地震大国日本。プレートが活動期となり、30年以内に関東大震災や南海トラフ地震のような大規模地震が7割の確率で起こるといわれている。さらには世界的な気候変動によって、これまでになかったような大規模な水害も頻発するようになってきた。
今後、僕たちが無事に生き抜いていくには、災害への心構えや準備が欠かせない。とはいえ、いつ起こるかわからない災害のことなんて考えたくないというのが、ほとんどの人たちの本心ではないか。
今回、紹介する寒川一さんはアウトドアライフアドバイザー。自然の中から飲める水と燃える木々を探すスタディトレッキングを開催したり、すぐに使えるノウハウをイラスト入りで紹介している『キャンプ×防災のプロが教える 新時代の防災術』(学研プラス)を監修したり、アウトドアの技術を使った楽しい防災を提案している。
そもそも彼はなぜ、災害とアウトドアを結びつけて考えるようになったのか。防災術の極意だけでなく、自身のアウトドアと被災体験についても伺った。
アウトドアから防災へと意識が転化するきっかけとなった、3.11での避難経験
――アウトドアはいつ頃からされているんでしょうか?
寒川一さん(以下、寒川):中学生のときからです。年齢でいうと14歳。その頃、実家のある香川県丸亀市を起点に四国各地を2週間ほどかけて、よく自転車旅行をしていました。お金がなかったので、泊まりはもっぱらテントでした。
以来、国内を中心にアウトドアを楽しんでいます。カヌーをしたり、シーカヤックをしたり、自転車に乗ったり。そういった乗り物が好きなため、節約でキャンプをしてきました。
――キャンプやアウトドアという趣味がなぜ仕事へとつながったのでしょうか?
寒川:大学を卒業した後、玩具メーカーの社員となり、その後独立をして輸入業を営みました。転機は40歳のとき。「好きなことをやりたい」という思いがはじけてアウトドアを生業にしたんです。2004年、都内から三浦半島に引っ越し、アウトドアの店をはじめました。カヤックのツアーをしたり、沢登りのガイドをしたり。自宅を兼ねた店舗で焚き火カフェをしたりもしました。
――香川県出身とのことですが、1995年1月の阪神淡路大震災は経験されましたか?
寒川:当時は丸亀に住んでいて、震度4~5ほどの揺れを経験しました。直接の被災者ではないですが、神戸はよく遊びに行ってましたし、そこで起きたことに対してすごく衝撃を受けました。
神戸の地震から学んだのは、物が倒れることで人は被災するということです。なので家具の配置を変えました。あとは寝る場所にホイッスルを置きました。タンスや本棚が倒壊して身動きができなくなったときのために。
また、とても寒い時期でしたので、体温を保持することがいかに大事かということを胸に刻みましたし、電気やガス、水道というライフラインが止まってしまったらすごく深刻な問題になるということもそのときに学びました。
――2011年3月11日の東日本大震災は?
寒川:店舗を兼ねた三浦の自宅2階(木造3階建て)にいました。遅い昼食をとろうとしていたんです。家が倒れるんじゃないかというぐらいの大きな揺れでした。当然、物が落ちたり倒れたりもしました。海抜約10メートルの海が近い立地で、砂地という比較的弱い地盤だったので、余計に揺れたようです。
揺れが収まってから、家の外に出て海を見たんです。すると海水が恐ろしいほど引いていて、深さ5~6メートルあるはずの海の底が一面、露出していました。お年寄りの方々に「津波が来るよ」と言われて、妻とともに高台に急いで移動しました。お年寄りの多くは1960年のチリ地震による津波を覚えていたんです。
――地震や津波の影響は直接にはなかったのですね。
寒川:津波は三浦にも来ましたが、それによる被害はなかったです。ただ、震源地には大きな津波が来ていましたから、しばらくは海岸にたくさんの物が流れ着きました。それらを見るたびに胸が詰まりました。
――東日本大震災で得た教訓は?
寒川:想定外という言葉がすごく使われたように、自然災害は自分たちの想像を上回るんだっていうことを知りました。あとは、避難の大切さですね。何らかの予兆を感じたらすぐに避難すること。それこそ、命を落とされてしまった方の中には、10分早く避難していたら助かったという方もいっぱいおられたと思います。
――三浦から引っ越したのはなぜですか?
寒川:2年前の春、コロナ禍が本格的になったことがきっかけでした。お客さんが途絶えてしまったのを機に、三浦から鎌倉へと引っ越しました。それは海から離れるためという意味もありました。
――どういうことですか?
寒川:それまで台風の被害が何度もあったんです。10年前には暴風雨の中、壁の補強を足そうと外に出ていき、風で飛ばされて背骨と両腕を骨折しました。2019年の9月には立て続けに台風がやってきて、特に台風15号(2019年房総半島台風)は、家を吹き飛ばすほどの暴風が三浦半島を直撃しました。
僕たちはあのときはじめて、家がなくなることを覚悟して友達の家に避難しました。避難所に行かなかったのは、人が多すぎて入れなかったからです。
帰宅後、壁や車に瓦やいろいろな物が無数に刺さっている光景を目にして、驚きました。
約半年たった2020年春、今度はコロナ禍に入ってしまいました。もちろんお客さんは来ません。そういったいろいろなことがあって、「新たな場所に引っ越した方がいい」という結論を出しました。
――自然災害に世界的なパンデミック。苦難が重なったんですね。災害の起きていない間に、より安全な場所に住まいを移すというのも防災の一つなのかもしれませんね。
道具や備蓄、災害に対する心構え
――では次に、アウトドアに防災を加えた取り組みについて聞かせてください。
寒川:東日本大震災の後、CPR(心肺蘇生法)の指導資格を取りました。いわゆるAEDの使い方を人に教えたりできる資格です。それで実際、この10年の間に2人救いました。うち1人は呼吸もない状態でしたが、CRPを使って助けました。救急車で運ばれましたが、その方は幸いにも後遺症も残りませんでした。
その他は、ここ5年ほど行っている飲める水(湧き水)や燃える木々を見つけるワークショップや、防災に関連する書籍の執筆、防災イベントでのアウトドア専門家としてのアドバイスなど、さまざまな機会が増えました。
――アウトドア技術が防災の役に立つと考えて、語るようになったのはなぜですか?
寒川:僕がこれまでガイドとして人に教えたり、自分でキャンプをしたりして関わってきたアウトドアが、ライフラインのない場所で衣食住を組み立てられる技術だということ。そしてその技術は、被災しライフラインがなくなった後に有効だということに気がつくようになったからです。しかもアウトドアなら、そうした技術が楽しんで身につけられる。
アウトドアの技術と、ガイドとして働いてきた経験を併せ持ち、自然災害による被災経験もある僕がサバイバルのノウハウを教えなきゃと思ったんです。
――災害が起こったときの対処の方法について、教えていただけますか?
寒川:被災未経験者の多くは、1週間耐えれば救援物資が届く。それまでの分の備蓄をしておけばいいと考えていると思います。実際、東京都の災害に関するガイドブックには「備蓄は1週間分」と書いてあったりします。これは平均値によってそういわれているんだと思いますが、その通りになるという根拠や確証はありません。
例えば首都圏には、4,400万人以上(2020年9月時点)が暮らしています。その全員に救援物資をくまなく届けるのは難しいと思います。
避難場所の数も足りないのと、コロナ禍に伴う配慮から、ほとんどの方が自宅避難になるといわれています。近所に体育館があってそこへ避難するにしても、人が多すぎれば収容人数をオーバーしてしまいますから。それは家が倒壊するような状況においてもです。30階のタワマンなどに住んでいたらますます大変です。エレベーターもトイレも使えない。
水道にしても止まってしまったら、1週間どころの騒ぎではないと思うんです。実際3.11のとき、東北で水が復旧するまでに、一部早いところがありつつも、全世帯の復旧までには半年ほどかかっています。それにマンパワー的にもかなり大変です。東北や関西で災害が起きたとき、東京やそれ以外のエリアから人が助けに行けますけど、逆に多くの人が住む東京で災害が起きたとき、どこから人が来てくれるのか。人を手配するだけで大変です。
――確かにそうですね……。
寒川:被害がそこまで大きくないエリアでも、例えばコンビニや自動販売機からは、一瞬で商品がなくなります。コンビニにしろ自販機にしろ、在庫が切れても補充できません。都会の人にとってコンビニはライフラインだと思いますから、それらが一切使えなくなるんです。
――居住形態も異なりますし、それぞれの最適解がありますよね。
寒川:だから、起こったときに大変な思いをする前に、できる限りイメージして自分が住んでいるところが被災したらどうなるかをシミュレーションしておくべきです。都会のド真ん中に住んでいる方は、「何かあったら頼むね」とお互いにいい合える関係を作っておくべきでしょう。道具も必要ですが、人間関係も必要です。
――心構えはどうでしょうか?
寒川:何といっても覚えていただきたいのは、次に挙げる「3の法則」です。
「3分」が呼吸、「3時間」が体温保持、「3日」が水分確保、「30日ないし3週間」が食料。これは、言葉が強いですが「できなければ命を落とすタイムリミット」として考えてください。
特に説明が必要なのは2番目の体温保持。人は体温が34度以下(皮膚温度ではなく深部温度)になると、意識が低迷し、最悪の状況だと3時間後には亡くなってしまうといわれています。例えば、3.11のとき、津波に完全にはのまれなかったり、海中に引き込まれたりしなくても、濡れた体のまま数時間いたことで亡くなった方がたくさんいらっしゃったと聞きます。
水分確保に関しては、これは1人あたり3日分ということではなく、1人あたり1週間分の飲料水を3日以内に確保する必要がある、ということ。夏は気温が高く体内の水分が蒸発しやすいため、3日の猶予もないでしょう。さらに、体温が高いお子さんや、体内に水分をためづらいお年寄りの方はもっと短いと思います。ですから、事前に飲料水を備蓄しておくことは大変重要ですが、家族分となると莫大な量になります。そんなときには、汚れた水や病原菌などにも対応できる携帯用の小型浄水器を用意しておくことを、おすすめします。減った分を、川や雨、汲み置きの水などから置き換えて、飲料水として補充することができますし、自宅近くに水源をいくつか確保できる場合は、備蓄量は1週間以下でもよいかと思います。
――なるほど。
寒川:30日ないし3週間は、食料。体温保持や水に比べると、実はそこまで緊急度は高くないんです。2018年に、タイの洞窟でサッカーチームの少年12人とコーチ1人が18日間にわたって閉じ込められた遭難事故がありましたよね。あの事故ではお菓子と体温保持、あとは水分補給が保たれた結果、全員が生還できました。
洞窟の中という温度変化がすごく少ない場所だったことに加え、子供たちが身を寄せ合って体温を維持し、水分に関しては、足元にある汚れた水は飲まず、天井から滴る水だけを飲む。それを徹底的に守ったらしいです。だからこそ過酷な環境の中でも生き延びることができたんです。
そう考えると備蓄品や防災袋で意識すべき優先順位が変わってきます。まずは呼吸を確保して、体温を守って、飲んで安全な水を確保すれば、猶予期間は30日もあるんですから。世界でいろんな災害が起きていますけど、おそらく餓死した人はほぼいないんじゃないかなと思うんです。それぐらい人間の体って蓄えているし、ミネラルなど一部必要な成分はありますけど、本来はほぼ水で生きていける力を持っているんですよ。
――備蓄品や防災袋の備えはどうしたらいいのでしょうか?
寒川:買ったことで満足してしまったり、場合によってはどこかにしまい込んでしまったりしているケースもあると思います。でも、備蓄品や防災袋というのは一つのガイドでしかありませんので、それを基準にして足したり引いたりすればいいわけです。また、水などは量が足りないと、飲まないと命に関わるとわかっていても、減っていくのを見ると心理状態にはよくありませんし、家族であれば喧嘩にもなります。最低限の人数分×3日間の量を、きちんと用意しましょう。
――アウトドア用品はどうですか?
寒川:災害時にアウトドア用品を使うのは良い考えだと思います。平時に家族でキャンプに行ったりして、使い方を楽しみながら覚えておけば、いざというときにも抵抗なく使えます。それに、何もない場所でのキャンプに普段から慣れておくことで、電気やガス、水道といったライフラインが止まっても、アウトドアの技術があればどうにかクリアできると思います。
寒川:そこに加えて、先ほどのような携帯型の小型浄水器や、手回しで発電できるラジオとか太陽電池を用意するといいでしょう。そうした浄水器があれば、川の水も飲めますので、ペットボトルの水がなくなってもなんとかなります。また、電気も電池やバッテリーのように減るだけのものではなく、手回し充電や太陽電池のように自分で生み出すことができるものを揃えましょう。
あとは忘れがちなのですが、「これがなくなったら絶対に困る」というもののスペアも必ず用意しておきましょう。僕の場合は、眼鏡のスペア。一つしかないと、なくしたり壊れたりしたときに、視力的にこれは命取りになる可能性があるなと思って。眼鏡屋も、再開がいつになるかわからないですしね。
――3の法則の2番目に体温保持ということを紹介されました。服が濡れた場合はどうすべきですか?
寒川:体温が下がる前に、まずは脱いだ方がいいですね。体温が奪われてから着替えても、1回下がってしまうとなかなか体温は上がらないですから。そして風が吹かない場所に移動する。着る物がない場合は、体を新聞紙などで包みます。あたたかい空気層を作って体温を保持するんです。でも、それよりもまずは、とにかく濡れないようにする。それが一番大事です。
――寒川さんは体温のことで何か思い出深いことがあったりしますか?
寒川:山に登ったときに僕自身が近しい経験をしたことがあって。想定外の雨に濡れて凍死をしかけました。いきなり意識を失うのではなくて、まずは震えがくるんです。歯がガチガチと鳴ってしまうくらいの、痙攣に近いほどの恐ろしい震え。脳が危機を感じて、体温を上げようとしている生理現象です。それでも体温が上がらない場合、思考能力がどんどんなくなって震えも弱まり、他に言い方が見つからないのですが、もうすべてがどうでもよくなってきます。頭の片隅ではヤバいと思っていても体がまったく動かない状態。そうなると大変危険です。そうならないために、何といっても、繰り返しになりますが、大前提として体を濡らさないことです。
――災害で命の危険が差し迫った人がいた場合はどうでしょう?
寒川:災害も戦争も事故も、やらなきゃならないことは基本的には同じです。
倒れている人を助ける際にまずやるべきことは、安全の確保と同時に、実は体温を保持してあげることなんですね。例えば道路で倒れてたら、体の熱はどんどん道路に奪われていってしまいます。意識がない人は震えのサインも出ませんので、周囲にいる人が外的に何かをしてあげないと死に至ってしまうんです。それはケガをしている、いないは関係ないんです。救うために何が大事なのかが頭に入っていたら助けたり防いだり、できることはたくさんありますし、いざというときにも対処できたりします。
――他の災害と全然当てはまらない例でお聞きしたいのが、コロナ禍のロックダウン下での生活です。数カ月前、上海で「マンションから絶対出るな」という形で外出が禁止されて、買い物にも行けなくなりました。こうした場合の対策はどうでしょうか?
寒川:トイレも電気もガスも使えるわけですよ。だから生死に直接関わるわけではない。普段通りの生活と健康維持にいかに配慮できるかが大事です。運動不足になるのはもう間違いないのと、あと心配すべきはメンタルについてじゃないでしょうか。
人間は、特に閉塞的な空間で、部屋から出ずにずっと暮らしていれば、精神衛生上よくないはずです。シンプルですが、自分が好きなことをするのが一番いいと思います。
逆にいえば、そういう人たちの体験談を聞くっていうのは、とても重要だと思います。上海でロックダウンされた人たちは一体どうやって乗り越えたのか。体験者に聞くのが一番有益だと思います。体験談に勝るものはありません。
――最後に読者に対してメッセージをお願いします。
寒川:500年前までさかのぼったら、誰もがキャンプみたいな生活をしていました。電気・水道・ガスがないのが当たり前だったわけですから。そうした生活ができていたんですよ、我々は。その生活に戻ればいい。みんなできるんだよ、やってたんだよと。
――ありがとうございました。
※画像提供:寒川一
※掲載した画像の無断転載を禁止します。
書いた人:西牟田靖
70年大阪生まれ。国境、歴史、蔵書に家族問題と扱うテーマが幅広いフリーライター。『僕の見た「大日本帝国」』(角川ソフィア文庫)『誰も国境を知らない』(朝日文庫)『本で床は抜けるのか』(中公文庫)『わが子に会えない』(PHP)など著書多数。2019年11月にメシ通での連載をまとめた『極限メシ!』(ポプラ新書)を出版。