駄菓子屋さんの定番商品というと何が思い浮かぶだろうか。
うまい棒、よっちゃんいか、ビッグカツ、ポテトフライ、フルーツ餅とか、まあいろいろもちろんあると思うのだが、きっとこれを挙げたら「あー! あった!」と思い出してくれる方がすごく多いんじゃないだろうか。
「モロッコヨーグル」だ。
「モロッコヨーグル」という、正式な商品名を覚えていないという方もいるかもしれないな。
あの、なんか、丸っこい容器に入っていて、紙のフタをぺらっとめくって食べる、白くてふわふわした謎の食感のお菓子!
酸味があって、ほら、木のへらですくって食べるあれ!
思い出していただけたろうか。
「モロッコヨーグル」のことを言葉で表現するのはなかなか難しいということが今、わかった。
私は「モロッコヨーグル」が好きで、100円渡されて駄菓子屋さんで買い物をしていいという状況があったら、ほぼ間違いなくカゴに入れていた。他のどのお菓子にも似ていない独特の食感と濃厚な甘み、あれが「ああ、駄菓子を食べたー!」っていう満足をもたらしてくれるんだよな。
製造元は大阪のサンヨー製菓
調べてみると「モロッコヨーグル」を作っているサンヨー製菓株式会社は大阪市西成区にあるという。会社のある建物が工場も兼ねており、そこで「モロッコヨーグル」が製造されているらしい。子どもの頃からお世話になっている商品がどんな風に作られているのかちょっとだけでも見てみたい……。
ダメもとで取材を申し込んだところ、「特に大したものではないですが、それでも良ければ」と、許可をもらうことができた。
取材当日。西成区の下町感あふれる景色の中を歩いていくとサンヨー製菓株式会社の建物が見えてきた。
中に通してもらうと、ドアの向こうの空間には「モロッコヨーグル」の箱がうず高く積まれていた。
ここから大阪市中央区の松屋町にある問屋さんへ出荷しているとのこと。
この空間の真上、2階部分が工場になっているそうなので、サンヨー製菓の社長・池田光隆さんに案内してもらった。
エレベーターで2階に上がると、ドアが開くなりいきなり工場部。
ドーン。
町工場然とした雰囲気に思わず見入ってしまう。
ライン全景はこんな感じ。
こうして「モロッコヨーグル」は作られる
作業の邪魔にならぬよう細心の注意を払いつつ中を見学させてもらう。社長の池田さんが説明してくれた各工程の説明に沿って紹介していこう。
製造工程は大きく5つに分かれている。
まずは、「モロッコヨーグル」の中身自体を作る工程。主な原料は植物油脂と砂糖とブドウ糖、そこに酸味料や塩などを加えて味を整えている。それらを撹拌(かくはん)して作られたのがこれ。できたての「モロッコヨーグル」の中身、である。
できあがった“中身”は、チューブを伝って先の工程へ送られる。
次の工程では、「モロッコヨーグル」の特徴であるあの丸いフォルムの容器を並べ、“中身”を注入していく。
整然と並んだ容器がベルトの先へと進む。
“中身”を注入する機械がガチャンと降りると……
はい、あっという間に「モロッコヨーグル」の中身が充てんされました。
一瞬にして一列5個分の「モロッコヨーグル」に充てん完了。
次は「モロッコヨーグル」のシンボルでもあるカラフルなフタを容器に乗せていく工程なのだが、残念ながらこちらは企業秘密。機械にモザイクをかけさせていただきます。
ちなみにこれが容器に乗せられる前のフタ。このまま欲しいかわいさ。
こんな風にフタが乗せられてでてきた「モロッコヨーグル」たち。
次の機械によって、そのフタが容器に密着するようシーリングされる。
これまた「モロッコヨーグル」の特徴である、あのちょっとヒダヒダになったフタ、あの質感を作り出すのが次の工程なのだが、こちらも企業秘密。
製造→充てん→フタ付け、と来て次なる工程は箱詰めである。
フタのついたカラフルな「モロッコヨーグル」たちが列を狭めながら集まってくる。
それを専用の受け皿を使ってガバッとすくいあげる。
これが受け皿。
そして箱に一気に並べ、さらに細かく手で整える。
ちなみにこのレトロな雰囲気の箱もこんな風に積まれているのを見ると迫力がある。
箱詰めが終わったら、最後の工程、ひもかけである。
池田社長が目の前で実演してくれたのだが、あまりにあっという間の手さばきで驚く。
何秒かで1個できあがる感覚。
製造日のスタンプを箱に押し、ダンボール箱に詰めればもう出荷できる状態とのこと。
工場では朝9時から16時過ぎまでラインを稼働させ、5つの工程に各一人ずつ、合計5人体制で全体の流れをカバー。一日におよそ6万個~7万個の「モロッコヨーグル」をここで作り、出荷しているという。
敷地自体はかなりコンパクトなのだが、各工程がとてもシンプルに効率化されており、かなりのハイペースで「モロッコヨーグル」が完成していく様子を見ることができた。
最初はチョコの代用商品だった
場所を移し、改めて池田社長にお話をうかがった。
── 工場見学をさせていただきありがとうございました! 「モロッコヨーグル」はあんな風に作られていたのか! と感動しました。
池田社長:うちの会社ではああやって「モロッコヨーグル」を作って箱詰めをして問屋さんに卸すところまでやっています。逆に言うとその後、問屋さんから先、どんな風に流通していっているのかは全く分からないんです(笑)。
── そうなんですね! まず、「モロッコヨーグル」がいつから販売されているものか教えていただけますか?
池田社長:昭和36年に発売を開始しました。今から56年前ですね。もともとうちの会社ではチョコレート菓子、それも主にウイスキーボンボンを作っていました。チョコレート菓子は夏の暑さの中では流通させられないので、夏になるとウイスキーボンボンが作れない。夏でも作れるお菓子はないだろうか、と当時の社長である祖父がいろいろと考えたそうです。お子さんも夏場は食欲が落ちますよね。そういう時に食べやすいものってなんやろ、と。その結果、ヨーグルトっぽい甘酸っぱいお菓子にしたら暑い時期も食べやすいんじゃないかと、そう考えて「モロッコヨーグル」を作ったそうです。
── おじいさまが初代の社長さんなんですか?
池田社長:そうです。昔は社名も特になく、とにかくいろいろやっていたそうです。ビスケットを一斗缶に詰めて売ったり。60年前、名字をとって池田製菓という社名にして、やっと儲かったのがウイスキーボンボン。あとは、「ソフトチョコレート」っていう、絵の具のチューブみたいな、それが割と売れてようやく生活できるようになったと聞いています。
▲当時の商品がこれ。パッケージかわいすぎる
──「モロッコヨーグル」ができた当初はどういう反響だったんでしょうか。すごく不思議な食べ物ですよね?
池田社長:最初のうちは「こんなの作りました!」って問屋さんに持っていっても全然アカンかったみたいです。「何これ……?」と。それが、今も取引のある松屋町の問屋さんが買ってくれて、東京に卸したところ、珍しさもあってちょっとずつ買ってもらえるようになったと。そうしたらだんだんと問屋さんが「うちも欲しいんやけど」とあちこちの駄菓子屋さんから言われ出して、生産が追い付かなくなったんです。
── 確かに一度食べたら絶対衝撃を受けると思います。
池田社長:最初は夏場だけ作っていて、しばらくはウイスキーボンボンと“二足のわらじ”でやっていたんです。なのですが、ウイスキーボンボンって、昔は、お酒と砂糖と水を混ぜ合わせたものをグツグツ煮て、型に流し込んだものを冷ます。そうすると外側に砂糖の膜ができ、中にアルコール風味の液体が入った状態のものができあがるんですね。それをピンセットで丁寧に持ち上げてチョコレートに浸すんですが、膜が薄くて割れやすいので全体の2割ぐらいはロスしてしまうんです。それで、ある時期に「もうやめよう」ということで、50年近く前から「モロッコヨーグル」一本になって今までやっています。
「モロッコ」の由来は!?
── 商品名の「モロッコ」はどこから来たものなんでしょうか。
池田社長:ヨーグルトっぽいお菓子を作ろうということでネーミングを考える時に、そもそもヨーグルトっていうのはどこ由来のものなのかと。それで祖父が調べてみると、エジプトだとかモンゴルとか、いろいろな地域が起源だという説がある中で、モロッコにも古くからヨーグルトがあって地中海沿岸なんかで飲まれていたらしいと。それで、中でも一番語呂が良いので「モロッコ」にしたと聞いています。
── 初代社長はすごいアイデアマンだったんですね。
池田社長:そうですね。「モロッコヨーグル」自体も今までにないお菓子でしたし。不思議なお菓子でしょう。一番近いものでいうと菓子パンに挟まっているクリームに近いですかね。いわゆる、バタークリームですね。
── ああいうものを作ったのはサンヨー製菓さんが最初ということなんですよね? たとえば、その後、「モロッコヨーグル」の類似品みたいなものも生まれたりしたんでしょうか?
池田社長:はい。これは売れる! ってなって、マネする会社もあり、問屋さんに聞いてみたところ、多い時は10何社も類似品を作っている会社があったそうです(笑)。
── 先ほど製造工程を見せていただいた中で、箱詰めされた「モロッコヨーグル」の入っている箱のデザインが味わい深いなと思いました。あの象の。
池田社長:あれは、今のが3代目のデザインなんです。これが初代のデザインです。
池田社長:そしてこれが2代目ですね。
池田社長:で、これが今使っている3代目の箱です。
── ずっと一貫しているのは象がモチーフだという点ですね。
池田社長:そうです。お菓子は子どもが買ってくれるものですよね。その子どもさんたちに、象のように強く優しくたくましく育って欲しいという祖父の思いがあって、それでこういうイラストを発注したそうです。親子仲良く、という意味も込めて親子の象の絵になっています。一番新しいデザインをもう20年ぐらいは使ってますね。
── なかなか今の時代には作り出せないタッチのイラストですね。かわいいなあ。
池田社長:この2代目のデザインは、40年ほど前から20年間ほど使われていたものなんですが、ある時、友達に「なんであの象、青いの?」と言われたんです。それまでよく考えたことがなかったんですが、確かに青い。青い象って不思議だなと。それで先代の社長に聞いてみたところ、印刷所さんからいくつかのデザイン案が上がってきて、どれにしようかという時に、当時まだ2歳だった私の姉に選ばせたらしいんです(笑)。そしたら、これ! と。
── 2歳の女の子にとって一番目立ったのが青い象さんだったのかも。良い話ですね。
駄菓子屋さんの力になれれば
── そういえば、「モロッコヨーグル」をパンに塗って食べるとおいしいと聞いたことがあるのですが……。
池田社長:はい。いらっしゃいますね! 今、サンヨー製菓では先ほど見ていただいた通常の「モロッコヨーグル」の他に、大きいサイズの「ジャンボヨーグル」も作っているんです。そのきっかけになった話がありまして、ある取引先の方が、小さい頃に「モロッコヨーグル」を10個ぐらい買ってきてそれを食パンに塗って食べていたと。それが大好きだったそうなんです。でも何個も買わなきゃいけないし、ちょっとずつ塗るのが面倒なわけですね。そんな子どもの頃の思いがあって、「できたら大きいのを作って欲しい」とリクエストされまして。「大きいのを腹いっぱい食べるのが夢なんだ!」と(笑)。そう言われても、売れないだろう……と迷ったんですが、その取引先に向けてだけ本当に何個か試しにという感じでやることになったんです。そしたらそれが徐々に好評になって、扱いたいというお店が増えて行ったんです。当初は手作業で作ってたんですが、機械のラインを新たに作って、今は週に一度ぐらいのペースで製造して、1日に6000個から7000個作っています。
── おお、ではパンに塗って食べてみたい人には「ジャンボヨーグル」がおすすめだということですね。他にそういった、「モロッコヨーグル」の豆知識みたいなものはありますか?
池田社長:さっきの話にもあった、箱に描かれた象からの連想だと思うんですが、ウィキペディアに「象の足のような形の容器に入っている」というようなことが書いてあるんです。ヨーグルトって昔は牛乳屋さんが届けるもので、ずんぐりした形のガラス瓶に入ってたんですよ。それをデフォルメしたのが「モロッコヨーグル」の容器の形。なので、あれは違います(笑)。象の足は関係ないです。
── 確かに! ヨーグルトというとああいう瓶でしたよね。
池田社長:それでフタがわりにビニールがかけてあって、輪ゴムで止めてあるような。「モロッコヨーグル」のフタもそれを模したものです。
── 懐かしいですね、ああいうヨーグルト。
池田社長:あと、豆知識と言えるか分からないんですが、あの木のへらがついているでしょう?あれは、ある時期までは羽子板みたいにへらの先が四角くなってたんです。おそらく今50代ぐらいの方だとその時のへらを覚えてらっしゃるかもしれません。でも、今はひょうたん型なんですよ(写真下)。
池田社長:あのへらを輪ゴムで束ねる作業があって、内職でお願いしていたんですが、羽子板型だといちいち一方向にそろえるのが大変だと。ひょうたん型なら前も後も同じ形なのでそろえる必要がない、そのように祖父が気づいて形が変わったそうです。それに羽子板型だと四角いから端の方がすくいきれないんです。それで最後は結局指で食べる(笑)。
── 羽子板時代、知りませんでした! 今日はいろいろとお聞かせいただきありがとうございました。最後にサンヨー製菓の今後の目標がありましたら教えてください。
池田社長:「モロッコヨーグル」にとってはなくてはならない存在である駄菓子屋さんがどんどん町からなくなっています。自分の子ども時代には、駄菓子屋さんはすごく特別な場所でした。子どもたちが大人抜きで楽しめる場所としても、またそこでいろいろなことを学べる場所としてもすごく大事だと思うんです。うちの会社としてもなんとか駄菓子屋さんを支えられないかと考えています。力になれることがあればやりたいなと思っています。この辺りも昔は駄菓子屋さんが何軒もあったんですが今は減ってしまいました。一軒、昔ながらのお店が残っているので行ってみますか?
そう言って池田社長が案内してくれたのは、サンヨー製菓からもほど近い西成区の駄菓子屋・村田商店。
所狭しと並んだお菓子の中にはもちろん「モロッコヨーグル」も。
創業80年近いという村田商店のお母さんに聞いたところ「『モロッコヨーグル』は昔っからずーっと子どもたちが大好き」だという。
子どもにとっての楽園である駄菓子屋さん。ちょっとした小銭さえあればいろいろな物が食べられるあの夢のような場所にはいつも「モロッコヨーグル」の姿があった。これからも、「モロッコヨーグル」とともに、駄菓子屋さんが末永く子どもたちに愛される場として残っていくことを願いたい。
池田社長、ありがとうございました!
取材協力:サンヨー製菓株式会社
※この記事は2017年7月の情報です。