いまや、うどんの一形態として全国で親しまれている「セルフサービス方式」、通称「セルフうどん」。セルフうどんとは、うどんの受け取りからサイドメニューの選択、薬味の盛り付け、食事後の食器の片付けなどを、利用客がおこなう方式のうどん店のことだ。
その始まりは、当然「讃岐うどん」で知られる香川県……かと思っていたら、なんと瀬戸内海のお向かい、岡山県だという。
そのセルフうどんを考案した店が、岡山市中区平井にある「手打ちうどん 名玄(めいげん)」。
名玄が画期的だったのは、うどん店という飲食店の形態でセルフサービスを導入したということだ。
そんなセルフスタイルのうどん店の元祖である、名玄の二代目代表の平井 芳和(ひらい よしかず)さんと、息子で専務の平井 秀和(ひらい ひでかず)さんに、セルフうどん誕生秘話を聞いてみた。
セルフサービスを発明した「手打ちうどん 名玄」
名玄は、岡山市の中心市街地から旭川という大きな川を東へ渡ったところにある。
お店を訪れたのは、平日の14時〜16時ごろ。通常の飲食店ならお客さんが少ない時間でも、ここは別格で次々からへと入店してくる。お昼のピーク時には行列ができるほどの盛況ぶりだという。
現在全国的に広がっているセルフうどんと違い、岡山や香川では自分で麺を湯がき、ダシをかけるというスタイルの店も多い。
いわば「完全セルフスタイル」ともいえよう。
開業時から現在まで、名玄は完全セルフスタイルを貫いている。
「うどん1杯100円」の実現には完全セルフ方式しかなかった
▲名玄の二代目代表の平井 芳和さん(左)と、芳和さんの息子で専務の平井 秀和さん(右)
──はじめまして。最初にうかがいたいのは、こちらの名玄さんがいつからセルフスタイルを導入したかということなんですが……。
芳和さん:昭和51年(1976年)の開業時からですよ。今も変わらず同じスタイルです。
──セルフスタイルを考えたのは、なにかきっかけがあったのですか?
芳和さん:そもそも、セルフスタイルでやろうとかいう考えはなかったんですよ。開業にあたって「うどん1杯 100円」という価格設定を最初に決めたんです。というのも、名玄は後発のうどん店でした。すでにあるうどん店に対抗するには値段を武器にするしかなかったんです。そこで、なんとしても「うどん1杯 100円」を実現するために、いろいろ考えた末に思いついたのが、お客さん自身にうどんを提供する行程の一部を手伝ってもらおうというアイディアでした。だから、私自身もセルフスタイルを考案したという感覚はまったくないんですよ。もちろん「セルフ」という名前はありませんでしたし、私が名前を考えたわけでもありません。
一番の壁は保健所だった
いまでは当たり前になったセルフだが、当時は思わぬ壁もあったようだ。
──セルフスタイルは初の試みだったそうですが、当時苦労されたことは?
芳和さん:まず、一番苦労したのは保健所への対応です。飲食店というのは、基本的に厨房スペースと飲食スペースが明確に分かれてなければいけないんです。ウチではお客さんが麺を湯がくので、厨房の外に湯煎機を置く必要があります。本来なら厨房になければいけないものが、厨房の外にあるんですから、開店前に点検に来た担当者も最初はビックリしていましたね。
▲名玄の湯煎機。お客さんはここで麺をゆがく
──保健所にとってもセルフうどんは初めてですものね。
芳和さん:だから、どうやって説得しようかを必死で考えました。開店予定日がせまっていたんで……。それで焼肉を例にして「焼肉は、お客自身が肉を仕上げる。うちのうどんもお客自身が仕上げるもの。湯煎機は焼肉屋の鉄板と同じだ」と説明したんです。そうすると保健所の担当者もしぶしぶ納得してくれました。
──なるほど! うまい例えですね。
芳和さん:保健所の担当者が退職後に店にいらしたとき「あのときは上司にどう説明しようか本当に困った」と打ち明けられましたね。
──でしょうね……。
芳和さん:実は、完全セルフスタイルの店が多いのは、いまのところ岡山と香川くらい。それ以外の地域では、完全セルフの店は希少だそうです。というのも、ほかの都道府県では、保健所の理解が得られにくいようです。だから、うちと同じお客さんが麺を湯がく「完全セルフ」の店は開業が難しいと聞きました。香川県は古くからうどん文化が発展していますから、理解もされやすかったのかなと思います。お客さんが麺を湯がかないタイプのセルフうどんは、全国に広まっていますね。
子供たちが完全セルフを世に広めてくれた
▲名玄の店内は100席の大箱!
大変だったのは、保健所だけではなかった。お客さんへ理解してもらうのに一苦労。でも、それを救ってくれたのは意外にも子供たちだった。
芳和さん:開業してからは、お客さんへ説明して理解してもらうのに一苦労しました。
──お客さんにとっても初めてのスタイルですからね。
芳和さん:最初のうちは、説明する専門のスタッフを配置しました。スタッフが説明すると「なんでお客がそんなことをしなければならないんだ!」「めんどくさい」「やりたくない!」といって怒るお客さんも。そういう場合は、説明するスタッフが代わりにやってあげました。
──なかなか大変だったんですね……。
芳和さん:そしたら後日、そのお客さんが家族連れで来て。今度は、前にスタッフが教えたことを、自分の子供たちに「こうやってやるんだぞ」って教えてたんですよ。ちょっとおかしかったんですが、素直にうれしかったですね。
──実際に体験してみたら良かったから、家族にも教えたんでしょうね。
芳和さん:あと、このスタイルが広まるのに一役買ったのが、子供たちなんですよ。家族に連れられて子供たちがウチのお店にやってくるんですが、自分でうどんの麺を湯がくって作業が、すごく楽しいようでして。親に「また名玄に行って、うどんを湯がいて食べたいから、連れて行って」とお願いする子供たちも多いようでした。だから家族連れのリピーターは多いですね。
──うどんを湯がくことは、子供たちにとっては興味の的だった。
芳和さん:子供たちにとって、完全セルフスタイルのうどん店は、一種のエンターテインメントだったんだと思いますね。
5年で完全セルフ店が県内50店舗以上に!
名玄の開業後、苦労はあったものの、少しずつお客さんは増えていった 。
──セルフスタイルがうまくいったという手応えを感じたのはいつごろからでしょうか?
芳和さん:実は、手応えを感じたことはなかったんです。とにかくがむしゃらに毎日お店の運営だけに一生懸命で。ほかのことに考えがおよぶ暇がなかったんです。でも、開業から5年ほど経ったときに、地元の新聞記者の方がセルフうどんの調査をしまして、その結果を聞いたときに驚きました。開業時は名玄だけだったセルフうどんの店が、5年で岡山県内に50数店舗にまで増えていたんです。
──想像以上に普及してたんですね。
芳和さん:記者さんの話だと、開店した翌年にはすでにウチと同じようなセルフうどんができていたそうです。やがて、名玄はセルフうどんの元祖と呼ばれるようになりました。今でも、セルフスタイルを勉強したいという相談が来るんです。全国展開している大きなお店も、相談に来たりすることがあります。うちはオープンですから、相談があればお店を見学してもらっていますよ。アドバイスもしています。
本当は公認会計士になりたかった
名玄はセルフうどんの元祖ということで、セルフスタイルというお店の形式ばかりに目がいってしまう。
しかし、肝心のうどんの味は、どこでどのように身につけたのだろうか。
──そもそも、なぜうどん店を開業したのですか?
芳和さん:もともと、うちは父が水処理の事業と建築資材の製造で、母が自宅で青果店をしていました。でも私は家業を継ぐ気はなく、公認会計士を目指して大学に通っていました。
──まったくうどんに縁はなかったのも意外です。
芳和さん:私が大学生だったとき、実家の建材製造業の経営が悪化しました。そこで、新たに父がうどん店を始めることになったんです。私は、卒業したらうどん店を手伝えと父にいわれたのですが、公認会計士を目指しているのだから断りました。でも、しつこく電話がかかってくるので、公認会計士の試験に落ちたら、うどん店を手伝うといったんです。結局、公認会計士の試験は不合格に……。それで、うどん店を始めました。
──かなり消極的な理由だったと。しかしたくさんある選択肢の中から、なぜうどん店を?
芳和さん:建材店の経営が悪化していたので、時間がありませんでした。だから、修行期間が短くてもできることが一つ目の条件。そして、日銭が稼げること、現金商売であることが二つ目。三つ目に、特定のお客さんでなく、不特定多数のお客さんを相手にすること。あと、私の実家の田んぼを、幹線道路の造成のために半分売ったんです。この残った田んぼは、将来幹線道路沿いになるし、広い駐車場も持てる。だから、この土地を生かせることが最後の条件。これらの条件を満たしたのがうどん店だったと聞いています。
──でも、少ない修行期間でうどん店を開業するのは不安ではありませんでしたか?
芳和さん:私がうどん店を手伝うと決まったら、父はすぐに開業日を宣伝したんですよ。だから、意地でも開業までにはうどんを作れるようにならなきゃいけなかったんです。父は、完全に裏方専門だったので。でも、肝心の建物が開業に間に合いそうにない。だから私も業者さんの工事の手伝いをしました。そうして、必死になってやっと店が完成したのが、開業の2日前。
──本当にギリギリだったんですね。うどんの修行はどうやったんですか?
芳和さん:もう時間がありません。すぐに、母の青果店に出入りしていた香川出身の方にうどんの製造を担当してもらいました。気付くと開業まで時間がない中で、今度はダシを考えなきゃいけないんで、あせりました。
──お話を聞いていても、ハラハラしてきました。
芳和さん:うどん屋さんの紹介で、ダシの素材を扱う業者さんに来てもらって、うどんのダシによく使われる材料を並べてもらいました。その中から自分でいろんな組み合わせを試していったんです。そうやっているうちに「これだ!」と思う組み合わせがあって、それをダシに使おうと決めたんです。実は、そのときのダシは今もほとんど変わっていません。あとは、うどん店を切り盛りしながら、実践で勉強していきました。
──ほとんど修行なしで現在の味の原型がつくれたのはすごいですね。
芳和さん:ひとつラッキーだったのは、イリコをダシに使わなかったこと。たとえば、讃岐うどんでは、かけうどんのダシはイリコが定番です。でも、私はそれを知らなかったんですよ。だから、開店直前でダシを考えるときに、定番のイリコを使わないダシが生まれました。イリコを使わなかったことで、上品な風味が広がる名玄独自の味ができたんです。これは正直なところ、運が味方してくれた面はあると思いますね。
──ちなみに「名玄」という店名の由来は?
芳和さん:お世話になっていたお寺の住職にお願いして付けてもらいました。縁起の良い画数と、お店にとって良い意味の漢字を組み合わせたようです。「名」は名人・名店・名物、「玄」は玄人などの意味に繋がるのだと思います。
▲お店に飾られた名付け親の住職による店名の書
体に悪いモノは絶対使いたくない!
──名玄のうどんのこだわりはなんでしょうか?
芳和さん:体に悪い物は絶対に使いたくないですね。名玄のうどんは、お客さんに日常的に食べていただいています。お客さんの生活を後押しするのが、名玄の使命だと思っていますので。昔は海外の小麦粉をブレンドしたものを仕入れていましたが、完全に国産の小麦粉に切り替えましたよ。あわせて、水にもこだわっていますよ。塩素を取り除く浄水器を使っています。
──細かいところまでポリシーやこだわりが感じられます。
芳和さん:あとは、価格を安くすることですね。わざわざお店に来てうどんを食べてくださっているのですから、家で食べるよりも安くしたいんです。オープン時、100円にこだわったのは、そこに理由があります。100円で本格的なうどんが食べられるのは、当時はウチくらいでしたから。もちろん、材料費が高くなるなどしますので、値上げも必要です。でも、ギリギリまで値上げは我慢しました。赤字になったら値上げさせてもらうように決めているんですよ。
父が発展させ、息子が改革する
現在、芳和さんの長男・秀和さんは、名玄の専務として活躍中だ。
もともと、家業を継ぐという意識はなかったという秀和さん。
しかし、同級生から名玄の話をされることが多く、名玄が地元に愛されている店・地元になくてはならないお店だと痛感。悩んだ結果、家業を継ぐ決意をしたそう。
──秀和さんは、大学卒業してすぐに名玄で勤務されているんですか?
秀和さん:大学卒業後、全国チェーンの居酒屋などを展開する大手企業で働いていました。家業を継ぐために勉強したいと思い、外食産業を中心に就職活動をしたんです。現場で店長をやり、そのあと本部で店舗指導・マニュアル作り・メニュー作り・店舗作りなど貴重な経験をしました。そこで10年ほど働き、2016年から名玄で働いています。
──その経験は、現在どのようなかたちで生きているんでしょう。
秀和さん:まずは、わかりにくいという声のあったメニュー表示を、わかりやすく変えました。写真などを入れて、名前や値段、どんな種類があるのかを誰が見てもわかるようにしたんです。あとは、POSレジの導入で誰でもレジが打てるようにしたり、売上の数字などの動きが誰が見てもわかるように見える化したり。また、仕入れ値を改めて、原価率を1%改善しましたよ。その分はお客さんに還元しました。たとえば、ピーク時に店外で待たれるお客さんのために、入口のところに大きめの軒を設置するなどしています。
▲秀和さんが改めたメニュー表示
▲メニューの写真パネルも掲示して 、わかりやすくした
──将来の展望や、やってみたいことなどは?
秀和さん:多店舗展開を考えています。ありがたいことに、遠くからでも定期的に通ってきてくださるお客さんも多いんですよ。だから支店があれば、お客さんも負担が減って喜ぶと思うんです。もちろん、1店舗の形態に比べ、リスク分散の意味もあります。ただ、むやみに店舗を増やすのではなく、望まれる場所に出店し、地域に根ざした店に育てていきたいです。
これが名玄流「完全セルフうどん」の楽しみ方!
名玄が発祥だという「完全セルフスタイル」のうどん。
岡山・香川以外では希少なスタイルなので、どのように食べるのか気になるところ。
そこで、完全セルフうどんの楽しみ方を紹介したい。
秀和さん:入店したら、入口のすぐ横に丼に入ったうどんが並べられているので、好きなものを取ってください。小・中・大があるので、好きなものを選んでくださいね。ちなみに、そばもありますよ。
──では、うどんの中をいただきます!
秀和さん:次に、うどんの受け取り口の横に大きな湯煎機があります。備え付けの「湯切り」に麺を入れて、湯の中に浸けてゆがいてください。
──どれくらい湯がけばいいですか?
秀和さん:湯がく時間の目安は、だいたい10秒ほど。あとは、個人の好みで短くしたり長くしたり調整してくださいね。
秀和さん:湯がき終わったら、ふたたび丼にうどんを入れてくださいね。
秀和さん:天ぷらやサイドメニューが欲しい場合は、並んでいる中から好きなものを取ってください。
──たくさんあって、どれもおいしそう。迷ってしまいます!
秀和さん:取り終わったら、レジで会計です。天ぷらやサイドメニューを取らない場合は、うどんを湯がいたあとに、そのままレジへ行ってください。
秀和さん:会計が終わったら、無料の天かすやネギなどの薬味をお好みでどうぞ!
秀和さん:最後にダシの補給機で、ダシを入れます。ダシは、レバーを倒すと蛇口から出てきますよ。
秀和さん:名玄では、「甘口」と「辛口」の2種類のダシがあるので、好きな方を選んでくださいね。
──かなり迷いますが、甘口をいただきます!
秀和さん:ダシを入れたら、好きな席に座ってうどんを召し上がってください。
秀和さん:食べ終わったら、お手数ですが食器は返却口までお願いします。
迷うこと必至? なおすすめメニュー
▲うどんは「かけうどん」のほか「ざるうどん」「氷うどん」「ぶっかけうどん」「カレーうどん」がある
▲一番のおすすめが、創業時から変わらぬ味の「かけうどん」(写真は中盛り、250円)
▲さらに天ぷら「ゲソ」「ちくわ」「大葉」を乗せてみた
これで、総額530円(税込)! 安い!
- かけうどん(中):250円
- 天ぷら ゲソ:130円
- 天ぷら ちくわ:100円
- 天ぷら 大葉:50円
※価格は2019年(令和元年)8月現在(いずれも消費税込)
▲うどんの麺はコシがあり、モチモチとした弾力も楽しめる
▲天をつくような大きなゲソ天は、食べ応えがありそう
なお、天ぷらを切るためのハサミも用意されているので、食べやすい大きさに切って食べよう。
▲今回は甘口のダシをかけてみた。透明感のあるダシは、上品で香りが豊か。
讃岐うどんのかけうどんのダシとはちょっとちがった趣だ。
なお、辛口のだしは甘みが控えめで塩味が強め。上品な香りは同じだ。
品数日本一? 天ぷらナント27種類!
名玄は、うどん以外にもサイドメニューも大変力を入れている。
▲2019年現在の天ぷらの品数は、27種類 。ほかにもおにぎりも種類が豊富だ
秀和さん:おそらく日本のうどん店の中で、一番天ぷらの品数が多いと思います。お客さんに、選ぶ楽しみも提供したいんです。
最初は仕入れていたという天ぷらも、お客さんの要望に応えるためにお店で作るようになり、品数も増やしていった結果、27種類になったという。
秀和さん:ちなみに、売上ナンバー1は「ちくわ」です。2位は「あげ」、3位は「ゲソ」ですよ。あと「かき揚げ」もご好評いただいています!
さらに「バラ寿司」や「いなり寿司」もファンの多いサイドメニューだ。
▲バラ寿司も好評
芳和さん:実は、青果店をやっていた母のメニューなんですよ。うどん店をいっしょに切り盛りしてくれていて、そのときに母が作っていたのが、バラ寿司やいなり寿司。もともとは私の家の家庭料理です。当時の母のレシピのまま、今もお店で作っていますよ。
まさに「おふくろの味」。
このような懐かしの味が楽しめるのも、名玄が長く愛される秘密かもしれない。
創業日の10月8日は「セルフうどんの日」 に
セルフサービスのうどんを考案した名玄。
創業の日である1976年10月8日にちなんで、毎年10月8日は「セルフうどんの日」として2015年に日本記念日協会によって認定・登録された。
▲店舗に飾られている登録証がこれ。ぜひ覚えておくべし!
セルフうどん発祥の店・名玄は、セルフスタイルにこだわりながら、それ以上にうどんやサイドメニューへのこだわりを持つ、地域に愛される店だった。
店舗情報
手打ちうどん 名玄
住所:岡山県岡山市中区平井6丁目7-17
電話:086-273-5472
営業時間:8:00~20:00
定休日:年末年始、お盆期間