※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材を行いました
うれしい裏切りは、人を笑顔にしてくれます。
地下鉄丸ノ内線、大江戸線の中野坂上駅近くにある「酒場食堂とんてき 中野坂上」。
こちらに取材のアポイントを取ったとき、表のテーマは岐阜メシ、裏テーマは元フットサル選手である店主の大場恵さんにアスリートのセカンドキャリアを聞くことでした。
とはいえ、取材前の皮算用が現場でひっくり返るのはよくあること。
それでも事前に企画会議を通ったテーマに紐付けて、それなりにまとめるのもライターの仕事です。
だけど、今回は止めました。
なぜなら、大場さんの人生の時計の針が2倍、3倍のスピードで動いていたからです。
▲店主の大場恵さん
うまい「岐阜メシ」の話はたっぷり出てきます。
もちろん、アスリートのセカンドキャリアの話にもなっていきます。
ただし、現役アスリートや飲食業での独立を計画している人の参考にはなりません。
オリジナリティが強すぎるからです。
では、「酒場食堂とんてき 中野坂上」の紹介から始めましょうか。
大場恵さんは岐阜県出身。中学を卒業後、サッカーのクラブチーム所属を目指して、静岡県の高校に進学。怪我で競技を断念したものの、25歳のとき、岐阜県養老郡養老町で女子フットサルチームを立ち上げ、地域リーグに参戦。日本初の通年リーグとして知られる天竜リーグで初心者中心のチームを優勝に導いた後、2008年、東京の女子フットサル社会人チームに入団。
引退後に同郷の夫と小伝馬町に飲食店を始め、西荻窪への移転を経て、2018年に中野坂上で「酒場食堂とんてき 中野坂上」をオープンしました。
東海地方は赤味噌文化圏
お店の名物は、自家製の赤味噌を使った「自家製赤味噌だれの特製トンテキ」(990円)と「赤味噌でじっくり煮込んだ牛スジどて煮」(660円)。
トンテキとどて煮では、使っている赤味噌が違うそうで、それぞれにお酒を誘う濃いめの味付け。青ネギと唐辛子、ごまが添えられたトンテキはピリ辛でビールとの相性が最高です。
一方、どて煮は、モツを使わず国産牛の牛すじにこだわり、下ごしらえから自家製赤味噌でじわじわ煮込んでいくという手間ひまかけた一品。牛すじの状態によって仕込み時間が変わるので、「煮込み加減は牛の気分次第」なのだとか。
大場さん(以下、大場):赤味噌を使った料理と言うと、名古屋のイメージが強いかもしれませんが、東海地方も赤味噌を使ったメニューの豊富な赤味噌文化圏なんですよ。うちで使っている自家製赤味噌は、私が昔から食べ慣れてきた味をイメージしたもの。トンテキも、どて煮も、食べ終わった後、赤味噌だれが残ると思うので、それにコロッケやメンチを付けて食べるのもおすすめです。
続いて看板メニューとなっているのが、飛騨地方卸売場で取引され、岐阜の地元の精肉店から仕入れている飛騨牛を使った料理。
いいお肉特有の脂の甘みを感じる「飛騨牛ハンバーク」(1,100円)。
肉の存在感が強い「飛騨牛のメンチ(左)」(495円)。サクサクとしっとりの2つの食感が楽しめる「飛騨牛のコロッケ(右)」(385円)。
大場さんにおすすめされた通り、トンテキとどて煮の赤味噌だれを付けて食べると味わいも深まります。
大場:ハンバーグは一応、ソースも添えているんですけど、そのまま食べても飛騨牛の脂の甘みがあっておいしいから、できれば最初は何も付けずにガブッといってもらいたいですね。そのあとにソースを付けて、二段階で味変を楽しんでもらえればなーと。
家々によってスタイルの違う岐阜の庶民派郷土料理「漬物ステーキ」
メニュー表の中で異彩を放つのが、「岐阜県の郷土料理漬物ステーキ」(550円)。
文字だけ見て、タクアンが1本鉄板に乗っている絵面を想像しましたが、出てきたのは薄めの卵焼きの上に、カットして炒めた白菜漬けを乗せ、鰹節を振った「初めまして」の料理。あと引く塩加減で、これまたお酒が進みます。
大場:岐阜県は自宅に鉄板がある文化圏でもあるんです。人参の漬物を炒める家もあれば、タクアンが入っていることも。卵とじになっている場合もありますし、家々によっていろんなスタイルの漬物ステーキがあるんですよ。お店で出しているのは、私が子どもの頃から食べていたスタイルです。
おつまみにピッタリなのが「牛ホルモンからあげ」(660円)。
サクサクの衣を噛みしめると、牛ホルモンの甘い脂がジュワーっと口いっぱいに広がります。
ドリンクに目を向けると「酒場食堂とんてき 中野坂上」は、都内でも有数の「ガラナ推し」のお店でもあります。
▲ガラナ・アンタルチカ(550円)
大場さんと旦那さんが育った地元・岐阜県西部の養老町は、ブラジル人や日系ブラジル人労働者が多く、コーラよりもガラナ飲料がポピュラーな土地柄。なかでも愛着のあるガラナ・アンタルチカ(サッカーブラジル代表の公式スポンサー飲料)を輸入代理店から直接仕入れ、一時期はブラジル料理店を除く都内の飲食店でガラナ売上トップに立っていたこともあるそうです。
大場:私たちにとっては小学生の頃から飲んでいる懐かしい味で、地元のフットサル施設では必ず売っていました。だから、「お店を始めるときは入れたいね」って。赤味噌だれの濃厚な後味をすっきりさせるにはちょうどいいんですよ。
一方、アルコールメニューにはブラジルワインや、サトウキビを原料としたブラジルを代表する蒸留酒「カシャッサ セレッタ」、「カシャッサ ボアジーニャ」(4年物のカシャッサ)、カクテルのカイピリーニャ(カシャッサとライムのカクテル)など、ブラジル色が強いメニューが並びます。
▲「サルトン フラワーズ」(ボトル赤・白共に5,500円)
▲「カイピリーニャ」(880円)
大場:ブラジルのお酒が多いのはフットサルをしていたときに出会った人たちとのつながりが今も続いているからです。ワインは、このお店を始めてからのお客さんがたまたま輸入代理店をされていて、最近メニューに載ったばかりなんです。とにかく人を大事にしてきたことで、ここまでなんとかやってこられた感覚です。お店も、私も。
というわけで、ここから大場さんのインタビューに入ります。
サッカーに打ち込んでいた高校時代に怪我で自暴自棄に
▲店内には大場さんの故郷・岐阜のチーム「FC岐阜」のグッズが並ぶ。プライベートでスポーツ選手が訪れることも
――飲食店を始める前、大場さんはサッカーとフットサルの選手だったと聞きました。
大場:サッカーを始めたのは小3のときで、高1まで。当時はなでしこジャパンという愛称もなかったですし、本気でやりたい女の子がプレーできる場所も少なかったので、小学校高学年か、中学に上がるところで他のスポーツに移る子が多かったんですね。ただ、私が住んでいた東海地方はサッカーが盛んで、高校のときにはサッカー推薦みたいな形で静岡の学校に越境入学しました。
――有望株だったんですね。
大場:ただ、中3の時点でもう膝の怪我を抱えていて、だましだましプレーをしていたんですけど、高1の試合で相手と交錯。顔に相手の頭が当たって、鼻が折れ、脳震盪を起こす怪我をして。顔も腫れるし、心配した親が止めたのもあって、サッカーをやめました。そうすると、今度、越境して寮生活で学校に通う理由もなくなり、高校もやめちゃったんですよ。
――16歳で急展開。
大場:そっからは自暴自棄ですよね。スポーツに打ち込んでいた分、やることがないからグレちゃって、結婚して10代で子どもを産んで、離婚して、その後にフットサルです。
――目まぐるしい! お子さんは何人いらっしゃるんですか?
大場:3人。みんな岐阜で元気にやっています。
――お子さんたちは地元なんですね。高校生くらいですか?
大場:上の子が28歳だったかな? 次女が27歳で、下の子が20歳。成人しちゃうと子どもの年齢って数えないから忘れちゃうよね。
――大人だ。女性に年齢をうかがうのも失礼ですが、大場さんはおいくつですか?
大場:45歳ですよ。はい。いろいろ計算しない! だいたい私、孫も4人いるからね。
――孫!? じゃあ、おばあちゃんなんですか! 見えない……。
大場:一番上の孫はこの春、小学校入学だから、この間、ランドセル買ってあげたよ。
強豪女子フットサルチームを倒すために上京
――ところで、フットサルはいつ出てくるんですか?
大場:フットサルを始めたのは20代後半。2003年だったかな。子育てが少し落ちついた頃、体を動かす程度で蹴り始めたんだけど、女子フットサルの全国大会を会場へ見に行って「本気でやりたい!」と思って。自分を追い込み倒す練習メニューで、体を作っていきました。あれはキツかった。
――当時はまだFリーグ(2007年創設の日本フットサルリーグ)もなく、関東や東海など各地の地域リーグが盛り上がり始めた頃ですよね。女子のチームはまだまだめずらしかったと思いますけど?
大場:そのとおりで、メンバーを募ってチームを作りました。子育て中に出会ったママたちは、「誰々ちゃんのママ」じゃなく、自分を出せる場を求めていたし、個人として認めてもらう環境を作ろう! って。結果的に未経験者が集まり、サッカー経験者は自分だけ、監督は今の旦那が務めるというチームになりました。
――チーム名は?
大場:カッサドール・フェミニーナ。メンバーは少なかったけど、みんな真剣にフットサルと向き合ういいチームでした。mixiのフットサルコミュニティで練習試合の相手を探したり、男子の地域リーグの試合を見てチーム戦術を勉強したり、いい時間が過ごせたなーって。
チームを引っ張る立場になって、本当にうまい選手はフィールドの他の選手に気持ちよくプレーさせる選手なんだという気づきもあったし、ハイライトは東海地区のブラジル人の大会に出場して優勝したこと。最初は日本人の女子チーム? って目で見られていたけど、優勝したことで認められて、ブラジル人のチームとも仲良くなれました。
――そこからチームは快進撃を?
大場:逆に優勝したことでチームとして燃え尽きたというか、一段落したところがあって、私は違う目標に向かいました。
――いよいよ飲食の世界へ?
大場:それはまだ先で。2008年、12年前に東京に来ました。全国大会を何連覇もしている強豪女子フットサルチームが東京にあって、そこを倒したい! と。チームメイトと旦那には、「最後に自分のことだけを考えて、本気で挑戦してもいい?」とお願いしました。
――日本一のチームに選手として加わるんじゃなくて、倒しに来たんですか? 熱すぎる……。
大場:強いチームに入ってもおもしろくないから。で、旦那もWeb関係の仕事がしたいと一緒に上京して、「東京に出たらなんとかなるんじゃない?」という典型的な田舎者の発想ですよね。ところが、入るつもりだった女子チームが解散してしまって、所属ナシの状態になっちゃったんですよ。
やれへん理由じゃなくてやれる理由だけ見ろ
――ちなみに、現在のFリーグでも全選手とプロ契約を結んでいるのは名古屋オーシャンズだけです。当時、女子フットサルでプレーに対する報酬はあったんですか?
大場:スパイクやウェアを提供していただくことはありましたけど、プレーに対する報酬はゼロですね。だから、生活費はテレアポの仕事なんかで賄っていました。ちなみに、当時の上司はお客さんとしてお店に来てくれていますよ。
――入るはずのチームが消滅してしまい、チャンピオンチームを倒したいという挑戦の行方は?
大場:東京都リーグ、関東リーグの女子チームでプレーしましたが、結局、強豪チームを倒すことはできなかったんですけど、最後にそのチームのセレクションを受けたんですよ。
結果は「技術的にはいいけど、年齢が……。若い選手が欲しかった」と。実際、30代半ばでしたから。ただ、プレー自体は認めてもらえたので、それを自分なりの区切りにしました。
引退後に2010年の南アフリカワールドカップの前のイベントで、ミックスチームの日本代表に選ばれて代表ユニを着て、男子の選手たちと一緒にブラジル、スペイン、南アフリカ、デンマークなんかの代表チームと試合をしました。
準決勝の模様が全国放送のニュースで流れたみたいで、携帯にものすごい量のメッセージが届いたことはいい思い出ですね。
――選手として引退を決めて、そこから飲食業に向かったのは?
大場:具体的なプランがあったわけじゃないんですけど、子どもの頃から「年を取ったら小料理屋をやりたい」と思っていて。本気のフットサルから離れたことで、次はどうしようかなと思いながら、フリーのWebデザイナーになっていた旦那に、そんな話をしたんですね。
そしたら、「俺、どこでも仕事できるから、Wi-Fiのあるお店を作ったら?」と。でも、資金もないしな……と悩んでいたら、小伝馬町に物件をみつけてきたんですよ。旦那が。
――どういうことですか?
大場:旦那が希望条件とともに店舗物件を探しているとネットの掲示板に書き込んだら、大家さんの娘さんがたまたまそれを見て、連絡がきたんです。しかも、その物件というのが居抜きの食材付き。
――居抜きはわかりますけど、食材付き?
大場:前の借り主が夜逃げ同然で出ていき、漆器類から缶詰類、調味料、冷凍庫の食材まで全部置いたままで。大家さん的にはすぐ引き継げる人を探していて、格安で借りることができたんです。
――そんなことあるんですね。でも、大場さんたち飲食の経験は?
大場:バイトくらいです。旦那は完全に初心者で、でも「こういうときは、やれへん理由じゃなくてやれる理由だけ見ろ」と前向きで。開店時はカフェバーだったはずが、徐々にランチを出す居酒屋風に業態を変えていき、お客さんも付いてくれて、順調な滑り出しでした。ただ、都市開発で建物の取り壊しが決まり、1年で立ち退きになっちゃったんですよ。
――大変じゃないですか!
大場:でも落ち込んでいても仕方ないから、次のお店の候補地を探して。小伝馬町はオフィス街だったから、今度は住宅街の西荻窪に。ここは2年。契約更新時に大家さんから家賃を上げると言われ、私たちとしてはむしろ少し下げてもらおうと思っていたので、話が折り合わず。しかも、今度は住んでいたマンションが建て替えで立ち退かなくてはならなくなって、上京した当時、暮らし始めた中野に戻ってきました。
人を大事にすることが成功の秘訣
大場:今までは30人、40人入るお店だったので、今度はカウンターだけのお客さんの顔が見えるお店にしたかったんですよね。2018年の2月にオープンして、丸2年。おかげさまで毎日、賑わっています。
――大場さんも旦那さんも飲食未経験だったと言っていましたが、豊富なメニューはどうやって開発していったんですか?
大場:子どもの頃から地元の岐阜で食べていた料理、味付けを思い出しながら増やしていきました。うちのどて煮がモツを使わずに牛すじだけなのは、おばあちゃんがそうしていたからだし、赤味噌の味付けも家でおいしいと思っていた味を再現しつつ、アレンジしています。主に調理を担当している旦那は元々食べ歩きが好きな人で、料理の感覚があるんでしょうね。自分が「うまい!」と思ったメニューを再現しつつ、オリジナルの味にしてくれています。特に中野坂上に来てからは、カウンターのお客さんの感想が直で聞こえるので「うまいものを食わせてやろうモード」に入ったらしく一気に腕前が上がってきました。
――お話を聞く限り、周到な準備をして飲食店を開いたわけではなさそうですが、最初のお店、2つ目のお店、そして「酒場食堂とんてき 中野坂上」もうまくいっています。その秘訣は?
大場:人を大事にする。これだけだと思います。たとえば、今、うちのお店では小笠原諸島、母島で採れた季節の野菜を出しています。これはフットサルでつながったママさん選手が作っている野菜なんですよ。
岐阜の食材はもちろん、ガラナやブラジルのお酒も基本的にフットサル時代の伝手で仕入れていますし、何かピンチになったときに助けてくれるのも友人、知人、お客さん。とにかく出会った人とのつながりを大事にしてやってきた感じです。
――カウンターに立つ上で、大事にしていることはありますか?
大場:飲食店だから、ごはんがおいしいのは当たり前で、お客さんには楽しく集まってもらえる雰囲気を提供できたらと思っています。お客さんの人生相談に乗って叱っちゃうこともあるし、仕事で頑張ったご褒美にうちで食事をしていってくれる若い人もいるし、ここでまたお客さん同士がつながってくれるような関係ができたら最高ですよね。
大場さんのお話を聞いていて、3人分くらいの生き様が詰まっていた気がしました。
怪我で一度サッカーを諦め、10代で結婚、離婚を経験して、20代前半は子育てに奮戦し、20代後半から再びアスリートの道へ。黎明期の女子フットサルを盛り上げながら、30代半ばで一線を退き、ほぼ未経験で飲食店オーナーに。
今回は、そんな大場さんの濃密な人生をダイジェストでまとめたものの、実際はここでは書けないようなエピソードも満載でした。
続きが聞きたい。
もっと深堀りしたい。
経験に裏打ちされた人生相談をお願いしたい。
ということであれば、ぜひ中野坂上へ。うまい岐阜メシと明るいキャラクターの大場ご夫妻が待っています。
撮影:西邑泰和
※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材を行いました
店舗情報
酒場食堂とんてき 中野坂上
住所:東京都中野区本町2-51-13 フラワーハイツ1F
電話:03-6276-4059
営業時間:ランチタイム11:30~14:00(ランチタイムは月・火・水のみの営業) 夜タイム17:00~24:00(月・火・水) 17:00~24:00(木・金・土)
定休日:日曜