【馬場さんと食べたあの夕飯】“絶対王者”元プロレスラー小橋建太さんが語る「レスラーめし」

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日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。

その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。

その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。

プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。

そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。

 

その第一回に登場していただくのは小橋建太さん

全日本プロレス~プロレスリング・ノアに在籍し、周りがレスリングや相撲のエリート出身の選手の中で、その絶え間ない練習と熱い試合で心身を鍛え上げてトップの一角を担い続けました。

新時代を切り開く闘いを繰り広げた全日本時代、“絶対王者” と呼ばれたノア時代と、数々の名勝負を残しましたが、特にタッグを組んでも闘っても故・三沢光晴さんとの縁は深いものがありました。

また2006年には腎臓がんが見つかり、復帰困難と言われるも奇跡のカムバックを果たし、プロレスファンならずともかつてない感動を巻き起こしました。

2013年に現役引退後はプロデュース興行「Fortune Dream」を開催しつつ、がんやさまざまなけがを乗り越えた経験を元に、 “夢の実現” “命の大切さ” などの小橋さんらしい熱い思いとまっすぐなメッセージを、ファンに届け続けています。

 

学生時代、苦しい中で工夫してくれた母の手料理

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小橋さんの現役時代、レスラーとしてファンに強いイメージを与えたものというと、なんといってもその豪腕をはじめとした “筋肉” 。

さぞ食べて鍛えて生まれたであろうことは間違いありませんが、現役時代は食への関心は強い方だったのでしょうか?

 

小橋:いやあ、ぼくはグルメじゃないですよ(笑)。自分からいろんなお店を探して食べに行くってよりも、適当なところに入って、気に入ったら通うって方が多いですね。いまは子どももいるんで、そうなると行けるところも限られてくるんで、あんまり家族で外では食べなくなってたりしますね。周りにご迷惑かけるんで。

 

── では小橋さんの子どもの頃の話からうかがいたいんですが、ご出身は京都の福知山市ですよね。

 

小橋:そうですね。子どもの頃はそんなに裕福な家じゃなかったんです。父親と母親が物心ついた時には別居してて。それで母親と一緒に住んでいたんですけど、実家の方が米を作ってたんですよ。だからしっかり大きくなるように送ってくれたから、米だけは食べてましたね。

 

── 決してぜいたくではないけれども、お腹はお米でしっかりいっぱいに。

 

小橋:とにかくお腹がいっぱいになればいいっていうか、シャレたところに行くってのはなかったですね、子どものころから。京都だからってわけじゃないですけど、漬物だけでもご飯はおいしいですから。

 

── なるほど、京都といえば京漬物。

 

小橋:母も料理は好きなんで、工夫していろいろやってくれてましたね。なんでも創作で作ってくれるんですよ。その中でも……そうですね、クリームシチューとか、卵料理とか。クリームシチューは白くて市販のやつで、じゃがいもとたまねぎ、にんじんが入った普通のやつですけど、頑張って工夫してくれたんでしょうね。今も頭に残ってます。

 

── お母さんの手づくりシチューが一番の思い出なんですね。

 

小橋:でもそんな気軽にあれが食べたい、これが食べたいと選り好みが出来る環境ではなかったし、言えなかったですよ。母親が自分を食べさせるために、一生懸命頑張ってくれるんで、それを見ていると何も言えなかったですね。

 

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── 小橋さんが子どもの頃はお父さんがいらっしゃらなかったということで、お母さんが昼に仕事に行って、帰ってきてからご飯作る、という感じですか?

 

小橋:そうです。ただ、母は夜ご飯作ってまたその晩、皿洗いに行っていたんですよ。福知山の田舎に当時数軒しかなかったファミレスがあったんです。そこで夜中働いて帰ってきて、また朝起きて朝飯作って仕事して、の繰り返しですね。

 

── お母さんすごいですね。子どもを育てるために夜中の仕事まで。

 

小橋:本当ですね。そういう姿を見ていると、あれ食べないとかこれ食べないとか言えないっていうか、残したりすると母親にものすごく申し訳ない。そういう思いはありました。お米とかを無駄にして食べちゃだめだ、ひとつぶひとつぶ食べようと。お皿をなめるじゃないですけど(笑)。

 

── そのお母さんの働いてたファミレスに行きたいって思いはなかったですか?

 

小橋:いやあ、行きたいってのはなかったですね。当時としてはまだファミレスって新しいものってのがあったんですよ、なんせ福知山ですから(笑)。それにお金がかかるから、ってイメージあったので、心配させちゃ悪いと常に思っていましたね。だからファミレスの他でも、外のお店で食べたとかの思い出もぜんぜんないです。別にそのことに対して不満もないですけどね。

 

── その当時、小橋さんはスポーツに励んでたそうですね。

 

小橋:はい。少年野球をやって、中学高校で柔道をやっていました。けっこうのめりこんでやっていたので、「遊びに行きたい」とか言うこともなかったですし、あんまり親に迷惑をかけることはなかったと思います。ただ、ご飯は食べましたね(笑)。食費はかかったと思います。

 

── 柔道部の高校生とか、丼めしでご飯食べてそうなイメージです。

 

小橋:練習でエネルギーを使うので、何杯も食べていたと思います。母親もおかずをいっぱい作ってくれてね。大変だったと思います。高校とか、朝は自主トレもあって本当腹減ってたんで、ふたつくらい弁当持って行ってたんですよ。

 

── 弁当ふたつも!

 

小橋:ひとつはもうほとんどお米だけで、梅干しひとつの日の丸弁当だったんですけどね。本当米だけでも食べられるのはありがたいことだなって思いますね。その頃はわからなかったんですけど。

 

── 今はお子さんもいらっしゃるから、当時の母親のことをまた違った目で見られるんじゃないですか。

 

小橋:そうですね、その頃はわからないんですよね。「食べることが出来るのは当たり前」って思っていたから。ですけど、自分が働くようになって、それが当たり前じゃなかったんだなーって思いますね。本当、余計に親への感謝の思いが強くなりました。

 

新弟子時代の思い出の味はポン酢で食べる豚の水炊き

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柔道に打ち込んだ高校時代を経て、京セラに就職した小橋さん。

しかしプロレスへの思いを断ち切れず、プロレスラーへの道を再び歩むことになります。

もちろん第一志望は大好きなジャイアント馬場さん率いる全日本プロレス。

しかし当時は今と比べて団体も少なく、入団するのも相当な苦労があったそうです。

 

── 小橋さんは一度社会人を経験して、それから憧れの全日本プロレスに入団ですね。でも入団決定まではかなり大変だったらしいですね。

 

小橋:プロレスラーになるという夢をかなえるために、やっぱり身体を作らなきゃいけない、ってことで、まず会社を辞めて2カ月か3カ月体を鍛える期間を作ったんです。その間お金は入らなくなるから、その間暮らすためのお金も貯金して。やっぱり「プロレスラーは大きくないと」っていうのが頭の中にあったんで、とにかく体を大きくしたかったんです。

 

── 今だったらジムやプロテインといった筋肉をつけるためにより良い施設や栄養を取る方法もありますけど、当時の小橋さんのトレーニングは?

 

小橋:もう運動してとにかく食べて睡眠をとって、でしたね。ランニングでは夕日に向かって走ってましたね、必ず(笑)。

 

── その頃から後の異名「熱き青春の握りこぶし」らしさがありますね(笑)。ご飯はやっぱり引き続き米を?

 

小橋:そうですね。特に体を鍛えるために何を食べる、という考えは当時はなかったです。プロテインなんかも当時もあったんだろうけど、まだ一般的には使っていなかったんじゃないかな。タンパク質が筋肉を作るから多く取って、とかそういう知識はわからなかったですね。それで105キロくらいまで大きくして、馬場さんが好きだったんで全日本プロレスに書類送ったんですけど、書類審査の時点でダメだったんです。

 

── そこまで鍛えて!

 

小橋:その頃は、全日本プロレスの方はスカウトで実績ある人間がほしかったんです。アマレスとか相撲とか。僕らみたいな実績のない入団希望の選手は、募集はしてもたぶん馬場さんのところまで話が通っていない。もう事務所の人が落としてるんですね。実績か、誰か紹介してくれる人がいないと。でもそこで諦めたらダメだって思って、今度は120キロまで増量して(笑)。それでなんとか通りました。今思うと体重はあんまり関係なかったんですけどね。練習がハードだったんで入団して、1カ月で90キロくらいまで落ちました(笑)。

 

── ちなみに会社を出て、どこに住んで体を鍛えていたんですか?

 

小橋:京セラの頃は寮だったんですけど、それから体を鍛えるために、その時母親が滋賀県にひとり暮らしをしていたので、そこに住ませてもらいました。でもちゃんと家賃も払って、食費も出して。

 

── そこは一人前になったからしっかりお金も払って。

 

小橋:そうですね、そこはこだわりを持っていましたね。母親が暮らしてる、いわば実家ですけど、息子だからといって居候して甘えちゃいかん! と思っていました。ただ、今当時の写真を見ると、ちょっとぽちゃっとしてて急激に太らせた感じはありましたね(笑)。

 

── でもそれで無事に全日本プロレスに合格したんですよね。

 

小橋:今思うと体格は関係なかったと思うんです。ただずっと後になって、自分が選ぶ立場になった時に「プロレスラーは実績じゃないんだ、本人のやる気があればいくらでも出来るんだ!」ってことを思っていたので、本人にやる気があればちゃんと見るようにしようということは、一番大事に思うようになりました。スカウトされても、そいつにやる気がなかったらどうしようもない。ぜんぜんダメですよ。

 

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── それで全日本プロレスに入団された小橋さんですけど、まずはいわゆる新弟子生活ですか。

 

小橋:そうです。とにかく雑用がすごかった! 一番最初に起きて、合同練習の30分前には先輩たちを待っていないといけない。朝起きて道場を掃除して、次は買い出しに行くんです。それで練習後のちゃんこを作って、道場掃除をして、そこまで済ませて先輩たちを待たなきゃいけないんですね。

 

── 朝からそんな慌ただしいんですね。ご飯ももちろん小橋さんたちが作られるわけですよね。

 

小橋:そうです。同期の菊地さん(菊地毅)とか北原さん(北原光騎)とかと一緒に作っていましたね。もう野菜とか切ってバッと入れるだけの鍋ですけど。

 

── まさにプロレスラーのちゃんこ鍋。それまで小橋さんは自分で料理を作るってことは……?

 

小橋:いやあ、作らないです(笑)。今でもやらないですね。これまで料理に目覚めたことはなかったですね。

 

── じゃあ、ちゃんこ番はあんまり積極的じゃなかった?

 

小橋:そうですねえ、野菜切ったりはもちろんしてましたけど、味つけとかはぼくに任せると「何入れても大丈夫だろ」って感じになっちゃうんで(笑)。でも味つけにうるさい先輩もいて……。

 

── ちなみに味にうるさい先輩って?

 

小橋:いやあ、それは……。

 

── 誰かは言えないですか(笑)。では同期で料理が得意だった人は?

 

小橋:菊地さんが上手かったですね。ぼくはもう菊地さんが作ってる隣で「上手いですね~」って言ってる係(笑)。でも本当味つけとか上手かったんですよ。ぼくはいまだに不得意です。

 

── 菊地選手というのはちょっと意外です。

 

小橋:菊地さんは部屋を模様替えをしたりとか、細かいことが好きだったんですよ。「寝るところだけあればいい」というぼくとは正反対(笑)。

 

── ちなみに全日本プロレスのちゃんこって、どんな鍋を作ってたんですか。

 

小橋:スープがカレーとかキムチとか醤油ベース、あと卵とか何種類かあって、それを鶏とか豚とか肉を変える感じですね。ぼくが一番好きだったのは、もうシンプルに豚の水炊きみたいなのをポン酢で食べるのでしたね。なぜか豚の方が好きなんです。鶏もおいしいんですけど、今もおいしいってのが残っているのは豚なんですよね。

 

── 小橋さんは田上さん(田上明)と同期ですよね。元・力士の人ってちゃんこ鍋とか作るの上手いってイメージがあるんですが。

 

小橋:田上さんは……作るのは別にって感じでしたけどね。でも、自分で調理器具とか持ってきてましたね。肉をミンチにしてつみれにするみたいな機械。だから実は料理好きだったのかもしれない。練習は嫌いでしたけどね、練習嫌いの料理好き(笑)。

 

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デビューの日、馬場さんに連れて行ってもらったレストラン

入団して間もなくして、憧れの馬場さんの付き人を担当することになった小橋さん。

ということは全国でおいしいものが食べられたんじゃ、と誰しも思うはず。

しかし、小橋さんにとって馬場さんの付き人時代は、また別の食の思い出がありました。

 

── それで新弟子時代、小橋さんはジャイアント馬場さんの付き人をされるんですよね。

 

小橋:そうです。

 

── だったら全国の支援者とのお付き合いも多いだろうし、さぞおいしいご飯が食べられたんじゃないかと思うんですけど……。

 

小橋:自分がデビューする前、馬場さんの付き人になったんですよ。それで普通だったら、おっしゃる通りで地方に行ったら試合の後、食事に連れて行ったりするんですけど、馬場さんはぼくをまったく連れて行ってくれなかったんですよ。

 

── え!? そうなんですか?

 

小橋:それどころか口も利いてくれなかった。

 

── えええ!? それは……なぜなんでしょう?

 

小橋:もともとぼくが付き人になった理由が、前に馬場さんの付き人になった方がいたんですけど、その人がちゃんと馬場さんの身の回りの世話をしないと。それで周りの人が「小橋、お前やれ!」って言って勝手に決めたんですよ。

 

── そんな決められ方もあるんですね。

 

小橋:でも馬場さんは前の付き人のことをすごいかわいがっていて、それなのにむりやり変えられたから、馬場さんも怒りをぶつけるところがないんで、ぼくにぶつけてくるんです。しばらく口も利いてくれなかったです。

 

── 馬場さんが好きで全日本プロレス入ったのに。

 

小橋:そうなんですよ。馬場さんが好きで入ったし、いちばん近くにいるのに口利いてくれたと思ったら「帰れ!」って言われて。

 

── 正直がっかりしなかったですか?

 

小橋:がっかりというよりも、「合宿所に入った以上は、辞めろと言われてもここからしがみついてでも残ってやる」って思いしかなかったです。だからがっかりという感じはなかったですね。「明日は口利いてもらおう」とか「次はご飯連れて行ってくれるだろう」とか。でもデビューまでぜんぜんしゃべってくれなかったですね。

 

── ということは、デビューでついにしゃべってくれたんですね、馬場さんが!

 

小橋:付き人になって3カ月か4カ月くらいしてデビューしたんです。その当時、大きいホテルの上にはだいたいレストランがあったんですけど、その時に初めて馬場さんに「ホテルの上で待ってるからな」って言われて。はじめてですよ。それで食事一緒に食べました。その時、馬場さんが言われた言葉が「よう頑張ったな」って。

 

── ついに!

 

小橋:これまでの溜まったものがスーッと消えましたね。

 

── このひとことを聞くために頑張ってきたんだと思えたんでしょうね。そのレストランで何を食べたか覚えてないですか。

 

小橋:いやあ、覚えてないです。初めて連れてこられたってのもあって。あと、それからはもう地方に行ったときはもう、馬場さんについていくようになりました。

 

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── やっと付き人らしい仕事が。

 

小橋:でも馬場さんって一緒に動く人が多いんですよ。奥さんとかマネージャーの方、あとスタッフの方もいらっしゃいますし。それでみんなで食べに行ったりすると、みんな少食だから「小橋! お前食べろ!」「食べて練習して寝ないとダメだ!」ってぼくにいろいろくれるんですよ。それで「はい! ありがとうございます!」って言ってぼくも調子のって食べるんですけど、あれはキツかったですね(笑)。

 

── おいしいものを楽しむ余裕もない。

 

小橋:そうでしたね。だから「当時、何おいしかったですか」って聞かれても、「あの一品がおいしかった」とかそういう記憶がないんですよ(笑)。あの頃は「食べるのも練習だ」ってよく言われてたんですけど、意味がわかりましたね。食べられることはありがたいことなんですけど。そういう意味ではいろんな経験させてもらいました。

 

── 付き人といってものんびりおいしいもの食べられるわけじゃないんですね……。

 

小橋:それで馬場さんがまたいろんなことをしてくるんですよ。馬場さんが「ステーキ食べよう」って言ってステーキ屋さんに入ったんですけど、「小橋どれにする?」って聞かれたら遠慮するじゃないですか。けっこうな値段もしますし。「じゃあ200グラムのこれで」とか言ったら「馬鹿野郎、そんなのじゃダメだ」ってお店の人に1ポンドのステーキを注文して、さらにいろいろ注文するわけですよ。

 

── 馬場さん自身も「食べろ食べろ」って感じなんですね。

 

小橋:しゃぶしゃぶに連れて行ってもらった時も、けっこう何回か肉をおかわりしたんですけど、会計する時に「この野郎、10万円も食いやがって!」って笑いながら言われたこともありましたね。

 

── 若いレスラーがガツガツ食べるところ見るのがうれしかったんでしょうね。

 

馬場さんも思わず「バカだなー」

小橋:あと、馬場さんから「バカだなー」って言われた思い出があって。金沢で輪島さん(輪島大士)の合宿をやったことがあるんですけど、馬場さんの付き人として自分も行ったんです。それで合宿練習が終わってお寿司屋さんに行くことになって、先輩たちは酒を飲みながら寿司食べてるし、相撲出身でエリートの田上さんとかは一緒になって寿司を食べてるわけです。入ってきたのはぼくより後なんですけど。だから田上さんが食べられるなら、ぼくも食べていいのかなって思ってたら、ぼくの注文の順番になって馬場さんに「お前は頼まんでいい!」って言われたんですよ。

 

── えー!

 

小橋:「お前はあの出前用のおひつでメシ食ってろ」って言われたんですよ。そしたら本当におひつに白ご飯、あとまかないの煮付けみたいなのがのってるだけ。それを「お前はこれ食え、寿司は食べんでいい!」って言われて。

 

── それは悔しいですね。先輩だけならまだしも、田上さんまで寿司を食べてるのに自分は食べれない。

 

小橋:でもそれがもう本当に悔しくって、全部食べました。それ見て馬場さんが「お前、本当に全部食ったのか!」って。びっくりされましたね、「バカだなー」って。

 

── アハハ、馬場さんなりのかわいがり方だったんですかね。

 

小橋:いやー、後から見たら笑える話ですけど、その当時は笑えないですよ。悔しくてしょうがなかった。でもその悔しさがそのあと自分を作っていってくれたんだと思う。その悔しさがなかったら、もしそこで輪島さんたちと寿司を食べていたら、その悔しさはなかったでしょう。それをバネにして頑張れたんだと思います。

 

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小橋:あと、もう一度馬場さんから「バカだなー」って言われたことがあって(笑)。

 

── 馬場さんもけっこういたずら好きですね(笑)。

 

小橋:地方に行けば行くほど、ホテルにレストランとかないから、試合後に食べる所を探さなきゃいけないんです。それである街で食事をしてお腹いっぱいになって、さあ帰ろうって時に馬場さんが急にポケット触りだして、2,000円をぼくに渡したんです。その目の前にラーメン屋さんがあったんですけど、そこ指さして「この2,000円分、ぜんぶ食べてこい、おつり残すな」って言ってくるんですよ。もうお腹いっぱいなのに。

 

── そんな無茶ぶりするんですね、馬場さんって(笑)。

 

小橋:「もう食べられません!」って言ったんですけど、お金もったいないじゃないですか。それに「馬鹿野郎、あんなんでお腹いっぱいとか一流の選手になれないぞ」って言われて、その「一流の選手になれない」って言葉がぼくに火つけたんですね(笑)。

 

── 小橋さんもあえてその誘いに乗りますね!

 

小橋:その2,000円を持ってラーメン屋さんに行って、とにかく一番高いラーメン……たぶんチャーシューメンかなんかを頼んで、あとは差額でジュースをずらっと並べて(笑)。食べたふりをすればいいんだけど、それはいやだったんですね。嘘をつきたくなかった。とにかく食べて流し込んで、おつりはほんとに何十円かって感じで。馬場さんに「ごちそうさまでした!」ってレシートと端数のおつりを渡したら「お前本当に食べたのか!」って笑ってましたね。その時も「バカだなー」って言われました(笑)。懐かしいなあ。

 

三沢さんとのお酒の思い出、そして腎臓がんとの闘いを支えた一皿

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エリートの中で囲まれてデビューした小橋さんですが、その持ち前の練習熱心さで頭角を現していきます。

特に故・三沢光晴さんとは「超世代軍」として人気選手が離脱した全日本プロレスの人気を取り戻すとともに、アジアタッグ選手権に世界タッグ王者といったタッグチームとして、そして好敵手として何度もぶつかり合う関係に。

 

── 付き人時代から選手としてデビューした小橋さんは、試合での活躍も増えていく中で三沢さんと一緒に動く期間が長くなっていったと思います。タッグや同じユニットの期間も多かったですし。

 

小橋:そうですね。三沢さんはお酒も長いというか、朝までコースですよね(笑)。お酒強要するタイプじゃないんですけど、「一緒に飲みましょうよ~」って。

 

── そもそも小橋さんってお酒は飲まれるんですか?

 

小橋:自分からはあんまり飲まないですけど、お酒の席になると楽しくなっちゃうんです。酔っ払ったら……キケンですよ(笑)。

 

── どういう方向で危険なんですか。

 

小橋:でも気づいたらベッドでひっくり返ってた、とかそういうタイプですね。記憶失っちゃうこともあったんですけど、三沢さんからは「小橋ぃ~、おまえすぐ酔っ払ったらさぁ、『一緒に行きましょうよ~』って言うんだよなあ」ってよく言われてましたね(笑)。やっぱり三沢さんは酒豪っていうか、勢いで飲むタイプじゃないんですけど、ちょいちょい口にしてずーっと飲んでる。

 

── 三沢さんも小橋さん同様グルメってタイプではなかったんですかね。

 

小橋:そうですね、そんなこだわりもって食べるって感じではなかったですね。味にこだわりを持ってるのは、川田さん(川田利明さん)とか。

 

── なるほど、今お店をやってるくらいですもんね。

 

小橋:人に飲ませるのも(川田さん)……(笑)。

 

── そうなんですね。

 

小橋:やっぱり、天龍さん(天龍源一郎)の流れを組むんですよね(笑)。一気飲みとか、合図したらもう飲まなきゃいけない。ぼくらが10杯一気してる間に、天龍さんは1杯一気する感じですよ(笑)。そんな感じでつぶされてましたね。川田さんとか、こういうグラスに焼酎いっぱいで一気するんです。水とか入ってないんですよ? ぼくらもしょうがないから飲んで。

 

── 天龍さんはイメージどおりですね! 飲む相手は変わっていった感じですか?

 

小橋:自分にも付き人がつくようになると、もう若いのとだけで行ったりするようになりましたね。でも三沢さんとは合いましたね。川田さんとは飲まなくなりました(笑)。やっぱり試合で向かい側に立つようになると、プライベートで一緒に行動することはなくなるんですよ。よく飲んでた三沢さんとも、やっぱり試合で頻繁に当たるようになったら、ご飯とか食べることはなくなりますよね。お祝い事の時とかくらいで。別に険悪でいがみあってるわけじゃないけど、試合見た人が、その後ぼくと三沢さんがご飯食べてるところ見たらしっくりこないと思うんです。僕らにとってもお客さんにとっても、やっぱりリング上でめらめら燃え上がるものをぶつけれるようにするのが一番大事なので。

 

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── その意識の高さもあって、小橋さんはノア時代に「絶対王者」と呼ばれるなど、試合内容も結果も素晴らしいものを残していきました。しかし、けがや病気との闘いもありました。

 

小橋:そうですね……。やっぱり腎臓がんが一番きつかったですね。腎臓ってたんぱく質が一番よくないんです。でもたんぱく質を取らないと、筋肉が作れない。だからスポーツ選手で腎臓がんになった人は、まず復帰できないんですよ。特にコンタクト系の選手は。ぼくも絶対だめだってさんざん言われました。

 

── お医者さんからはまず復帰は無理だと。

 

小橋:せめて一試合だけ復帰したいと思っていたんです。なんでかっていうと、「プロレスラーは怪物であれ」というのを馬場さんに言われていたんです。プロレスラーは怪物でないといけない、そしてリングを降りたら紳士であれ、という教育を受けてきたんです。そして腎臓がんから復帰したレスラーはいない。だったら、ここから復帰して試合出来たらそれは怪物じゃないか、という意味で一試合だけでもいいから復帰したかったんです。

 

── 馬場さんの教えを守るために。

 

小橋:だから手術して先生から診察受けるたびに「復帰していいですか」って聞いてたんですね。先生は「ダメですよ」って普通に返してたんですけど、3カ月くらいしたら「何言ってるんですか!」ってついに怒られて(笑)。すごい温厚な先生なんですけどね。でも怒られても聞かないといられない自分がいたんです。

 

── ただそう簡単にゴーサイン出せないくらい復帰困難な病気なんですね、レスラーにとって。

 

小橋:そうなんだと思います。それで手術から半年経った時に、ひさしぶりに挨拶にファンの前に立ったんです。12月の武道館でしたね。その10日後に検査があったんですけど、そこまで腎臓の数値は良くもなく悪くもなく、だったのが良くなってたんですよ。

 

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小橋:それで先生に挨拶しにいって、また言ったんですよ。「先生、復帰していいですか?」って。そしたら「いいですよ」ってはじめてゴーサインもらって。「本当にいいんですか?」って聞いたら、「一緒に頑張りましょう」って言ってくれて、それからちょっとずつたんぱく質を増やしていって。

 

── やっぱりファンの前に立つのが一番の薬だったんですかね。とはいえ日常生活に戻るのならまだしも、プロレスの試合が出来るまでに筋肉を戻すのはかなり大変でしょう。

 

小橋:とにかく毎日体と心が葛藤する中、自分を上げていくのはキツかったですね。ドクターストップ寸前の時もありました。腎臓の数値って、ゆっくりじゃなくて急激に悪くなるらしいんです。だから「もうやめましょう」と言われたこともありましたし。自分も復帰するならみんなに祝福してほしいですから、どうしても無理なら諦めよう、と思っていました。無理に自分が出ていって、悪化したら先生たちの責任になるじゃないですか。そんなことはしたくない。そういうギリギリのところで復帰まで持っていけた感じです。

 

── その中で小橋さんを支えてくれたものって何でしょう?

 

小橋:その時の食生活を支えてくれた妻ですね。その当時はまだ結婚してなかったんですけど。食生活、それと心の部分を支えてくれました。

 

── そうなんですね。たんぱく質が取れないということで、食事は特殊になりますよね。

 

小橋:腎臓食ってのは本当にひどいもので、最初はわからなくて宅配の腎臓がんの患者用の食事を食べていたんです。

 

── 普通の食事とどう違うんですか。

 

小橋:どういうのかというと、たとえばエビフライをつまんで持ち上げると、衣がぽとん、と落ちて、鉛筆の芯みたいな海老がついてるんです。普通は海老が7割か8割じゃないですか。腎臓食は逆で、衣がほとんど。普通たんぱく質9で脂質が1ならもうそれが逆なんです。

 

── 身体のためとはいえ、せっかくの食でそれは気分が上がりませんね。

 

小橋:それを見て妻が「もうわたしが作る!」って言い出したんです。

 

── その頃の奥様の思い出の料理ってありますか?

 

小橋:ポテトサラダですね。ふつうのポテトサラダなんですけど、塩分少なめでたんぱく質も少なくしていろんな工夫をしてくれたのを思い出します。ぼくが食べやすいようにしてくれて……ありがたかったです。今も妻のご飯食べてますけど、ぼくの人生の中で忘れられないメニューですね。

 

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「あまりグルメじゃないから!」と笑顔で断りながらも、生まれてからこれまでの食について語ってくれた小橋建太さん。

その中で印象的な食事としてあがったのが、母親のご飯と奥様のご飯、というのが小橋さんの飾らない性格そのままが出ているようで、納得させられました。

身近な人の気持ちの込められたご飯が一番おいしい。

そう受け止める真っ直ぐさこそ “絶対王者” の強さであり優しさだったのではないでしょうか。

 

※この記事は2017年10月の情報です。

 

小橋建太オフィシャルサイト:小橋建太 Fortune KK

twitter.com

 

書いた人:大坪ケムタ

大坪ケムタ

日本全国どこに入っても手早く安心して食べれるチェーン店好き。特に茶色い食べ物と期間限定メニューには目がない。天丼はえび天よりかき揚げ派。普段はアイドル・芸能etcよろず請け負うフリーライター業。

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