90年代の全日本女子プロレスの象徴
今回はついに登場! 「飛翔天女」豊田真奈美さんです。
東京ドーム公演に対抗戦など、激しさ・華やかさで頂点を極めた、90年代の全日本女子プロレスの象徴のひとりです。
(写真提供:©️OZアカデミー)
ペイントにコスチュームと、女子プロレス独自の進化を遂げた派手さを競うトップレスラー陣のなか、美しい黒髪と黒いコスチューム、そしてたおやかな表情で唯一無二の存在感だった豊田さん。しかしゴングが鳴るとその表情、そして叫び声で空気を一変!
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ドロップキック一発でフィニッシュまで至る破壊力、ムーンサルトプレスなどの華麗さ、そしてジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスをはじめとしたオリジナリティある技、さらに「ゾンビ」とまで呼ばれた無尽蔵のスタミナ。
そして、なにより全女と自らのプロレスに対する強烈なプライドは、強く激しく美しい全女の看板にふさわしいものでした。
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2002年に全女を退団した後はフリーランスとして活躍。
2017年11月に30年に及ぶ選手生活を終えました。現在も「飛翔天女」の名を受け継いだ藤本つかさ選手率いる女子プロレス団体・アイスリボンのスーパーバイザーを務めるなど、その姿をリングで見かけることもしばしば。
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そんな豊田さんの最近のツイッターを覗くと、美味しそうなごはん、そしてお酒の投稿がずらり。さらに最近では人気番組『有吉反省会』に「岩下の新生姜が好きすぎて反省」ということで出演したばかり。
これはいろんなめし話が聞けそうです!
子供の頃、「お前は酒飲みになる」ってよく言われてた
島根県益田市出身で、県が認定する島根県観光PR大使「遣唐使」のひとりでもある豊田さん。子供のころは海に山にと駆け回る元気な女の子で、よく貝や海藻を採りに行ったり、魚を釣ったりしていたそう。
それらを手際よく調理するお母さんを隣で見ていて、そのうち自ら料理を覚えていったのだとか。
豊田:父親がそんな凝ったものを食べない人だったんですけど、ただ毎日晩酌してて食卓には刺身があったんですよね。うち、海が目の前にある家だったから、魚が新鮮なんです。お肉よりは魚でしたね。
──お父さんはお酒がお好きなんですね。
豊田:そうなんです。だからわたし、父に似ちゃってるんですよ。子供のころから「お前は酒飲みになる」ってよく言われてたんですよね。昔の駄菓子屋ってウイスキーボンボンとか売ってたじゃないですか。で、自分が選ぶお菓子がウイスキーボンボンとイカだったんですよ(笑)。
──アハハハ、子供ながらに酒とつまみのチョイスだ。
豊田:あとお母さんが漬けてる梅酒の梅も大好きだったんですよね~(笑)。それがおやつだったから、「お前は絶対、酒飲みになる!」って言われてたんですよ。ホンットに思いどおりに育ちましたね(笑)。
──子供のころの思い出のごはんってありますか?
豊田:「ぼべ貝」って知ってますか? 海の岩に張り付いてる貝なんですけど、島根の人はけっこう知ってるんじゃないかな。その貝を一回茹でて、身とスープでごはんを炊いた「ぼべごはん」が大好きで。
ぼべ貝は今でも実家に帰ると採りに行きますよ。密漁じゃないですからね(笑)。あとお茶漬けわかめとか赤天(魚のすり身に赤唐辛子を練り込んだもの)とか好きでしたね。どちらも島根の自慢の名産品ですよ!
「田舎者ですけど、都会の人には負けません」
小中学生のころから、やはり運動神経抜群だった豊田さん。
運動部員が飛べない高さの飛び箱を軽々飛んで、部からスカウトが来るほどだったとか。そんな彼女とプロレスの出会いは中学3年生の時。
豊田:中学生のころクラッシュギャルズブームで、仲のいい友達はみんなプロレス好きだったんですけど、自分はそれほどハマってなかったんです。それが、隣の浜田市に全女が来るっていうんで観戦に行って、もう観た瞬間から『これは私が求めていたものだ!』と思ったんですね。
──求めていたもの、とはどういう意味ですか。
豊田:益田市から就職して外に出るとなると、広島か、遠くて大阪くらいなんです。でも日本の一番といえば東京、東京に出て有名人になりたいと自分は思ってたんです。それで女子プロレスやれば東京に行けるし、有名になれるしドンピシャじゃないですか。それでオーディション2度受けて、高校1年の時に合格して、学校中退して東京に行くことにしたんです。
──高校中退して、島根から上京するのは勇気ありますね。
豊田:当時はほんとに人見知りで、オーディションとかそういう場は本当に苦手だったんですけど、精一杯の勇気を振り絞って「わたしは田舎者ですけど、都会の人には負けません!」って言いましたね(笑)。15歳の子供がよく言ったと思います。
お腹は空いてるんだけど、食べる気力が残ってないんです
16歳にして全女に入門した豊田さん。これまでインタビューした全女選手の若手時代というと、お金がなさすぎて紅生姜ごはんやマヨネーズごはんでしのいでいた、なんてひどい話が続きましたが、ひと世代下の豊田さんの頃は大丈夫だったのでしょうか。
──長与千種さん・ダンプ松本さん・ブル中野さんらに話を聞いた時は、かなり全女の寮のひどい話を聞きましたけど、豊田さんのころはどんな感じだったんですか?
豊田:だいたい同じですね。お給料5万円で、食べ放題のお米代を引かれて手元に残るのは4万5千円。おかずとかどうしてたんだろう……ほぼ巡業だし、それ以外も疲れ果てて帰ってきてたから、作るってことがなかったですね。料理するより寝てたいって感じだったんで。
──ごはんを作る気力も沸かない。
豊田:だから、若手のころに寮で食べた米以外のもので覚えてるのは……。先輩がたくさん差し入れもらうじゃないですか! ケンタッキーとかミスタードーナツとか、そのおこぼれをもらうのが嬉しかったくらいですね(笑)。当時、ファンの入り待ち・出待ちですごい量の差し入れをもらってましたから。
──クラッシュギャルズの絶頂期ですからね。
豊田:あと新人の時で覚えてるのが、巡業先から帰ってきて先輩の雑用をやって、先輩も帰ってやっと自分たちのごはんが食べれる時間になって、同期と「回転寿司を食べに行こう」って話になったんですよ。
それでお店に着いて座ったんだけど、もう疲れ果てて一皿半、3貫しか食べれなかったんですよ(笑)。お腹は空いてるんだけど、もう食べる気力が残ってないんです。空腹より疲れの方が上まわることあるんだ……って知りましたね。
──そのくらい先輩の世話とか大変だったんですね。
豊田:といって外食ばかりしていたら、あっという間にお金なくなっちゃうから、月の半ばくらいになると実家に電話して「大変申し訳ないんですけど、お金がなくなってしまいまして……」っていつも連絡してました(笑)。もう現金書留が来るのが待ち遠しくて仕方なかったですね。
──若手時代は空腹より金欠の方が大変だったと。
豊田:それに、うちの同期に泥棒がいたんですよ。
──唐突ですね!
豊田:毎月のように給料が盗まれたこととかあったんです。まだ給料が手渡しの時代でしたしね。最初にひとり盗まれて、翌月同期の下田美馬が盗まれて。それで立野記代さんが「下田ちゃん、給料盗まれて可愛そうだから、一緒にステーキ食べに行こうね」って、下田とわたしを連れて行ってくれたんです。
それで戻ったらわたしと別の同期も給料がなくなってて。結局、その泥棒がカードまで盗んでて、郵便局でお金下ろすところが防犯カメラに写っててバレちゃったんです。クビになったんですけど、お金は返ってこなかったですね……。
──めしも食えなきゃ金もなくなる……その頃の全女、壮絶すぎますよ!
空腹が最大のスパイスだった
当時の全女というと、月の半分は地方興行というのも当たり前の時代。
寮では米しか食べられない若手たちも、地方に行けば旅館で美味しいものがいっぱい。
とはいえ、先輩たちの命令で、どんぶりめし2杯3杯と食べ終えるまで、他のことをしてはならない、という命令が出たこともあったのだとか。
──その頃の全女は一年の半分以上、日本全国を巡業していたと思いますけど、豊田さんは地方で食べたおいしいものの思い出ってありますか?
豊田:うーーん、なんだろう……。ほんとにまだド新人のころ、北海道に行ったんですよ。それでサービスエリアに止まった時に、先輩が「みんな食べる?」って買ってくれた「いももち」がすごく美味しかったんですよね。
そんな高いもんじゃないけど、自分たちでは買いたくても買えなかったし、すっごい美味しく感じたのを覚えてます。その翌年に、自分たちで買ったみたらそうでもなくて「え、こんなだったっけ?」って思いましたけど(笑)。
──空腹は最大のスパイスとはよく言ったもんですね。
豊田:あとは対馬にいった時に、焼き豚足を食べたんですね。あれはめちゃめちゃカリカリのとろとろで、美味しかったですね! それまで豚足ってあんまり好きじゃなかったんです。実家は自営業で業務用の冷蔵庫があって、そこに豚の脚がごろごろしてたんです。これがリアルな脚で、毛とかも生えてるので食べられなかったんですけど、対馬の豚足は衝撃的な美味しさでしたね。
──子供のころにたくさん刺身を食べられてますから、海鮮類についての舌は肥えてそうですね。
豊田:でも、例えばカニだと島根は松葉ガニしかないから、タラバガニのでっかいのは北海道で初めて見ましたね。北海道はやっぱり美味しいものが多かったでんですけど、道内の地方は泊まるところもごはんを食べるところもあまりなかったんですよね。だから北海道シリーズになると、札幌を拠点に5、6時間かけて北海道の端に行って試合して戻ってきて……を繰り返して札幌10連泊くらいしてましたね(笑)。ごはんは美味しいけど、ハードだったなあ。
後輩とのごはんに毎日3万円くらい使ってた
──豊田さんがトップ選手になったころの話もうかがいたいんですが、本当に激しい試合を連日行ってたわけですけど、緊張でごはんが食べられなかったとか、キツすぎて試合後食べられなかった思い出とかあります?
豊田:試合前も気にせず食べてましたね、自分、試合直前まで食べられる人なんで。それで吐いたりもなかったですね……いちど試合中に激しいアタリがあって、喉まできたのを飲み込んだことはあるかな?(笑)
──まさに鉄の胃袋! 試合中に吐きそうになるから、夜の試合でも15時くらいからは何も食べない選手もいるって聞きますけど、さすがですね。
豊田:新人のころは色々と手伝いや雑務、付き人の仕事もあって忙しかったですけど、上になると自分のことだけ考えてればいいですから。「試合終わったら何食べに行こうかな~」なんてことばかり考えてました。
──全女の付き人は大変なイメージがありますが、豊田さんの新人時代は?
豊田:大変ですけど、選手によるんですよ。わたしは山崎五紀さんの付き人で、五紀さんを見ていて、自分でできることは自分でやろうと決めていたから、どうしてもできないときだけお願いされて、そんなに大変じゃなかったですね。
──大変な人は、むちゃくちゃ大変。
豊田:人によっては何から何まで、たとえば控室に入って化粧道具すべてを一寸の狂いなく並べていかなきゃいけなくて、位置が違うだけで怒られたそうです。誰とは言いませんが……この『レスラーめし』に登場した人かもしれません(笑)。
──化粧の人かあ、誰でしょうね(笑)。もちろん豊田さんが上に立ったころは付き人がいたわけですよね。
豊田:ですね。五紀さんに自分にできることは自分でって教えられてたから、わたしの付き人は「豊田さんでいいね」ってまわりから言われてたらしいですよ(笑)。
──付き人や後輩を連れて食事に行くこともあったんですか?
豊田:フリーダムフォース(吉田万里子・伊藤薫・長谷川咲恵とのチーム)を作ったころ、毎日のように行ってましたね。それまではあんまり人とつるまなかったんです。ただ、全女って後輩と食事に行ったら先輩がおごるっていうのが決まりだったから大変でしたね(笑)。
──昔のプロレス団体はそう聞きますね。トップ選手とはいえ大変だったのでは。
豊田:毎日3万円くらい、夜ごはんに使ってました。でも、お金持ってても使う場所がなかったんですよね。だから、みんなで焼き肉とか行きつけの居酒屋さん、あとステーキ屋とか、いろんなお店に行ってましたね。
──ごはんの時はどういう話をするんですか、後輩と。
豊田:その日あったこととか、いろんな愚痴とかですよ。あんまり試合の話は好きじゃないですね。わたしは「好きなようにやりなさい」ってタイプなんで。人に言われてやるもんじゃないじゃないですから、プロレスって。
目に余ることがあったら言いますけど、基本は「自由になんでもやってみなさい」って言ってました。自分では何とも思ってないことが観客にドワッと受けたりするから、怖がらずになんでもやってみて、って。
──豊田選手がまさになんでもやるし、絶対誰にも真似できないスタイルでしたからね(笑)。
豊田:ねえ、若いっていいですね(笑)。そんなだから失敗ばっかりでしたよ! トップロープ昇ろうとしてツルっとすべったり、よくしてましたね(笑)。
──でも、そういうところに豊田真奈美の激しさを感じました。しかし、あらためて豊田さんにお話を聞いてみて、普段はおっとりされてるだけに、試合で見せる激情とのギャップがすごかったんだなあ、と思いますね。
豊田:試合のイメージとぜんぜん違うって言われましたね。試合は別のスイッチが入るんですよ。「出た瞬間から“豊田真奈美”にならなきゃいけない」って思って、リングに向かってましたね。その手前までは「まなたん」なんですよ(笑)。
──そんな可愛いあだ名が!
豊田:昔はその二人を切り替えてましたけど、今はもう24時間「まなたん」です(笑)。
「岩下の新生姜」にハマりすぎて
さて最後に、今の豊田さんのめしについてうかがいましょう。寮時代は料理をする暇もなかった豊田さん。選手としても成長し一人暮らしをはじめてからは、もともと好きだった料理もよくするようになったのだとか。
そして現在、最初に書いたとおりツイッターを見ると、豊田さん手作りの料理、そしてお酒がぞろぞろ表示されます。現在、選手時代に傷めた身体を治すために糖質制限をしていることもあり、米を食べない生活を続けている豊田さん。そうすると、ついついお酒に合うものを作ってしまうそうで。
──お酒の話もしたいんですけど、そもそも全女って「三禁(酒・タバコ・恋愛禁止)」じゃないですか。
豊田:25歳までは守ってましたね。そのころから会社の経営もおかしくなって、選手の大量離脱があって、それから「三禁なんて言い出したら選手がまたいなくなる!」って、すごくゆるくなったんですよ。でも、だからといって外に出て、ファンの方もいるかもしれないのに、そこでお酒を飲むのはどうかな? とは思ってたんで、なるべく人に会わないところで飲むようにしてましたね。
──そこにはレスラーとしての一線があったんですね。
豊田:巡業先なんかでは、よく居酒屋に行ってましたけど、そういう時もお酒は飲まなかったですね。少しずつゆるくなっていった感じではありますけど、今みたいな汚い飲み方はしてないです(笑)。
──汚い飲み方って!
豊田:飲み始めの若い頃はかわいい時期があって、「甘いのしか飲めない」とか言ってたんですよ、ピーチツリーフィズとか(笑)。いまは甘い方が頭痛くなって飲めないですけどね!
──好きなお酒、よく飲むお酒が変わったんですね?
豊田:もともとビールがあんまり飲めなくって。甘いのからはじめて、しばらくは焼酎ばっかりで、それからワインにハマったんです。でも焼酎とワインの二日酔いって半端ないじゃないですか。でもハイボールになってから二日酔いがなくなって。今は家で、炭酸1リットル分のハイボール飲んでます。それ飲んで一日が終わる感じで。
──炭酸1リットル分! ちなみにアテのおすすめは?
豊田:岩下の新生姜ですね(キッパリと)。
──「有吉反省会」に呼ばれるほどお好きだという(笑)。どんな食べ方してるんですか?
豊田:そのままでも美味しいですけど、豚肉と相性がいいから、でっかい新生姜に豚肉を巻いて何も味付けせずにフライパンで焼くだけで美味しいですよ。くるむのが面倒くさければ、適当な大きさに切ってただ炒めるだけでもぜんぜんいけます。ちょっとポン酢を加えてもいいですね。あと、この間チャーハンに入れたら美味しかったし、何にでも合います!
──新生姜をよく食べるようになったのはいつ頃からですか?
豊田:この3、4年くらいですね。同郷のプロレスラー、日高郁人の奥さんで歌手のあびこめぐみが栃木県出身(岩下の新生姜を製造する岩下食品は栃木市が本社)で、彼女から教えてもらったんですよ。
一度食べて「何これ、美味しい!」から梅干しに乗せたり、カレーにも乗せたりしてツイッターに投稿したら、「有吉反省会」に見つかってしまい(笑)。それにあそこの社長もすごいんですよ、ツイッターとかすごいチェックしてくれてて。
豊田真奈美が有吉反省会で神と崇めた岩下の新生姜社長がアイスリボンのミヤティコ初来日試合へサプライズ登場! | バトル・ニュース https://t.co/j04iDpCQb8
— 岩下 和了 (@shinshoga) May 18, 2019
いえいえ!豊田真奈美様こそ女神です!しても、この怒涛の展開。わけがわからないよ…。
──岩下社長、自分でもエゴサがすごいって書いてますからね(笑)。
豊田:「大事なお客様」リストに入れられて、それでもっと食べるようになって……まんまと社長の戦略にハマってますね。いまや新生姜がないと不安になってしまう(笑)。
プロレスラーたちが集まる「豊田食堂」
選手としては引退しても、アイスリボンのスーパーバイザーをはじめ、多くの現役・元レスラーたちと交流がある豊田さん。時々レスラー仲間を家に招いて、ごはんをふるまっているのだとか。
レパートリーの多さもあって、豊田さんの自宅はいつしか「豊田食堂」と呼ばれるように。
──ツイッターを見ても、豊田さんの美味しいごはんとお酒の様子が日々伝わってきますよね。そんな中で、豊田さんの最近の得意料理はなんですか?
豊田:簡単に見栄え良く作るとなると、ローストビーフとか。先日もアイスリボンの試合後にアフターパーティっていうイベントがあって、そこでローストビーフを出しましたね。うちに来る仲間達は、わたしのことを「お母ちゃん」って呼ぶんですけど、「ねえねえお母ちゃん、これ作ってー」って。お題を出されれば、何でも作りますよ!
──まさにお母ちゃんですね。
豊田:あと自分が好きなものというと、子供の頃から食べてたから、やっぱり刺身ですね。ブリが好きなんですよ。ネットオークションでブリまるまる一本落札したこともあります。しかも二度(笑)。
──それを豊田さんがさばいて、皆で食べるんですか。
豊田:そうそう。ジャガーさん(ジャガー横田)の結婚式でいただいた引き出物が「選べるカタログ」だったんで、さばくために包丁セットをもらって(笑)。
──刺身をつまみながらハイボールを飲む、と。
豊田:そうそう。「今日くらい飲むのやめてみようか」とか思っても、今は糖質制限で米を食べないようにおかずだけなんですけど、もう酒のアテばっかりになっちゃうんですよ。「これだと飲まなきゃダメだろう!」ってなっちゃうんです(笑)。
(写真提供:©️OZアカデミー)
──ツイッターを見ると、本当にお酒の投稿多いですからね(笑)。
豊田:毎日記憶がなくなるくらい飲んで寝るんですけど、お酒が入るとひとりで楽しくなっちゃうんですよ。ツイッターでリプ返したりとか、「晩酌」って投稿してるときはだいたい酔っ払ってます(笑)。ツイッターで誰かと会話したら、誰かと飲んでる気分になるじゃないですか!
──いい時代ですねえ、あの豊田真奈美とリアルタイムで晩酌ができるなんて(笑)。
・・・
現役時代、見る者を圧倒する感情むき出しの試合をしていた豊田さん。
そのころの姿が想像つかないほど、おっとりとした笑顔でめしの話、選手時代の話を語ってくれました。その強烈な試合も今思えばプロレス愛のたまもの。
戦いを終えた今、その愛はそのままにお酒と新生姜が好きな「プロレス界のお母ちゃん」として見守ってくれています。
インタビュー撮影:平山訓生
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