レトロな雰囲気を漂わせる酒場横丁は都内各所に存在するが、再開発などで消えていく場所も多い。サラリーマンの聖地として親しまれている神田駅や新橋駅のガード下でも、長年にわたって営業してきた老舗飲食店が続々と移転、閉店している。
そんな減少の一途をたどっている酒場横丁の過去と現在を、往時の写真とともに記録したのが『消えゆく横丁』(ちくま文庫)だ。
筆者は1990年代から昭和の雰囲気が色濃く残る酒場横丁を巡った記事を、雑誌などを中心に書き綴ってきたフリーライターの藤木TDCさん。
本書ではノスタルジーに浸るだけではなく、新宿の「ゴールデン街」や吉祥寺の「ハーモニカ横丁」など、再生する酒場横丁にも目を向けている。
そんな藤木さんに消えゆく酒場横丁への思いや、これからの酒場についてなどを語ってもらった。
グルメブームのアンチテーゼで酒場横丁巡り
取材場所は『消えゆく横丁』にも取り上げられている神田駅のガード下にある「神田小路」。藤木さんのナビゲートで神田小路にある居酒屋「仙人 宮ちゃん」で話を伺った。
──藤木さんは、いつ頃から酒場横丁に通うようになったんでしょうか。
藤木さん(以下敬称略):僕は秋田県出身で、上京したのが1981年なんです。東京では『なんとなく、クリスタル』(田中康夫著)が流行っていて、おしゃれなカフェバーのブーム真っ盛り。古くてボロいものは見向きもされない時代でした。
──近年ではレトロな雰囲気の立ち飲み屋などが若者たちにも支持されていますが、そういう風潮からは遠い時代でしたね。
藤木:新しいものばかりがどんどん現れた時代でした。でも、僕は地方出身者というコンプレックスがあるし、貧乏だからそんな場所には行けない。まだ訛りは残っているし、着ている服も田舎から持ってきたもので垢抜けない。そうすると、おのずと行く場所は新宿の「思い出横丁」や、ガード下の一杯飲み屋になるわけです。
──居心地のよさを求めると、自然とそういう場所に足が向いたんですね。
藤木:そうそう。地方出身者の吹き溜まりだからみんな仲間じゃないですか。こっちは学生だからペーペーだけど、何年も通い続けている諸先輩がいて非常に落ちつく。当時は東京出身者ばかりいる店にいると、田舎者だからと露骨にバカにされることがありましたからね。だから、都会人と付き合うのはコンプレックスがあって苦手でした。それで酒場横丁に通うようになったんです。
──今よりも東京出身者と地方出身者の間に壁があった時代だったんですね。
藤木:その後、僕は編集者を経てフリーライターになるんですが、1990年代にグルメブームが到来するんです。当時はメジャー週刊誌の最終ページなどで、高名なグルメ評論家が高価な飲食店を紹介するみたいな記事があふれていました。そのアンチテーゼとして1991年あたりに雑誌『おとこGON!パワーズ』(ミリオン出版)で、「グルメページの真逆路線をやりましょう」という話になって、「闇市ぐるめ」という連載を始めたんです。
そうすると、東京都内にそういう飲食店が幾つもあることが徐々にわかってくる。その共通項を探ったら、戦後の闇市が原点という酒場横丁が多かったんです。
──『消えゆく横丁』にも書かれていますが、駅前で屋台やバラックを営んでいた店主たちが追いやられて、横丁と呼ばれる飲食街が形成されていったんですよね。
藤木:そういうことを知って、面白くなり東京全域のエリアを探り始めたら、かつて新宿百人町にあった「彦左小路(ひこざこうじ)」などのマイナーな横丁とも出会えたんです。彦左小路は2003年に跡形もなくなりましたけどね。
──そういうエリアにある、個々の飲食店の特徴を挙げるとすると何でしょうか。
藤木:まず、店が綺麗ではない。あと、安くない。チェーン店展開している焼鳥屋や立ち飲み屋などのほうがよっぽど安いですからね。酒場横丁の店が安くない理由としては、個人店であり、経営者が高齢で、学生が集うような店でもないから、ひと昔前の価格を変えないんです。新しくできた店は、最初から安価でスタートしていますからね。
──でも大阪のジャンジャン横丁などはビールひとつとっても安いですよね。
藤木:そこは土地を所有しているかどうかでしょうね。昔から自分の土地で営業している飲食店は家賃がかからないから、ビールの大ビンが400円でも提供できます。同じ酒場横丁でも、借地で営業している個人店舗の立ち飲み屋なんかはその価格帯で勝負しなきゃいけないから、めちゃくちゃ大変だと思います。
都会の横丁はいずれ消えていくもの
グルメブームのアンチテーゼとして始めた酒場横丁巡りだったが、2008年のリーマン・ショックで状況が一変する。メジャー週刊誌も酒場横丁を特集して、ブームになっていくのだ。
──不景気になって酒場横丁への注目が高まっていきましたが、「闇市ぐるめ」の連載をしながら、これがブームになるという予感はありましたか。
藤木:少しはありました。やっぱり目新しかったし、都内にそういうエリアは幾つもあったので、ひとつのジャンルとして括りやすかったんです。
ところが人気が出ると、不動産屋が色気を出して高い家賃を取るようになったんです。そうすると、有名な横丁で新しく飲食店を始めようとした人は、安い値段で開業できなくなったんです。
──飲食店が消える原因のひとつに、家賃の高騰がありますからね。そうやって新規参入が難しくなっていくと、酒場横丁の存続も難しくなっていきますよね。
藤木:ただ僕は通い始めた頃から、いずれ消えていくものだと思っていました。都会は常に再開発や道路拡張が行われているし、横丁自体、最初から臨時に造られたものも多いですからね。歌舞伎町の北側にあった彦左小路にしても、できた時から道路になる運命だったんです。新宿の「思い出横丁」だって期間限定だったはずのものなんですよ。
──思い出横丁はずいぶん前から一掃されるという噂がありましたけど、今では外国人観光客も増えて賑わう一方です。再開発でなくならない理由は何でしょうか。
藤木:なくせない理由としては、各店舗の地権がバラバラというのがあるでしょうね。個人が分譲で買った店もありますからね。でも、水道などのインフラもガタがきているだろうし、新しい店舗に移りたいと思いつつ、大変な思いをしてやっている経営者が多いと思います。クーラーひとつ設置するのも大変ですからね。
──地方にも権利が複雑で今も残っている酒場横丁はあるんですか。
藤木:大阪の阪急電鉄十三駅西改札前にある「ションベン横丁」ですね。2014年3月に火事で約40棟が焼失して、なくなるだろうと言われていたんです。ところが店主たちが再建のために協力して組合を作って存続させたんですよね。今では新築店舗の大半が埋まっていますけど、借地権者がわからない土地は空き地になったままです。
これからの酒場は「横」から「奥」へと変化する
「仙人 宮ちゃん」には、「ふじくら」というもうひとつの店名がある。店内の張り紙も「ふじくら・宮ちゃん」の連名という珍しさ。その店名になった経緯も実に酒場横丁らしいものだった。
藤木:もともと僕らが今座っているカウンター席は「仙人 宮ちゃん」で、もうひとつのカウンター席とテーブル席は「ふじくら」と、それぞれ違う店だったんです。それが店主同士の話し合いで合体したんですよ。
──同じ建物内に他の飲食店も並んでいて、アーケードの商店街みたいですよね。
藤木:神田小路はJR神田駅の北口から南口にかけてのアーチ型部分に入っている特殊構造なんです。数年前に、テナントに耐震補強の名目で立ち退きが通達されたそうなんですけど、なぜか進展がないまま営業が続いているんです。
──ガード下で飲めるという環境は貴重ですし、おつまみやお酒も価格がお手頃なのがいいですね。
藤木:ハードルが高そうに見えて、入ってしまえばアットホームな、仕事終わりにちょっと寄るにはたまらない一杯飲み屋です。
──客層は女性や外国人もいて幅広いですね。
藤木:客の中心は背広を着たサラリーマンや作業服を着た職人系の人ですけど、このエリアは女性客も珍しくないですね。こうなったのは、ここ10年くらいです。場の雰囲気を楽しみに集まってくると思うんですけど、共同トイレしかない店も多いのでボヤいている女性も多いです(笑)。
──近年、酒場横丁にも若者が集まるようになっていますが、藤木さんは今後の酒場についてどう考えていますか。
藤木:『消えゆく横丁』にも書きましたが、古い酒場横丁がなくなっていくのはしょうがない。逆に、かつて呉服屋、帽子屋、文房具屋などが軒を連ねていたシャッター通りと呼ばれている街の寂れた商店街が、飲食店に生まれ変わってきているんです。
──赤羽や十条なんかがそうですね。
藤木:そういう場所に参入してくる若い人たちは、安くて、おいしいものを出すことを大切にしています。しかも店内は清潔感があって楽しい。そういう飲食店が増えたら、ますます昔ながらの酒場横丁は廃れます。今だって酒場横丁を訪れる人は、お酒を飲む人よりも、廃墟マニアみたいな感覚で見に来るだけの人が多いんです。昔ながらの酒場横丁の値打ちというのは、そこしかないとも言えますよね。
──確かに個人店の立ち飲みでも安くておいしい新店は増えていますからね。
藤木:ただ商店街にしても、駅の近くだったら家賃が高いので、今は「奥渋谷」「奥池袋」と呼ばれる、渋谷や池袋の駅から離れた場所に飲食店が増えているんです。そういう場所にはタワーマンションもあって新しい住人が多い。そういう人たちは金銭的にも余裕があるから外でお酒を飲もうとやってくるんです。
──『消えゆく横丁』でも、これからの酒場は「横」から「奥」へと書かれています。
藤木:新しい横丁は、これまで飲食店がなかった住宅街や、どこの駅からも遠い商店街に増えていくと思います。それは「古くて、綺麗でなくて、高い」という従来の酒場横丁ではなくて、「新しくて、綺麗で、安くて、おいしいもの」を出す横丁になっていくでしょうね。
ただ、懸念しているのは若い人がお酒を飲まなくなってきているという点。酒場横丁を残していくには、我々の世代が飲み屋で酒を飲む楽しさを伝えていかなければならないでしょうね。
昭和の息吹を感じさせる、いにしえの酒場横丁が消えていくのは寂しい。しかし時代に即して変化するのも、酒場横丁の魅力なのかもしれない。
撮影:松沢雅彦
お店情報
仙人 宮ちゃん
住所:東京都千代田区鍛冶町2-14-8
電話番号:03-3258-4758
営業時間:17:00〜24:00
定休日:日曜日