東京やその周辺の千葉や神奈川で、何やら西部劇にでも出てきそうなウエスタンスタイルのステーキハウスを目撃したことはないだろうか?
高度経済成長期といわれる昭和30年代から成熟期に入った昭和40年代にかけ、幹線道路を中心に、マイカーを持つ家族が増加。そこから車で来るファミリー層をターゲットとしたファミレスやドライブインがアチコチに出来ていった。
そうした中、丸太小屋のような外観で異彩を放っていたのが、昭和52年創業の「ビリー・ザ・キッド」である。
▲東武亀戸線小村井駅近くの明治通り沿い(東京都墨田区)にある墨田本店
時代が平成に入ると、当時都内にあったロードサイド文化は衰退したが、現在もビリー・ザ・キッドは22店舗も営業を続けている。
こうした状況はいかにして生まれ、維持されているのだろうか。
これについて、自分と同じような疑問を持つ人物がもう1人いた。当『メシ通』の連載「ニッポン偉ZIN伝」でハンバーグのミニコミ誌を作る測量士として登場した五島鉄平さんだ。
五島さんは『マツコの知らない世界』(TBS系列)をはじめ数々のメディアに出演。ハンバーグの魅力を世に伝える伝道師として登場しているが、町場の大衆食堂や洋食店、ローカルチェーンをこよなく愛しており、筆者が町中華のしっとりチャーハンを提唱した際も同調してくださった。
個人経営の飲食店が店主の高齢化と建物の老朽化の問題を抱える一方、ローカルチェーンや町中華ブームに見られるように、個人店や地域性に特化したお店のよさが再び見直されてきている。
今回は五島さんに同行頂き、ビリー・ザ・キッド社長の幡野秀喜氏に話を伺いながら、長年続くステーキハウスチェーンの魅力に迫っていきたい。
▲幡野社長(左)と五島さんはスグに意気投合。和やかに取材がスタートした
「大衆ステーキ」というジャンル
──幡野社長、今日はお願いします。さっそくですが、ビリー・ザ・キッドの創業についてお聞かせ願えますか。
幡野社長(以下、敬称略):1977年の7月7日に始めたんだわ。ボクが育ったのが七夕祭りの有名な宮城県で、営業をいつからするかって時にその年がたまたま1977年だし、こじつけたってわけ。
──創業当時からウエスタンスタイルの店舗ですよね。
幡野:そうです。立地は三角の変な地形のところに建ってるし、お金もない状態で始めたもんだから、自分で板を打ち付けたりして内装をやったの。ステーキっていうと当時はまだ気取ったイメージがあったんでね、ウチはそうじゃなくて「大衆ステーキ」にしようと思ったわけ。作業着のお客さんでも気軽に入れるようにってことで、椅子なんかもコーヒー豆の麻袋を巻いたりして作ったんだよ。そうしたら、その辺で工事してる作業員の方なんかもお店に来てくださってね。
▲馬車の車輪などウエスタンな雰囲気で満ちた店内
──ここに同席している五島さんがまさにそうですね(笑)。
五島:作業着でも入れるのはありがたいですよ。カフェなんか腰が引けて入れないですから(笑)。
幡野:大衆ステーキってネーミングはボクが始めたことなんだよ。
──その頃は他に大衆的なステーキハウスというものはなかったんですか?
幡野:下町はなかったね。
▲皿いっぱいのビッグサイズ、これぞ大衆ステーキ! キッド・ステーキセットは200gでライス・サラダ・食後の珈琲もついて1,780円。400gのテキサス・ステーキセット2,890円は皿からはみ出るほど
──この小村井の明治通り沿いにされた縁があったのでしょうか?
幡野:ボクはね、ここから近くの新小岩で大衆食堂をやってましたから。ちょうど200海里水域制限で騒ぎ出した頃で、これから魚も高くなるなぁと思って、肉一本にしようと。当時の若い人はみんなお肉好きでね。スーパーさんが出来てきたらもう魚屋も豆腐屋もどんどんなくなっていって。
──コンビニが出てくるか出てこないかの時期でしたよね。
幡野:そうですね。昔はウチのお店も元旦くらいしか休まなかったら、もうスゴかったんだ、列を作って並んでまでお客さんが食べに来てくれて。
五島:あぁ、当時は正月は他にやってるお店なかったから!
幡野:今はコンビニさんが24時間年中無休でやってるからね。あの頃はインスタントラーメンでも買って、お金のないやつは正月はそれで過ごすんだなんて言ってた時代に、ウチらは元旦しか休まないもんだから、若い人は餅だとか食い飽きてるからワーっと押し寄せてきたよ。
大きいことはいいことだ
──小さい頃に、父の運転するマイカーでお店の前を通った記憶があるんですよ。ウエスタン調の外観に惹かれて、子供心ながらワクワクしたのを覚えてます。
幡野:住んでるところから、テンガロンハット被ってウエスタンブーツ履いて自転車で毎日通勤してたんだけど、「あぁ、カウボーイのおじさん!」って子供らがついてくるんだよ(笑)。
五島:それは絶対子供の間で話題になりますよ!
幡野:まぁ宣伝にもなるし、いいかって。
──テレビや映画でアメリカの西部劇やウエスタン仕立ての作品をよく見かけるようになり、日本人にもすっかり馴染みがあったんでしょうね。またそういうドラマの中でも、日本人が見たことないようなジャンボサイズのステーキとか出てくるじゃないですか。デカイ肉への憧れも大きかったのかなぁと。
幡野:ウチはオープンのときからハンバーグは500gとこんなデカイのでやってるんだ。
五島:ええっ、徐々に大きくなったのかと思ってました。
幡野:もう40年以上ずっと。わらじハンバーグとか言われたけど。
▲これが500gのジャンボ・ハンバーグセット(1,300円)
▲厨房で調理風景を見せて頂いた
▲500gのパテは大迫力!
▲色良く焦げ目のついたところでひっくり返す
▲中まで火が通ったところでソースをかけて五島さんの目の前へ。なんとも嬉しそうな表情!
▲ハンバーグにフォークを入れていくと……
▲ドバドバと流れ出る肉汁!!
▲ハンバーグの中はミチミチに詰まって食べごたえ抜群。肉の甘みある旨さが口中にブワ~っと溢れ出す
五島:見た目の印象と違って、味はあっさりしているので食べやすいです。
幡野:脂分など余計なものが挽肉に入ってないから。女性のお客さんだと2人でシェアしたりしてね。もう少し小さくして安くしたら? という人もいたけど、ダメダメ! って。でも最近の人は食べなくなっちゃったな。
五島:しつこいと途中からキツくなりますからね。
幡野:それとタネを作る時に香辛料を最小限に抑えてるんです。ハンバーグでも普通はクズ肉(商品価値が低いとされる畜肉)のところもあるでしょうけど、ウチは材料はブロックで仕入れて挽いてますから、ムラがないんだよね。
チルド肉にこだわり続ける理由
──当時は牛肉を調達するのは難しかったと思うのですが、仕入れはどうされたんですか?
幡野:その頃は牛肉がどこにあるのかもわからなかった。当時は沖縄から横流しした安いものもあったけど、そういうのは牧草のニオイがして独特の臭みがあってね。なんとかいいものを見つけたとしてもほとんど冷凍。ウチが出してるのはチルド(0℃程度の冷蔵)ビーフだから。ちょっと見てみるかい?
▲真空パックされた生肉のブロック
▲持ってみるとズッシリ重い。どれだけのサイズ感か、おわかりだろうか
幡野:当時チルドといっても日本に輸入されて3〜4カ月で臭みが出てきてダメになっちゃう。ちゃんとさばけるところじゃないと、やっぱり冷凍使っちゃうんだよね。どんどん熟成が進んじゃって、ハンバーグには向かなくなる。でもウチはそれはやりたくなかった。だから自分で全部、仕入れからハンバーグ作りから独自にルートを開拓していったわけ。
五島:ところで社長、ボク毎回「メキスープ」頼むんですけど、最初からあるメニューなんですか?
▲メキシカンな激辛のメキスープ!(550円)
▲中にはゴロゴロと牛肉も入っていて満足度が高い
幡野:はい。昨日も店に来て仕込んだんだけど、これ、全部ボクがつくってんの。
五島:社長お手製とは驚きです。支店のどの店舗にもあるんですか?
幡野:出してるお店はウチから持っていってるし、こんなの辛くて出したくねぇっていうお店は出さない(笑)。
下町の繁盛店からチェーン展開へ
五島:現在、ホームページには23店舗で展開中となってましたが。
幡野:正確には22店舗。亀有店が入っていたビルが建て直すんで1店舗減ってるんだ。
五島:社長、あの土地を測量したの自分です。まさか自分の職業である測量でビリー・ザ・キッドさんと関われるとは。
▲思わぬところでビリー・ザ・キッドと関係していて身を乗り出す五島さん
──すごい巡り合わせですね(笑)。初めからチェーン展開をするつもりだったんですか?
幡野:そうじゃないんだよ。最初はお客さん来なかったんだけど、1~2年すると並ぶくらい来るようになったんで、新小岩の食堂もステーキ店に変えちゃえって。
五島:その頃はまだ食堂もされてたんですか!?
幡野:そう、うちの女房がね。そしたらボクの商売がよっぽど楽に見えるのか、やりたいやりたいと出店志願者が押し寄せてきてね。だったらフランチャイズじゃなくて、まずはのれん分けで3〜4年間がんばってもらって、真面目に修行できたら独立できるシステムにしたの。
五島:なるほど。では、東京・東陽町のお店の方もどこかで修行されたんですか?
幡野:それがね、そういう主旨でやってたんだけど、オーナーは俳優さんでしょ?
──ええ、ヒーローモノで有名な倉田てつをさん!
幡野:そのお母さんとオレが知り合いなの。てっちゃん(倉田さん)はちっちゃい時からウチに来てて、高校卒業した時に、てっちゃんが東映受かったのよってお母さんが話してきて。ちょっと光るものがあったみたいで、与えられた役どころがヒーローモノね。
五島:へぇ!
幡野:その後も俳優ずっとやってたんだけど、いろんな経緯があって、本人にウチのお店の仕事をやってもらうようになって。見かけより大変なんだよって念を押した上でね。
ステーキを焼くと人間が出る
幡野:肉の焼き方ってのはね、ステーキ1つとっても、3人が焼いたら3人とも微妙に違うものになるもんなの。
五島:その感じ、すごくわかります。
▲人によって違いが出るというステーキ。焼く工程も見せて頂いた
▲ステーキを焼きながら同時に器となる鉄板も温める。この段階でコーンとインゲンも乗せている
▲焼き加減はミディアムレア。香ばしそうな焼き目がついたところで鉄板に乗せ、またたく間に客席へ
▲ステーキはいたずらに厚くなく、サラッと食べられる。この厚みがかえって、牛肉らしい肉肉しくもジューシーな味わいを1カットごとにしっかり噛み締められるのだ
──「ただ焼くだけ」に見えて、そのじつ奥が深い。
幡野:たとえばウエルダンが好きな人が焼くと、レアは火が入りすぎちゃうんですよ。焼き方でその人が出ちゃう。
──なるほど。下味については、ハンバーグにせよ、ステーキにせよ、全般的にシンプルな味付けですよね。
幡野:ステーキもね、自分の好みで塩だけで食べる人もいれば、他にいろんな人がいていいわけで、ボクなんかはマスタードとかあれこれかけて、ゴテゴテにして食べるのが好きでさ。
──それで、卓上にたくさん調味料が置いてあるわけですね。
▲卓上にズラリと並ぶ調味料。これも社長の英断なのか
幡野:醤油からソースから、大きいからちょっとずつ味を変えて食べるんだってお客さんいますよ。
五島:ハンバーグのソースは最初から今の味だったんですか?
幡野:最初はウチで作ってたんだけど、後から業者に試作を重ねて特注で作ってもらってるんだわ。
五島:基本はやはり社長の味付けでしたか。洋食屋さんのデミグラスソースと違って、ステーキハウスのハンバーグソースで、すごく食べやすいですよ。
外食産業を支えた「日曜夜のお楽しみ」
▲インタビューに佳境に入り、会話にも熱が籠もり始める幡野社長と、熱い想いをぶつける五島さん
──80年代から90年代初頭くらいのバブル期まで、環七とか幹線道路沿いにステーキハウスが増えましたよね。その時どう思われました?
幡野:昔、ドライブインってのがあったんだよね。ファミリーレストランもそうでしょ?
──ちょうどその時期に街道沿いに増え始めましたよね。
幡野:駅前は車は停めにくいから。むしろ大きな幹線道路沿いのほうがいいというのがお客さんにもお店側にもあったね、家賃も安くて広いし。その頃は一般家庭でも、日曜日とかは自宅で食事じゃなくてね。
五島:日曜夜は外食でしたよね。
──その頃、ウエスタン調の、ビリー・ザ・キッドに似たお店も多かったですよね。
幡野:千葉の方にあったステーキのお店は、ボクの知り合いだったから、ハンバーグ作りを教えに行ったりして。ウエスタン調の店はウチが元みたいなところはあるんじゃないかな。
──ウエスタン調でリードされてきて現在22店舗お店がありますが、以前はもっと多かったんでしょうか?
幡野:一番多い時で24店舗あったんじゃないかな。商売にならなくて辞めるというより、契約満了で辞めてくれとか、再開発で取り壊しになるとか。あなたは建築やってるから分かると思うけど、今は過渡期じゃないかな。
五島:そうですね。
──そんな中でも、こちらはいつ来てもお客さんがいますよね。やはり地元の常連さんやリピーターがほとんどですか?
幡野:特にこういう街道筋だから、地元だけでなく車でよく通る方とかが、パーキングに車停めて食べに来てくれますね。ありがたいですよ。
リピーターが集う秘密は店舗設計にアリ!?
──ビリー・ザ・キッドさんの店舗はどこも、外から中の様子見えないじゃないですか。それでもこれだけリピーターが絶えないというのは、そこが逆に隠れ家っぽいからなのかなと思っていました。照明も暗めですし、入ってしまえばかえって落ち着いて食事ができるのかなって解釈していたんですが。
▲外からは中の様子が伺えない怪しげな入口だが……
▲店内はリラックスモードのお客さんで和気あいあいと活気にあふれている
幡野:ガラス張りのところで見られながら食べるのって、落ち着きます?
五島:あれはかえって落ち着かないですよね。
幡野:でしょう。ウチは設計の段階でもう窓作らないようにしています。
──外食では、外から中が見えるほうがいいみたいに言われますよね。
幡野:そう言ってくる人もいましたよ。でもそれは時代でね、流行り廃りもありますから。
──社長の中で、今後ビリー・ザ・キッドをこうしていきたいという考えはありますか?
幡野:これからはコンビニさんも24時間営業をやめて夜中は店じまいするところも出てくるみたいだから、ウチは3時までは続けていきたいとは思うけど。
五島:ハンバーグが食べられるところで、3時までやってるところってほぼないじゃないですか。
──社長としては、出来る限り今の営業スタイルで続けていきたいと。
幡野:そうですね。
──まだビリー・ザ・キッドに来たことがない方にメッセージを。
幡野:気楽に気取らずにステーキを食べに来て下さい。
──それにつきますね。そういう場所として末永く続けて下さい。この度は誠にありがとうございました。
▲お店の前で看板と陽気にポーズをとる五島さんだが、ハンバーグへの思いは人一倍真剣だ
ローカルに展開するステーキハウスには、ファミレスとは違った面白みや味わいがある。この点については、五島さんも同感だ。
五島:ファミレスで食べるハンバーグとステーキハウスで食べるハンバーグは別物ですよね。用途に合わせて行く店を使い分けてほしいんです。ビリー・ザ・キッドのメニューは味わいはもちろん、あの暗めな店内にこもって、でっかいお肉をほおばる楽しみはファミレスとは全然違う魅力があります。肉自体も違いますから、値段も違って当然。ファミレスのハンバーグが安いから、洋食屋さんやステーキハウスのハンバーグが1400円は高いよってのはチョットやめてもらいたいんです。
皆さんも、ビリー・ザ・キッドのような街のステーキハウスや洋食店を見かけたら、ぜひ立ち寄ってその店ならではの魅力を感じてほしい。お店との出会いが、かけがえのないものになるはずだから。
店舗情報
ビリー・ザ・キッド 墨田本店
住所:東京都墨田区立花5-2-3
電話:03-3618-4300
営業時間:18:00~深夜3:00
定休日:無休
オフィシャルサイト:http://www.billy-the-kid.jp/