50年以上、地元に愛されてきた中華のお店
あなたは広尾にある「中華国泰」というお店をご存じでしょうか?
そう問われて、はい、知っていますという人はそうそういないでしょう。
よほどの町中華好きか、広尾の住人でなければその名前にピンとこないはず。
国泰は、渋谷区広尾にあった古き良き町中華です。
こんな素敵なオムライスが有名でした。
「でした」と過去形なのは、そう、この秋に「中華国泰」は閉店したから。
この記事は50年以上続く老舗中華店の閉店という、多くの人には関係ないけれど、それでもぜひ忘れないでいてほしい出来事に、町中華探検隊の隊員・半澤則吉が追った実録ドキュメントです。
国泰の話をする前に、私が所属する「町中華探検隊」について紹介しましょう。
ライター、カメラマン、編集、デザイナーなどあるゆる職種の町中華好きが集い、その活動をブログに書いてしています。
昔懐かしい大衆中華を記録し、記憶するのが隊の主な活動です。

- 作者:北尾トロ、下関マグロ、竜超、町中華探検隊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/09/22
- メディア:文庫
最近では隊員がテレビに出て、本を出して、雑誌で連載させてもらってと、町中華探検隊はいろんなところで活動中です。
それでも「閉店する町中華」をドキュメントとして扱うのは、今回が初です。
それでは国泰の話を始めましょう。
「広尾の住人に愛され続けたお店」が閉店すると聞いて
かわいいカフェや話題の飲食店がひしめくこの地にも、実は古くから愛されてきた老舗の町中華がありました。
それがここ「中華国泰」。
この夏に、ある本で取材をお願いしてとしたところ、「9月で閉店してしまう」ということをうかがい、急きょ取材させてもらうことになりました。
実はこちらのお店、町中華探検隊でも以前訪問しております。
こちらは下関マグロ隊員の当時のブログです。
僕も2017年にうかがったことがあります。
安くお得なセットメニューがある、コスパも優秀な庶民の味方のお店なんです。
国泰はそんなイメージを持っていて、ずっと記憶に残っていただけに、閉店と聞いてびっくり、それに非常に残念に思いました。
「中華国泰」創業53年の歴史
今回、お話を聞かせてくれたのはホールを1人で取り仕切る幸子さんこと、さっちゃん。
お店を閉めるきっかけ、お店を閉めるにあたってどんな思いをお持ちなのか、細かくお話をうかがいました。
── 閉店前のお忙しい時期にお話を聞かせていただけて、ありがたいです。閉店する直前のお店を紹介することは珍しいのですが、このお店があったことはぜひ、記録しておきたいと思いました。
さっちゃん:あら、そう言っていただけるとうれしいですね。
── お店の歴史から聞かせてください。創業されたのはいつですか?
さっちゃん:だいたいのことしかわからないんですが、先代が麻布十番に作ったお店がここに移ってきたんですよ。それが昭和40年(1965年)頃です。私もまだ東京に来てないからよくわからないんだけど、東京オリンピックの頃はまだ麻布にいたと聞いています。それでその後に広尾に移り、昭和44年(1969年)に今の場所に越して来たんです。
── それでは創業してからだいたい53年ということですね。先代とはどんな関係なんですか?
さっちゃん:初代は私のお姉さんの旦那さん。だから私と秀男さんの代で2代目ですね。
こちらは2代目店主でさっちゃんの旦那さん、秀男さん。
僕がお店にうかがうと、「ごくろうさん」とほほ笑み、帰りにはいつも「ありがとう」と声をかけてくれました。
さっちゃん:私の実家は栃木の足利なんです。お姉さんがお隣に住んでいた、川崎清市さんという方と結婚して。清市さんは当時、麻布十番の中華屋さんを任されていたんですが、その女主人がお店をたたむということで、広尾に移ってきたそう。「のれん、調理器具をそっくりにもらってきた。その代わり退職金はなかった」と聞いています。麻布十番のそのお店も「国泰」というお店で、名前も引き継いだんです。
── さっちゃんが働く前は2人体制だったということですか?
さっちゃん:そういうことですね、当時は姉夫婦が2人で店を切り盛りしていました。
70年代は「出前」の全盛期だった
── さっちゃんは、いつからここのお店で働くことになったのですか?
さっちゃん: 24歳のころでした。お姉さんが妊娠して、私が手伝うことになったんですね。それでそのまま住み着いちゃったわけ(笑)。
── それまではさっちゃんは飲食店の経験はあったのですか?
さっちゃん:まったくないです。ただね、小学校の友達の家が食堂だったんです。私はね、遊びに行ったついでに皿洗いを手伝ったりしてて、たまたまそういうお仕事が嫌いじゃなかったんですね。いつもごほうびでカレーを食べさせてもらって、うれしかったなあ。
── 24歳で東京に来たときはすでにご結婚されていたのですか?
さっちゃん:そのときはまだ結婚していませんでしたね。その後に地元が一緒だった秀男さんと結婚することになってね。これを言うと「いやいや違う!」って秀男さんはいうんだけど、彼は私の後を追っかけて上京してきたのよ(笑)。
── それで秀男さんもお店を手伝うことになったんですね。
さっちゃん:はい、お姉さんが復帰してからは、4人体制になりました。とにかく出前が忙しかったんですよ。
── 70年代の町中華の話をうかがうとよく耳にするのですが、当時は出前が評判だったそうですね。
さっちゃん:雀荘に交番、まわりに会社も多かったしね。あとは一般のお家へも。そりゃあもう、出前が多かったですね。
お店を継いだのは、還暦を超えてから
── 先代が引退されたのはどんなタイミングだったのでしょう?
さっちゃん:そうね、平成18年(2006年)の3月のある朝、清市さんに「俺やめるから、やるんだったら全部使っていいよ」といわれたんです。当時清市さんは70歳。私たちも「その代わり退職金はないよ」と言われて(笑)。それで、秀男さんにどうする? って聞いたら「俺はやってみたい」っていうから私も手伝うことにしたんです。 もう還暦を超えていたんだけどね。2人とも63歳でした。
── スゴイですね、還暦を超えてから自分のお店を持つなんて。ロマンがある!
さっちゃん:それから12年、大変だったけど楽しかった! 4人から2人に従業員が減ったから、お店の流れができるまで本当に大変でした。
── いやあ、それはお忙しかったでしょうね。
さっちゃん:まあまあ若かったからね、頑張れましたよ。それと引き継いだ後にリフォームしたんです。
── 初めて来たときから清潔感のあるお店だと思っていたんですよ。
さっちゃん:お店を引き継いで、改装して、それからは今まで来なかったようなお客さんも入って来てくれて。若い人たちも増えましたね。
── 逆に先代から変えなかったということはありますか。
さっちゃん:料理は先代のものを見よう見まねで作ったという感覚でしたね。それでも世の中のはやりに合わせて、味付けは変えて。やさしい味付けになっていると思いますよ。
▲餃子6個(600円)
たしかに国泰はやさしい味のイメージ。
野菜たっぷりで、塩気もほどよくやさしい味付けの餃子を思い出しました。
お店を継いでから12年。閉店を決めた
── お店を継がれてから12年。お店を閉めると決断されたきっかけは何だったんでしょうか?
さっちゃん:保健所の営業許可証の期限の問題です。それが9月30日までで、これは6年ごとに更新する仕組みで。あと6年できるんだったら更新したんだけどね。
── 6年は長いですね。
さっちゃん:お店を継いだ12年前に、77歳までは頑張ってやろうねって、秀男さんに言ったのを覚えてます。だいたいそのくらいの年齢になったので(インタビュー時には2人は76歳)、いいきっかけかと思いました。
── その77歳という線引きはどこにあったのでしょうか。
さっちゃん:お店をやったという証(あかし)を残したくてね、そのくらいまでは働かないとなあ、と思ったんですよ。
── 今回、閉店を知らせる貼紙を出された後の反響はいかがでしたか?
さっちゃん:貼紙を出したのが8月27日のこと(この取材は9月上旬)。それ以降徐々に、お客さんが増えましたね。初めてというお客さんもいましたよ。
── 昼も評判ですが、夜も羽を伸ばしにやってくる常連のお客さんが多いお店ですね。常連さんは何か言っていらっしゃいましたか。
さっちゃん:困った困った、どこで飲めばいい? どこでおしゃべりすればいい? そんな声をよくかけてもらいました。
── そうですね、たしかに常連さんはみんな、さっちゃんや秀男さんとお話しに来ているというイメージでした。
さっちゃん:私にとって、みんな優しい人に見えるんだよね。飲食店の人もいて、お客さんにもいろいろ作り方を教わりました。うちのお客さんは、面白くて良い人ばかりでしたね。
この日は、インタビュー後にいくつかお料理を作ってもらい、一杯飲ませていただきました。
国泰、その魅惑のメニュー
▲湯豆腐(500円)
お客さんに教わって味を変えたという湯豆腐。
中華屋さんなのに、日本料理店で出るだろうレベルの本格派。
その出汁の味に感動しました。おつまみが多いのも国泰の魅力でした。
▲かき揚げ(350円)
中華屋さんには珍しくなんと、かき揚げも。ここに刻んだチャーシューが入っているというのが国泰オリジナル。こりゃあ酒も進みます!
▲焼酎(割り ウーロン、シークワサー、レモンなど)(480円)
国泰の焼酎は、基本濃い!
安く、いい感じに酔えるので、近所にあった絶対に重宝する町中華だと痛感しました。それで痛飲。
▲アジフライ定食(800円)
看板メニューとあるべきアジフライ。
肉厚で米とも合う! これもお酒に合いました。
▲オムライス(800円)
締めはずっと食べたかったオムライス!
薄焼き卵で超シンプルなつくり。このケチャップのかけ方も素敵です。
名店の町中華、最後の日
そしていよいよ、国泰は閉店の日を迎えてしまいました。
その日、2018年9月21日金曜日はあくにくの雨でした。閉店当日のお忙しいなか、再びさっちゃんのお話を聞かせてもらいます。
── とうとう最後の日ですけど、何か思うことはありますか?
さっちゃん:最後、うーん最後の日なんだよね今日は。実感というよりは、お店をやめるってことはこういうことなんだ、と思いましたね。
さっちゃんの言う「こういうこと」がどういう意味なのか、少し戸惑いました。
でも、店内を見渡すと、さっちゃんの言葉のワケがわかりました。
2週間ぶりに訪れた国泰には、色とりどりの花がそこかしこに飾られていました。
すべてお客さんからいただいたものだそう。
お客さんの愛があふれる光景でした。
さっちゃん:こんなことになるとは思ってなかったから。
── それだけ、愛されていたということですね。
さっちゃん:これだけ反響があると思っていませんでした。ありがたいんだけど、くたびれるな(笑)。最近は毎日、ずっと混雑していました。
── お店を閉めてから、これからさっちゃんがやってみたいものはありますか?
さっちゃん:あるよ! 私はね、午前中3時間から4時間だけ働きたい。午後は自分の時間にしたいんです。
── お家でやるような仕事ですか?
さっちゃん:外で働きたいね。私は掃除が好きだから、掃除の仕事もいいね。
── お店を閉めるのに、もう次のお仕事を考えてらっしゃるとは驚きました。
さっちゃん:でも、今の仕事量から考えるとずっと減るから、大丈夫!
そして、最後の夜
最後の営業が終わる間、お店に入らせてもらいました。
秀男さん、さっちゃんのご家族。
そして昔なじみの常連客がたくさん。
席は満席でしたが、予約客が1人来なかったということでなんとかカウンターに滑り込みます。閉店の9時まで1時間を切っていました。
すでに麺は売り切れです。
さっそくビール大瓶(キリンもしくはサッポロ)(650円)を注文。最後の日のお通しは枝豆でした。
▲中華丼(800円)
そしてこれが、僕が最後に注文した中華丼。
はじめて食べました。こちらもやっぱり、やさしい味でした。
そんな折、横に座っていた常連さんが、あ、今日食べるの忘れていた、と餃子を注文。
それに便乗して私も餃子を注文します。
閉店時刻の9時になる寸前で、これが最後の注文となりました。
本当にここの餃子が好きだった、隣の常連さんはそう熱く語ってくれました。
「ここに来るの、久々になっちゃったんだけど、今日で終わりだからね」
そう言うと彼は、餃子を頬張りました。
閉店の9時が迫っていました。お客さんたちはおのおの、最後の料理を満喫しています。
そして次々とお店を後にしていきます。
何度かこのお店でお会いしたことがある常連さんは、「9時から面白いテレビあるんだよね」と挨拶もそこそこにお店から出て行きました。
そういう別れ方も素敵だと思いました。
それではここからはお客さんと幸子さんの、最後のやりとりです。
覚えている範囲で書かせていただきます。
小さい頃からずっと、国泰にラーメンを食べに来ていました
常連さん(若い男性):お世話になりました。
さっちゃん:ねえ、本当に大きくなって。昼間も来てくれましたけど、混んでいて入れなかったんだよね。ごめんね。
常連さん(若い男性):小さい頃からずっと、国泰にラーメンを食べに来ていました。
さっちゃん:もう高校生になったんだっけ?
常連さん(若い男性):大学生ですね。もうこんなに大きくなっちゃって。
さっちゃん:ねえ、大きくなった。小さな頃から来てもらって、ありがとうね。
常連さん(若い男性):本当、お酒が飲める年齢になってからも来られたことがうれしいです。
さっちゃん:本当、うれしいね。
常連さん(若い男性):お母さんもおじさんも、本当に世話になりました。僕の思い出のお店です。
さっちゃん:ありがとう、お母さんによろしくお伝えください。
昼は入れなかったという青年が、夜に再びラーメンを食べに来たということです。
「僕の思い出のお店です」という言葉が胸に響きました。
彼が食べたラーメンが「中華国泰」にとっても最後のラーメンとなりました。
そして、この青年が帰ってから少し経って、ドラマが起きます。
40〜50代の女性が駆け込んできたのです。
常連さん(50代女性):ご無沙汰してます。
さっちゃん:あら、久しぶり。
常連さん(50代女性):今日、終わるとうかがって、ご挨拶だけでもと思って。
さっちゃん:ありがとうございます。
常連さん(50代女性):さっき、ウチの息子が来たと思うんだけど。
さっちゃん:はい、ついさっき帰りましたよ。
常連さん(50代女性):そうなんですか。
さっちゃん:もう帰っちゃったよ、わざわざありがとうね。
なんと先ほどの大学生のお母さんが、挨拶にやってきたんです。
国泰が街に、家族に愛されていたことがよくわかるシーンでした。
「いつもごちそうさまでした。おいしかった」
とうに閉店時刻9時を回っていました。僕もそろそろ帰ろうとしていました。
すると「準備中」になっているはずの扉が開いて、女性がお店に飛び込んで来ました。
常連さん(若い女性):閉まっているのはわかっていたけど。ありがとうだけ言いたくて。今日で最後なんでしょう。
さっちゃん:あら、いつもありがとう。
常連さん(若い女性):本当はお料理も食べたかったんだけど、仕事で来られなかったから。
さっちゃん:もう終わっちゃったのよ。すいませんね、ありがとう。
常連さん(若い女性):本当に、私も今日会えてうれしかった。いつもごちそうさまでした。おいしかった。ありがとう。
さっちゃん:どうもありがとう。
「おいしかった、ありがとう」
それは国泰というお店に魅了された多くの人の総意に違いありません。
このやりとりを聞いてすぐ、僕はお店を出ました。
一緒に餃子を食べたお兄さんと、僕が最後のお客さんでした。
店内には、秀男さんさっちゃん夫妻と、その家族だけとなりました。
2018年9月21日金曜日、「中華国泰」閉店。
ありがとう、という言葉を、何度も聞いた一日でした。
閉店の瞬間に立ち会って
最後に、閉店のお知らせにあった秀男さんと幸子さんの言葉を一部抜粋して書かせていただきます。
「まだまだお客様と、楽しい日々を送りたいと思いながらも年齢と体調には勝てず、閉店の決意を致したしだいです。長きに渡り支えてくださいました一人一人のお客様に心から感謝の気持ちを込めましてお礼を申し上げます。
また、中華国泰を引き継いでから二人で歩んだ12年も楽しんで営業させていただき、本当にありがとうございました」
秀男さん、幸子さんにとって、そしてお客さんにとってこのお店が「楽しい」ものだったことがよくわかる挨拶文だと思いました。
町中華には、これから何十年も頑張り続けるようなお店もたくさんあります。
僕らはそういうお店にこそ、目を向けていくべきかもしれません。けれどもやはり、こういうお店があったとう記録もしっかり残していかねば、と強く思いました。
老舗が閉店する瞬間を目にして、町中華を探検することの意義をあらためて確認できたように思います。
中華国泰さん。本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
※表記に一部誤りがあったため修正いたしました(2019/3/15)
書いた人:半澤則吉
1983年福島県生まれ。2003年大学入学を期に上京。以来14年に渡りながく一人暮らしを続けている。そのため自炊も好きで、会社員時代はお弁当を作り出勤していた。2013年よりフリーライターとして独立。『散歩の達人』(交通新聞社)にて「町中華探検隊がゆく!」を連載するなどグルメ取材も多い。朝ドラが好き。