。ぷりぷりでジューシーで、食べ応え抜群のやきとん。
これが食べたくて通ってしまう。
焼き場に立つのはなつ屋の店主、林田夏美さんと夫の大輔さん。
毎日、朝絞めのモツを仕入れて店でさばき、串を打ち、備長炭でじっくりと焼き上げます。
夏美さん:やっぱり「肉を食べてる!」という満足感がほしいので、大ぶりの串にしています。焼きたての一番おいしいときに食べてほしいので、注文が入ってから焼いています。
ぷりぷりかつ柔らかいやきとんを口いっぱいに頬張れる幸せよ……!
「なつ屋」の店名の由来は、店主の夏美さんの名前から。
開店も2016年の7月2日と「なつ」だったりします。夫婦でやっている店ながらも「夏美さんメイン」な背景には、父娘の物語がありました。
突然のガン宣告。父の居酒屋開業の夢に「待った」がかかった
夏美さんのお父さんは、男手ひとつで夏美さん、お兄さん、妹さんの3人を育てていました。
子ども達が成人するまでサラリーマンとして家計を支えながら、また同時に「いつか自分の店を持ちたい」という夢を育ててもいました。
50歳になったお父さんは満を持して脱サラし、新橋のやきとん店で修行を兼ねて働き出します。そしていよいよ独立へ──というタイミングで、肺にガンが見つかってしまいます。
幸い手術は成功しましたが、自分の店を持って独立するという夢には待ったがかかりました。
それでもお父さんは、「5年後の検査をクリアできたら店を出そう」と、あきらめてはいませんでした。
人と接する仕事が好きな夏美さんも、父が店を出した折には一緒にやっていこうと心に決めていました。
ところがその5年後、開業が視野に入ってきたころに、再発。
すでに末期の状態でした。お父さんは夏美さんを喫茶店に呼び出して打ち明け、「ごめんね」と謝り、泣きました。
大好きなお父さんですから、それは夏美さんも涙が止まりませんでした。
お父さんは、夢を追い始めた時期が遅すぎたことを悔いていました。
やりたいことがあったら、早く始めた方がいい。もう自分には店を開くことができないが、「おまえがやってみたらどうだ?」とお父さんは言いました。
夏美さんは、その言葉で心を決めたそうです。
ちなみ夏美さんは、なんと三男一女という4人の子どものお母さんです。
お父さんから告白された時点で長男は高校生で、末っ子は小学校低学年。
育児真っ盛りのなか、夫の大輔さんは生活のためにサラリーマン生活を維持し、夏美さんが修行に出ることにしました。
平日の昼間は大輔さんと同じ会社で事務のパート、夕方5時からはお父さんが修行で通っていた新橋のやきとん店に修行へ行きます(ふじみ野駅から新橋駅は、電車で約1時間かかります)。
終電ぎりぎりまで働いて、翌朝はまた家事育児とパート、そして修行に出かけていく毎日。土曜日は休みますが、日曜日は朝から晩まで中野にある別のやきとんの店で修行です。
そんな大変な日々の中、体力が限界ギリギリでもがんばることができたのは、お父さんもがんばって病気と闘っていたから。
そして「今日は店でこんなことがあってね」と話すと、喜んで元気になってくれたから。
お父さんは、夏美さんが2年の修行をもうすぐ終えるという時に帰らぬ人になりました。
夏美さんの悲しみは深く、店の開業を止めてしまおうかとも考えたそう。けれど中野の修行先の師匠はそんな夏美さんに、「じゃあ今日もがんばろうか」といつもと変わらず声をかけてくれました。
その言葉と態度に背中を押されるように、残りの修業期間を歩み続けられたのだそうです。
今はなつ屋の焼き台の横に飾られているお父さんの写真。
「一緒に焼き台に立っているような気持ちです」と夏美さん。この写真が、やきとんを焼く最後のお父さんの姿となりました。
お父さんが導いてくれた物件
お父さんが存命の頃から探し始めていた開業のための物件。
その道のりは容易なものではありませんでした。はじめは自宅のあるふじみ野駅から沿線沿いの駅近物件を探していましたが、夏美さんが女性であるせいか、若さのせいかツテがないからかなのか、不動産屋から「開業? ムリムリ」と相手にされなかったそうです。
お父さんが亡くなってから数ヵ月したとある休日。
娘さんと近所を散歩していると、スナックが閉店したままになっている小さな物件が目に入りました。周囲からは「あのあたりは何もないし、駅からも離れているし、やめた方がいい」と言われましたが、お父さんは生前、「立地は駅前にこだわらずに、自宅の近くで駅寄りくらいでいいんじゃない」と話していました。
そのアドバイスを信じ、オーナーを探して連絡してみた夏美さん。
これが大当たりで、これまで足蹴にされてきた不動産業者とは天と地の差の優しいオーナーさんでした。物件を押さえてから開店するまでの数ヵ月、なんと賃料を取らずに改装作業をさせてくれたのでした。
「好きに改装していいよ。退去するときも戻さなくていいよ」と海のように広い心でサポート。これがどれだけ心強かったか。
改装は、インテリア好きの友人があれこれとアドバイスをくれて家庭的な雰囲気に。
物置スペースを取り払って小上がりをつくることもできました。
その友人が可愛い棚やらカーテンやらをどんどん設えてくれて、すっかり温かみのあるおしゃれな雰囲気に。
入口のドアは、お父さんが使っていた杖が持ち手になっています。お客さんやスタッフが必ず触れる場所に、お父さんの最後まで使っていた杖。
夏美さんが一緒に選んだ、思い出深い杖です。
夏美さん:開店当初は子どもたちがやっていた少年野球でつながった友だち家族が来てくれました。そこから口コミで広がって、お客さんが増えた感じですね。
──入れなかったら嫌だから、私は必ず予約してから来ていますもん。ところで大輔さんはいつからなつ屋に本腰を入れたんですか?
大輔さん:開店してみたら、早朝の仕入れから夜中まで本当に忙しくて、会社が終わってから手伝うなんて全然間に合わないとわかったんです。25年勤めた会社を「えいやっ」と退職して、朝の仕入れを担当するようになりました。妻から焼きを学んで、今は夫婦で回しています。
夏美さん:最初は夜中に会計を締めながら、夫婦で爆睡しちゃって気づいたら朝なんてこともありましたね……。
とりあえず目の前が楽園なので、いただきながら聞きますよ。
基本の「おまかせ5本串盛」715円。
奥は塩でカシラとタン、手前はタレでレバー、ハツ、シロ。ぷりぷり、こりこり、かつジューシーで柔らかく口いっぱいに旨味が広がります。
手前は「あみレバー」209円、向こうは「ピーマンチーズ」308円。
うまみたっぷりの網脂に包まれたぷりぷりのレバー。臭みはまったくなくしっとりしていて、レバーが苦手な人でも「これなら食べられる」と言います。
噛み締めると中からとろ~りとチーズがあふれ、ピーマンのさわやかさと絶妙なハーモニーを奏でます。私もこの店に来たら絶対に頼む逸品です。
「牛モツ煮込み豆腐入り」(528円)も店の評判の品。
豆腐に味がしみこんで、モツはとろとろ。これを食べずには帰れませんや。
夏美さん:中野の師匠に教わったタレを継ぎ足してずっと使い続けています。下処理の段階を除いても6時間以上は煮込んでますね。
なるほど、トロトロなわけです。
それにしても、こんなにボリューミーなのに安い。会計する時に「え、それだけでいいの?」と毎回思ってしまいます。こっちにしたらコスパが良すぎるのは嬉しいのですが、お店にとっては大変なのではないでしょうか。
夏美さん:まあちょっと苦しいんですけど、お金のきつい若い人にも来てもらいたいので。
優しい! 実は将来、高校野球の寮母になりたいなんていう夢も持つ夏美さん。
少年野球をがんばる三男のために、アスリートフードマイスターの資格も取りました。そんな彼女の優しさに溢れるこの店だから、当然居心地もいいわけです。
──それにしても、この店はなぜこんなに居心地がいいんですかね。女性一人でもまったく気にせずゆっくりできるような気がします。
夏美さん:都内で「女性入店禁止」とか「子ども連れはだめ」なんていう店を見まして。自分は子どものいるお母さんでもあるし、それはなんかいやだなあと感じたんです。
うちは女性でも、ひとり客でも、子ども連れでも、誰でも入りやすい店にしようと決めていました。内装を友だちが考えてくれて、家庭的に作れたのもよかったと思います。
──スタッフさんもいいんですよね。気さくで話しかけやすくて、安心できる距離感で。
夏美さん:実は、うちの次男なんですよ。ほかのスタッフの子も、友だちでいい子がいると、「うちでバイトしない?」と声をかけているんです。求人広告は出してないんですけど、向こうから「ここで働かせてください」と来てくれる子もいます。
なるほど、みんな店や夏美さんの人柄に親しんで集まったスタッフばかりなのでした。納得!
ふと見渡せば、奥に女子会チーム、手前のカウンターにおひとり客、その向こうにカップル。少ししたら中央のテーブルに祖父母両親子ども3人の三世代客が入ってきました。客層のバリエーションも、すごく豊かです。
大切な誰かと来よう
写真の左はなつみさんの修業時代は家事育児をがんばり、毎晩終電で帰る夏美さんを駅まで迎えに行っていたという頼れる夫・大輔さん。
右はいつの間にか母が店を出していて驚いたという次男の光輝さんです。人と話すのが好きなので、この店で働くことが楽しいのだそう。
「前からパワフルで何かしでかしそうな母さんだなあと思ってはおりました」と光輝さん。
今では夏美さんを支え、家族三人で店を切り盛りしています。
いつも明るい笑い声で満ちた店内、ジューシーなやきとん。
週3で通ってくれるお客さんのために、日替わりで「本日のおすすめ」を出しているから飽きが来ない。
お酒の種類も豊富で3ヵ所の問屋さんからおすすめされるおいしい日本酒から、スパークリングワインや果実酒などあれやこれやと楽しめる。
また来よう。大切な友だちと来よう。女子会でも来よう。家族でも来よう。
地元にそんな場所をつくってくれた夏美さんに、ありがとう!
店舗情報
やきとん なつ屋
住所:埼玉県ふじみ野市苗間372-10
電話:049-267-4411
営業時間:火曜日~土曜日17:00~23:00 (料理L.O. 22:00 ドリンクL.O. 22:30)、日曜日・祝日: 17:00~22:00 (料理L.O. 21:00 ドリンクL.O. 21:30)
定休日:月曜日
書いた人:矢島史
食うこと飲むことでメンタルをやりくりしているライター。収納やライフスタイルなど暮らし系の書籍の執筆協力、広告・クリエイティブ系の方々のインタビューなど。4コママンガも描くんだけど、今はPTAの仕事が大変でお休み中。脳みそがあっちこっちに飛んで落ち着きのない四十路。
- ホームページ:矢島史
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