39年かけて集めた約3万点の洋酒コレクションを博物館に。ウイスキーに人生を捧げた男の「夢の城」

洋酒に憧れた少年は、ウイスキーの奥深さに魅せられ、気付けば国内有数の収集家になっていた。やがて膨大なコレクションはミュージアムという形に結実し──。その波瀾万丈で酔狂な半生とは。

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「日田天領水」などで知られる大分県日田市。この街に「天領日田洋酒博物館」という私設のミュージアムがある。館内には洋酒にまつわる約3万点のコレクションがずらりと並び、古い洋画の世界のような雰囲気が漂う。洋酒好きならたまらなく心躍る場所だ。

 

運営するのは高嶋甲子郎さん(上写真)。

 

聞けば、ここにある約3万点のコレクションはすべて個人で収集したもの。13歳の時から39年かけて財産のほとんどを注ぎ込んできた。「酔狂ですよ」と高嶋さんは笑う。

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通常、お酒のメーカーが運営するミュージアムでは自社のコレクションは展示しているが、メーカーの枠を超えてあらゆる洋酒コレクションが見られるのは世界的に見ても貴重な場所だ。実際、海外からもわざわざここを目指して訪れる人もいる。

 

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▲禁酒法時代の密造酒やニッカウヰスキーが初めて作ったウイスキー、高級車や動物などを模したさまざまなボトル……。作られた時代の息遣いを感じられるようなコレクションの数々がある

 

一体どのようにしてこれだけのコレクションを集めてきたのか、洋酒のどこが高嶋さんを惹きつけてやまないのか。洋酒を巡る高嶋さんの壮大な物語、少しの間お付き合いいただきたい。

 

 

館内は右も左もお宝だらけ

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JR日田駅から徒歩約8分。天領日田洋酒博物館は市内の中心街にある。

 

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入館料は500円。高嶋さんが解説してくれるので、洋酒に詳しくない人も見どころがわかって楽しい。

 

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館内でひときわ目を引くのが、黄金に輝くこちらの蒸留窯。

なんと、ニッカウヰスキー創業当時の初期の蒸留窯だ。

設計したのは、あの竹鶴政孝氏。どうしてニッカウヰスキーのものがここにあるのかは、後のインタビューで明らかに!

 

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2014年から翌年まで放送されていたNHK連続テレビ小説『マッサン』にも登場した赤玉ポートワインのポスターなど。

 

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興味深いのが、当時赤玉ポートワインとセットで配られていたノベルティの針。今よりぐっと針の値段が高かった頃、きっと喜ばれたのだろう。

 

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ニッカの前身「大日本果汁株式会社」で作っていたアップルワイン。

ウイスキーが熟成して販売できるようになるまで、アップルジュースやアップルワインを販売していた。『マッサン』を見ていた人なら見覚えがあるのではないだろうか。当時のままのものを見られることに感動する。

 

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歴史を感じさせるものはたくさんある。これはアメリカ禁酒法時代に闇で流通した密造酒の未開封瓶。歴史的価値の極めて高いものだ。

 

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ティファニーがシーグラム社とコラボして特別に作ったウイスキー。ボトルの3本の輪は、イヤリング、ネックレス、指輪と3つのジュエリーを象徴している。なんとも華やかなボトルだ。

 

プレスリー、モンロー、世界最小ボトルまで

お宝を紹介し出せば、枚挙に暇がない。

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エルビス・プレスリーやマリリン・モンローのボトル! マリリン・モンローのボトルは、かの有名な映画『七年目の浮気』の名シーンを再現している。

 

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注ぎ口は下にあり、スカートを覗き込むようにして注げるようになっているそうだ。細かいところまで作った人たちのセンスを感じる。

 

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一方で、プレスリーボトルの注ぎ口は首。頭が取れるようになっている……!

 

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この汽車のミニチュア、実は中にウイスキーが入っている。メーカーがフェアの際などに、こういったものを飾っていたそうだ。

 

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ヴィンテージカーのファンシーボトル。もちろんこれも中にウイスキーが入っている。

 

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ギネスに登録されている世界最小のウイスキーボトル。こんなに小さいボトルが作れるのか! と驚いた。

 

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犬の表情がたまらなく愛らしい。

 

一つひとつのコレクションどれをとっても興味深く、あっという間に時間が過ぎる。昔のアメリカ映画の中にいるような気分になったところで、ミュージアムの隣にあるバーに場所を移して高嶋さんに話をうかがった。

 

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▲ミュージアムには「kt,s museum bar」を併設。見て飲んで楽しめる場所だ

 

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▲寒い日だったのでホットアップルティーをいただきながら。入館料500円でソフトドリンクが付いてくる

 

少年時代に死ぬほど憧れた「ジョニ黒」

洋酒に魅せられた高嶋さんの人生。原点は少年時代に遡る。

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▲幼少期。高嶋家3人兄弟の次男として生まれた(写真提供:高嶋甲子郎)

 

高嶋さん:うちの親父はウイスキーが好きで、大事に扱っていた様子をよく覚えています。海外旅行に行った時に、当時は超高級品だった「ジョニ黒」を買ってきて家のサイドボードに飾っていました。それを嬉しそうに眺めながら毎晩トリスウイスキーとかサントリーレッドとかを飲んでいるんですよね。

 

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▲ジョニーウォーカーは世界的に有名なスコッチウイスキー。斜めに張られた黒いラベルから日本では「ジョニ黒」の愛称で親しまれてきた。赤いラベルの「ジョニ赤」もある

 

時代は円安・ドル高。長らく1ドル360円の時代が続き、1ドル308円のスミソニアンレートを経て1973年に固定相場制が崩れる。酒税も今よりずっと高く、「ジョニ黒」を買うのに初任給に近いくらいの金額がかかっていた1970年代頃の話だ。だからこそ、海外旅行の際に免税店で買うのがチャンスだった。

 

高嶋さん:そうやって大切に愛でていた「ジョニ黒」を、友達が集まった特別な日にサイドボードから取り出して「みんな! 今日はジョニ黒空けるぞー!」って掲げるんですね。そしたらまわりのおっちゃんたちが「うおーーー!!!」って盛り上がるんですよ。

 

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▲こんなふうに

 

高嶋さん:親父がニコニコしながらボトルを開けて、まず友達に香りをかいでもらう。次にキャップにちょこっと注いで飲ませる。するとおっちゃんたちが「これがジョニ黒かぁーー」って感激して。大人があんなに熱狂するウイスキーってすごいものなんだなって思いました。

 

子ども時代の原体験がその後の価値観に大きな影響を与えた。

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さらに、ある日見た西部劇の映画で、バーボンウイスキーをカウンター越しにスッと滑らせるシーンにすっかり魅せられたという。

 

高嶋さん:もうしびれましたね。かっこよくて。ウイスキーへの憧れは、映画や音楽を通して知るアメリカやヨーロッパへの憧れでもありました。そして大人への憧れでもあります。男のロマンですよ。

 

ウイスキーラベルのデザインのかっこよさにも惹かれた。そうしてウイスキーが醸す大人の空気感の虜になっていく。

 

記念すべきコレクション第一号

高嶋さん:小学校6年生の時に、近所の酒屋さんにウイスキーのポスターが飾ってあったのを見ました。それがむちゃくちゃかっこよくて。「おじちゃん、おばちゃん、このポスターちょうだい、ちょうだい!」ってお願いしました。すると「これはメーカーさんからいただいたものだから、最低でも半年~1年間は飾っておかないといけない。だから飾り終わったらあげる」と。その酒屋さんに行くたびに「まだ? まだ?」とねだりましたね(笑)。そうしたら、中学の入学祝でくださったんです。それが忘れもしない最初のコレクションです。

 

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▲コレクション第一号はこちらのポスター。長い時を経て今もなお天領日田洋酒博物館に飾ってある

 

小学生の時点でアイドルや映画スターのポスターではなく、こういうものを欲しがるとは、やはりタダ者ではない。

 

こうして高嶋さんのコレクター人生が幕を開ける。少年時代からの「欲しいものは粘り強く待ち、交渉する姿勢」は約40年たった今も変わらないばかりか、ますます熟成し続けるばかりだ。

 

コレクター魂、ついに覚醒す

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▲中学時代の写真。左から3番目が高嶋さん(写真提供:高嶋甲子郎)

 

コレクション第一号を皮切りに、中学時代から自分でも酒屋さん、骨董市などを巡って気になる洋酒グッズを買い求めるように。最初の頃は使えるお金も限られていたので、まずはコースターやマドラー、グラス、灰皿などの小さい物から手を出した。

 

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高嶋さん:古い物が大好きで、ヴィンテージ家具や古着など洋酒に限らずいろんなものを集めていました。40キロくらい離れた福岡久留米まで行ったり。アホですよ。パンクして自転車を押して帰って夜中になったり、転んで品物を割ってしまったことも一度や二度じゃありません。

 

レース鳩でお小遣い稼ぎ

あちこち巡っていろんなものを見れば見るほど、骨董品を買うためのお金がもっと欲しくなる。あらゆる金策を模索した結果、いきついたのが鳩だった。

 

高嶋さん:レース鳩50羽くらい飼っていたんですよ。小学校3年の時に流行った『レース鳩0777(レースバトあらし、飯森広一著)』って漫画の影響もあって。お年玉で種バト(つがいのハト)を買いました。そのつがいが一回に卵を2個ずつ生む。いい方を一羽残して、もう一方を販売して。血統証付きのハトだから、一羽3,000~5,000円で売れる。そんな風にしてお小遣いを稼いでいました。あとは、あちこち巡って手に入れたヴィンテージ古着やグッズを、一部自分で販売したりもしていました。

 

「末恐ろしい」とはこのことか。

古物商の免許は? などという無粋なツッコミはこの際やめておこう。鷹揚な昭和の時代のエピソードだ。もちろん18歳になるやいなや古物商の免許は取得した。

 

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▲多くのものを見て回ることで、自然といいものが見分けられるように。ヴィンテージ古着の目利きもできるようになってくる

 

高嶋さんの父・千代三(ちよぞう)さんは、ダンボール会社と家具の問屋を経営していた。千代三さんは7人兄弟だが、その中の千代三さんを含む男5人は皆何か商売をしている、生粋の商売人の家系。高嶋さんも子どもの頃から商売感覚があったようだ。ただ、親兄弟と決定的に違ったのは、稼いだお金をすべてコレクションにつぎ込んでいたことだった。

 

高嶋さん:中学・高校時代は、叔父さんたちのところでアルバイトもしていました。家具屋さん、土木業、飲食店、お金を稼げるなら何でも。叔父さんたちのおかげでいろんな仕事を体験できて資金も稼げました。

 

おしゃれでかっこいい憧れの先輩

自転車で奔走して洋酒グッズを買い集める高嶋さんを、当時の周りの人はどう思っていたのだろうか。

 

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▲日田高校ラグビー部で一緒だった梶原さん。高嶋さんとは30年以上の付き合いだ。梶原さんは日田市で柚子胡椒の製造販売をしている

 

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▲高嶋さんと一緒に、日田特産の食材を使ったオリジナルソースを開発。それがこの「たまがるうソース」(650円)。トマト岩のりソース味と、青じそソース味の2種類があり、肉にかけて食べるのがおいしい。天領日田洋酒博物館内でも販売中

 

梶原さん:甲子郎さんは、当時流行っていたファッションを自分なりにアレンジして着こなしていてかっこよかったですよ。「高嶋先輩みたいなファッションしたいな」と思う憧れの先輩でした。僕は高嶋さんの2歳下の弟と同級生だったんですけど、家に遊びに行くたびに、服とか見せてもらって。部屋にかっこよくディスプレイされているんですよね。

 

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▲高嶋さんは高校から30歳までラグビーを続けた。写真(右側)は大学時代のスナップ(写真提供:高嶋甲子郎)

 

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▲当時高嶋さんから購入したヴィンテージのサンダル。油を塗って大切に保管してあるそう。最近、高嶋さんが梶原さん宅を訪問した際、30年以上昔に売ったサンダルを今でも大切にしている様子を見て感激したそう

 

フォルクスワーゲンに寝袋を積んで沖縄から北海道まで

高校卒業後は福岡の大学へ進学。水を得た魚のように働き始める。

 

高嶋さん:大学生になったら死ぬほど働けるから、昼間はダイエー(当時)の倉庫でヘルメットかぶって発送のバイト。夕方はコンサート警備、夜はバーテンダー。アルバイトの掛け持ち生活を1年続けた後、縁があって福岡のテレビ局でアルバイトを始めました。当時はバブルの時代で給料もいいし、一度に長時間働けるから効率がいい。大卒の初任給よりすこし多いくらいは稼いでいました。

 

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(写真提供:高嶋甲子郎)

 

さらに、高校卒業とほぼ同時に免許を取得し、ローンで中古車を購入。自転車の頃と比べて可動範囲が格段に広がった。これを機に、全国各地へ仕入旅に出かけるように。

 

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▲天領日田洋酒博物館前に展示してあるフォルクスワーゲン。当時購入したのはこれの色違いだ

 

高嶋さん:最初に乗る車はフォルクスワーゲンって決めていました。ずっと憧れていた車です。当時はバブルの一番いい時代で、学生でもローンが組めたんですよ。今なら考えられないですよね。

 

フォルクスワーゲンに寝袋を積んで、全国の酒屋さん、アンティークショップ、骨董市、と沖縄から北海道まで巡る。高速を使わずひたすら下道を通って節約。今のように便利なカーナビはない。訪れたお店は全部ノートに詳しく記録を付けた。

 

高嶋さん:特に印象に残っているのは、佐賀のお店でのことです。ニッカウヰスキーの鏡が置いてあって、それが欲しくてずっと通っていましたがなかなか売ってもらえなくて。7~8回目くらいに行ったときに、いつも接客してくれるお店のおばちゃんがいなくて。息子さん夫婦に、入院中と聞いたので病院へお見舞いに行きました。

 

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▲そのニッカウヰスキーの鏡。当時は鏡関係のノベルティも多く作られていた

 

高嶋さん:おばちゃんは覚えていてくれて。「ああ! あんた日田のお酒集めている高嶋君やね。わざわざ来てくれたと~?」とすごく喜んでくれました。「例の鏡やろ? わざわざお見舞いまで来てくれて、よかったら私からプレゼントするよ」と。コレクションにはそんな思い出がたくさん詰まっています。

 

買い続けることで信頼関係を築く

今のようにインターネットで手軽にオークションに参加できる時代ではない。だから情報収集には独自のネットワークを築いていた。他にも洋酒関連グッズを集めているコレクター仲間と品物や情報を交換していた。

 

高嶋さん:お酒自体はもちろん、ノベルティグッズまでまんべんなく集めているのは私くらい。ミニボトルだけ、コースターだけ、各メーカーさんのものだけとかカテゴリ、ジャンルを分けて集めているコレクターの方はたくさんいらっしゃいます。そういうコレクターの方と情報交換すると、高嶋さん、○○集めているコレクターさんがいます。○○の酒屋さんにこんなのがありました、とか教えてくれるんです。

 

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▲洋酒関連のグッズはボトル、コースター、灰皿、ポスター、鏡、Tシャツ……ととにかく幅が広い。時計は、洋酒メーカーが社員向けの記念品や、一般の懸賞用として作っていたもの

 

いい品物を手に入れるためには、買い続けることも大切だという。

 

高嶋さん:ずっと買い続けているから、いろんな店主さんと顔なじみになります。すると、向こうからウイスキーグッズを探してきてくれるんです。だから、すでに持っているグッズでも、持ってきてくれたら絶対買うようにしていました。金銭的にはかなりきついこともありました。でもわざわざ探して持ってきてくれたからその気持ちに報いるために買います。買い続けていると、10回に一回すごくいいものが入ってくるんです。私の目は2つしかないけれど、骨董屋さんの店主さんたちのおかげで、あらゆるところに目を届かせられるようになるんです。

 

ある程度グッズが増えてきたころは、自分で骨董市に出店して重複したものを売ったりもした。

 

マットレス製造会社がいつの間にかミニ博物館に

大学卒業後は「世の中で一番高いものを売りたい」と東京で住宅営業のセールスマンに。トーク力もあってフットワークの軽い高嶋さんはあっという間にトップセールスマンに上り詰める。稼いだお金をすべてコレクションにつぎ込んだのは言うまでもない。

 

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そうして東京で3年間すごしたのち、当時、ダンボール会社と家具の問屋を経営していた父親から家業を手伝って欲しいと声をかけられ地元の大分へ戻る。時代の流れで問屋業が淘汰されつつあり、新しくマットレス製造に着手するためだ。

トップセールスマンとして収入がぐんぐん上がっていた頃、迷いはなかったのだろうか。

 

高嶋さん:親父から直々に頼まれるのは初めてでしたから。断る選択肢はありませんでした。

 

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▲マットレスを作っている高嶋さん(写真提供:高嶋甲子郎)

 

父親が経営していたもう一つのダンボール会社は高嶋さんの兄が継ぎ、マットレス製造を高嶋さんが始める。予想どおりに年収はぐっと減り、4分の1程度に。

そこで高嶋さんは、マットレスの運搬に使っていた日産キャラバンや2トントラックをヴィンテージ家具や古着の仕入れにも使って骨董業を始める。家業を強引に自分の趣味へ寄せてくるあたりは、もう才能としか言いようがない。

 

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▲日産キャラバン。自転車からスタートして、フォルクスワーゲン、日産キャラバン、2トントラック。高嶋さんの仕入れはスケールを増していく

 

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▲2トントラック。これさえあればもう何でも仕入れができる!(写真提供:高嶋甲子郎)

 

高嶋さん:日産キャラバンや2トントラックのおかげで大きいものを仕入れられるようになりました。そうやってマットレス製造の傍ら好きなことをしていたら、ある時、親父がウチの会社にやって来て、ひっくり返りました。そりゃそうですよ、製造工場がそのままミニ博物館になっているわけですから。「なんじゃこれ!」「どげんすると」「お前バカか」って……。

 

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高嶋さん:でも親父もウイスキー好きだから途中から協力的になりました。「お前今度は何仕入れたんか」って。うちの親父は12年前に亡くなりましたが、親父にもこの博物館見せてあげたかったですね。

 

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▲当時のチラシ

 

その後、マットレス製造会社「kt,s bed」のほかに、アンティーク家具の「kt,s shop」、ヴィンテージ古着の「kt,s vintage wear」を運営した。

 

さらに、後ほど触れるが2011年に「天領日田洋酒博物館」がオープンした際に、会社のミニ博物館だったスペースが空いたため、ここにはビールコレクションを並べた「ビールミュージアム」を作った。

 

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▲ビールミュージアム(画像提供:高嶋甲子郎)

 

とにかくパワフルな高嶋さんのことを、友人は「マグロ」と呼ぶ。止まると死ぬと言われる姿になぞらえて……。

 

ウイスキーの神様が設計した蒸留窯がほしい

高嶋さんが暮らす大分県日田市には、1989年~1999年までニッカウヰスキー九州工場があった。1998年、高嶋さんは「ニッカウヰスキー九州工場が撤退する」という噂を耳にした。

 

高嶋さん:私はニッカウヰスキー九州工場にしょっちゅう蒸留窯を見に行っていました。いつもすごいなって思っていて。まさか撤退するなんて思っていませんでした。聞いたときは、「この蒸留窯を絶対に欲しい!!」って強く思ったわけです。竹鶴政孝さんはスコットランドへ行って、初めて日本人としてウイスキーの作り方を学んだ日本のウイスキーの神様ですよ。その神様が作った初期の窯が欲しくてたまりませんでした。

 

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▲マッサン特設コーナー。朝ドラで竹鶴政孝氏のことを知った人も多いだろう

 

噂を聞きつけるやいなや、居ても立っても居られなくなり工場の受付へ。

 

高嶋さん:「撤退するってお話を聞いたのですが、もしよろしければこの竹鶴さんが作った初期の蒸留窯を私にどうにか売っていただけませんか?」言った瞬間、受付のみんなが「何を言っているのかわからない」という顔をされていましたね(笑)。

 

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▲こんな顔

 

竹鶴政孝氏が作った蒸留窯は、いわばニッカウヰスキーの宝であり、社の礎のようなものだ。それを個人に譲るなんて選択肢は絶対になかっただろう。突然買いたいと交渉に現れた人の存在は、さぞかし奇妙に映ったことだろう。

 

高嶋さん:行くたびに門前払いで。本当に心が折れそうになりましたけれど、気が付くと足が向いているんですよね。どんなに相手にしてもらえなくても、通うことを辞められませんでした。何回目かに行ったときに、奥からしぶしぶ工場長が出てきてくれて。「何度も足を運ばれているみたいですけど、どうしてこれが必要ですか?」と質問されたので、慌てて車へ戻って積んでいたコレクションのアルバム5、6冊を持ってきました。中学から集めていたものを写真にまとめていて。

 

それを見た瞬間、工場長の目の色が変わる。ニッカウヰスキー本社ですら所蔵していないような、初期のニッカウヰスキーのコレクションまで揃っていたからだ。

 

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そして奇跡は起こった

高嶋さん:「私は将来洋酒博物館を作りたい。その中央にウイスキーの神様の蒸留窯を置いて、数十万点のコレクションを並べて、竹鶴さんのすべての功績、ウイスキー文化のすばらしさをいろんな方に伝えたい」と思いを伝えたら感動してくださいました。「だめかもしれないけれど役員会にかけてみる」と工場長さんが言ってくださいました。工場長さんに資料を託して、東京南青山の本社の役員会で話してくださり、私の思いを知った役員会からOKが出ました。奇跡ですよ。

 

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▲1999年、蒸留窯を搬出する様子(写真提供:高嶋甲子郎)

 

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▲予想どおり大がかりな作業となった(写真提供:高嶋甲子郎)

 

搬出からトラック積み込み、設置ととにかく大掛かりな作業に。工事関係者からドア会社の人まで20人以上の人が関わった。もちろんそれらの経費は高嶋さんが支払う。

 

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▲天領日田洋酒博物館に設置する様子(写真提供:高嶋甲子郎)

 

高嶋さん:天領日田洋酒博物館を立ち上げた時に、竹鶴政孝氏のご子息である竹鶴威さんに感謝とご挨拶の手紙を書きました。写真も同封して。お返事に、電報でお祝いの言葉を下さいました。

 

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▲その電報は宝物のように大切に保管している

 

なんとしても洋酒博物館を開こう──。蒸留窯を売ってもらったことで、高嶋さんの決意が固まる。

 

今まで集めてきたコレクションの展覧会を開催した時に「こういうものに囲まれてお酒を飲めるといいですね」といろんな人から言われたことをきっかけに、博物館&バーのスタイルでやろうと方針が固まる。

かくして2011年4月29日、天領日田洋酒博物館がオープンした。

 

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地震、火事、水害、あらゆる苦難が……

ウイスキーの神様が設計した蒸留窯を購入できるなんて、洋酒に魅せられてきた男の人生の集大成ともいうべき奇跡だ。

しかし、いいことばかりではない。思いもよらない苦難の連続が高嶋さんを待ち受けていた。

 

2016年4月に発生した熊本地震。特に4月16日に発生した本震の被害は大きく、日田市では震度5強を観測した。

 

高嶋さん:次の日の朝、洋酒博物館に入った瞬間にむちゃくちゃいい匂いがしました。ウイスキーのボトルがいっぱい割れて、中に入っていたウイスキーの香りが漂っていたんです。

 

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▲大事に集めたコレクションが壊れている様子を見るのは心が痛む(画像提供:高嶋甲子郎)

 

当時の気持ちを尋ねても「いやあ、本当にいい匂いで」と高嶋さんは繰り返す。香りの記憶が鮮烈だったようだ。今まで大きな地震のなかった日田市。予想外のできごとに直面した後、印象に残っているのはそういう細かいディテールなのかもしれない。

 

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(画像提供:高嶋甲子郎)

 

熊本地震の被害はコレクションだけでなく売上にも。観光客が激減してしまった。

 

さらに、忘れもしない2016年7月31日の深夜、バーで仕事をしていた高嶋さんに後輩から一本の電話が入る。

 

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▲夏の夜だった

 

高嶋さん:「会社が燃えているみたいですよ」と言われて。もう頭が真っ白です。それを皮切りに家族からもたくさん電話がきて……。ちょうどその日のお客さんは同級生が多かったので、事情を話してすぐ様子を見に行きました。もう気が動転してしまって、バーを出る前に鍵の閉め方さえもわからなくなりました。そうして会社の方へ向かうと、遠くからオレンジ色の光が見えて……。消防車、警察の方が来ていました。全焼です。

 

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▲焼け跡(画像提供:高嶋甲子郎)

 

経営していたマットレス製造会社、レトロアンティーク家具店、ヴィンテージ古着店、ビールミュージアム、すべてが燃えた。残ったのは別の場所で営業していた天領日田洋酒博物館だけ。

 

高嶋さん:けれども本当に幸運だったのは、近隣や近隣住民への一切の被害がなかったことです。被害があったら私は今こうして皆さんに顔向けできていません。最高に不運ですが、最高に幸運でもありました。駆けつけてくださった警察や消防の方へは感謝してもしきれません。

 

高嶋さんは、今でも消防署の前を通るたびに必ず頭を下げているという。

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▲全焼したビールミュージアム(画像提供:高嶋甲史郎)

 

この恩は一生忘れない

しかし、被害がなかったのは幸いとはいえ、高嶋さんの今までの人生が詰まったものの数々。どんなに辛い体験だっただろうか。

 

13歳の時から集めてきたコレクションは、洋酒以外のお酒(ビール、日本酒、焼酎、ワイン)のものも多く、細かいものまで入れたら10万点以上あった。それがわずか8時間のあいだに全焼。商品はレトロアンティークとヴィンテージばかりなので、商品の保険には入っていなかった。というか、入れる保険がなかったというべきか。被害総額は途方もない金額だ。原因は漏電だった。

 

また辛い話をしてもらうのも気が引けたが、当時のことを聞いてみる。

 

高嶋さん:不思議なことに、落ち込むよりも逆境でかえって私の心の中はメラメラ燃えてきました。それにしてもいっぺんに会社が4つも燃える人はなかなかいないでしょうね。

 

一切の悲壮感のない高嶋さんの軽妙な語り口に驚く。

 

高嶋さん:それは、私の周りの人たちのおかげなんです。

 

真っ先に火事に駆けつけて消火に尽力してくれた警察や消防の方々。そして高嶋さんの長年の大親友がすぐに「高嶋甲子郎支援金」を自主的に作り、全国に散らばった中学、高校、大学の友人たちから支援を募った。「少しでも力になれれば」と多くの人がバーにたくさん飲みに来てくれた。金融機関の人も余裕のある返済計画に協力してくれた。1000人以上の人がお見舞いに来てくれたそうだ。だから今の洋酒博物館があると高嶋さんは言う。

 

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高嶋さん:仕事が終わってノートを付けていて、そのノートがぐちゃぐちゃに濡れるくらいまで毎晩号泣しました。それは火事の悲しさではなくて、助けてくれる人たちの思いやりに感動した涙です。本当にありがたいことですよ。

 

ちなみに、集まった「高嶋甲子郎支援金」の口座は高嶋さんの手……ではなく奥様の手へ。「だって、まずは当面の生活費を何とかしなきゃいけないのに、甲子郎さんに渡したらすぐ仕入れに使っちゃいそうだから」とのこと。

 

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▲梶原さんも「高嶋甲子郎支援金」に参加

 

高嶋さん:あの涙は一生忘れないですね。一番きつい時に助けてくれた。ここからV字回復していっぱい恩返しできる人間になりたい! それが今のパワーの源です。

 

2カ月かけて火事の残務処理をした後に、天領日田洋酒博物館隣のスペースを借りてその年の12月に「kt,s shop」を再オープン。火事からわずか4カ月。すごい勢いだ。隣のスペースは大家さんが駐車場に使っていたが、「がんばりぃ」といって空けてくれたそう。

 

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▲kt,s shop。天領日田洋酒博物館で声をかければお店を開けてくれる

 

高嶋さん:自分の好きなものを集めてきて、好きなようにやってきて、そんな中でも物を買うのと同等にいろんな人の出会いがあり、支えてもらいました。それが私の財産です。だからこそ、自分も人に0.1でも何かしら返していける人間でありたい。いつもそう思っています。

多くの人に支えられ、前へ進んだ。しかし、人生が続く限り「ハッピーエンドでおしまい」となることはないようだ。火事から約1年後の2017年7月、熊本地震で激減した客足も戻り、ようやく少しだけ光が見えてきた頃、今度は九州北部豪雨が発生。再び観光客は減ってしまった。

 

高嶋さん:人生はいろんなことがあります。こういう困難を含めて「生きているなあ」と実感します。大変なことに直面しても、それを受け止めた後は毎日コツコツ真摯に仕事をするだけです。

 

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中古書店チェーンでアルバイトまで

取材の最後に、「そうだ、面白い画像があるんですよ」と見せてくれたのは、なんと大手の中古書店チェーンで働く高嶋さんの写真。

「私、アルバイトしているんです!」とのこと。天領日田洋酒博物館がオープンする前の午前中の時間帯を活用して週に3、4回バイトしている。経営者がアルバイト? いったいどういうことなんだろう。

 

高嶋さん:子どもたち3人まだ学生だし、天領日田洋酒博物館をこれからも守っていくためにとにかく少しでも稼ぎたい。だからミュージアムやバーの営業がない午前中だけ働けるのは都合がよかったんです。古本屋さんで働くっていうのも昔からしてみたかったことの一つで。

顔の広い高嶋さん。地元民がよく訪れる中古書店チェーンだから知り合いが来ることもあるそう。そんな時、みんな高嶋さんがエプロンをして古本の品出しをしている姿を見て驚くのだという。

 

高嶋さん:2度見ならぬ3度見をされますね(笑)。みんなびっくりしています。面白いですよ。

 

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▲これがその姿。確かに3度見してしまう(写真提供:高嶋甲子郎)

 

苦難があっても、軽快にユーモアをもって飄々と生きる高嶋さん。まるで西部劇に登場するさすらいのカウボーイさながらだ。

 

3月の初旬、掲載前の記事確認で電話をしていた時、新型コロナウイルスの影響で大型観光バス6台キャンセル、夜の宴会予約で約150人のキャンセルと現在進行形で厳しい状況に陥っていることを伺った。それでも高嶋さんの声に悲壮感はない。

 

高嶋さん:何が起きたって絶対に負けませんよ! 今だって、日本のみならず世界各国で交渉中のコレクションがたくさんありますから。30年ずっと交渉を続けているモノもあるんですよ。ここをもっといい博物館にしていきます。待っていてください!

 

人生を全力で楽しんでいる高嶋さん、これからも目が離せない。

 

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店舗情報

天領日田洋酒博物館

住所:大分県日田市本庄町3-4
電話:0973-28-5266
営業時間:11:00~17:00
定休日:水曜日
入場料(ソフトドリンク付):高校生以上500円、小中学生300円

kt,s Museum Bar(館内)
営業時間 20:30~24:30
定休日:日曜日(翌日が祝日の場合営業)

ktsmuseum.blog.fc2.com

 

書いた人:横田ちえ

横田ちえ

鹿児島在住フリーライター。九州を中心に取材、WEBと紙の両方で企画から撮影、執筆まで行っています。鹿児島は灰が降るので車のワイパーが傷みやすいのが悩み。温泉が大好きです。

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