あの大ブームは、なんだったのか
本格的なとんこつラーメンブームを巻き起こし、まさに一世を風靡した、あの店が復活している。
そう、とんこつラーメンブームの仕掛け人、環七ラーメン戦争の王者、平成ラーメン史に太字ゴシックでその名を刻む「なんでんかんでん」だ。
日本がバブルに湧いていた1987年に環状七号線沿いに本店がオープン、全国のラーメンファンに愛された。
期間限定の店も入れると過去には最高で16店舗まで拡大したこともあったが、その後2012年に環七沿いの本店が閉店し、全店が閉店。
だが、2018年9月、実に6年ぶりにその味が復活した。高円寺店ができ2020年からは渋谷肉横丁に舞台を移して「なんでんかんでん第2章」が始まっている。
と、なるとやはりこの人の話が聞きたい!
そう、なんでんかんでんフーズ社長の川原ひろしさんだ。
今も変わらず名物社長であり続ける川原さん。「なんでんかんでん」の今について、うかがいたい!
ということで、今回は川原さんと高円寺店で一杯やることに。
私、ライター半澤は36歳。当時、日本テレビで放映された番組『マネーの虎』を熱をあげて見ていただけに、これは興奮する。
あのブームはどうやって生まれたのか? 空白の6年間、彼はどうしていたのか?
そして、これからのこと……世の「なんでんかんでん」ファンが聞きたいことを、河原社長と一杯やりながら洗いざらい伺いました。
社会現象とまで言われた「とんこつラーメンブーム」が起こった理由
川原ひろし社長(以下敬称略・川原):まず乾杯しよう。
──ありがとうございます。川原さんはビールじゃなくていいですか?
川原:俺ね、ビールはあんまり飲めないんだよ。ウーロンハイちょーだい!
──まず、歴史的な話から聞かせていただきます。1987年に環七沿いに「なんでんかんでん」がオープンしたわけですが、一番混んだのはいつだったでしょう?
川原:90年台〜2005年までくらいかなあ。オープンのときは、うちの親父から金を借りてやって。最初2年くらいはあんまり混まなくてね、親父にも、もうやめろっていわれてたんだ。
──それでもやめなかった。
川原:そう。来るお客さんはみんなリピーターになってきてたからね。こうやってファンの裾野を広げて、3年ガマンすればうまくいくと思ってたんだよ。そしたら予想通り、3年後を境に明確に混みだしたね。
▲オープンから3年ほどして、「なんでんかんでん」は行列店に。社会現象となった
──90年台というとバブルの終わりかけの頃って感じですかね。
川原:たしかに、お客さんもよくタクシーで世田谷までラーメンを食べに来てたよね。タイミングがよかったの、俺は。とんこつラーメンは当時ほとんど東京になかったし、替玉って文化も珍しかったし。福岡よりもうまいとんこつを、っていうのが意識の中にはあって、とにかく頑張ってたね。
芸能活動をしているうちに見出した「とんこつ」という道
そうこうしているうちに、つまみが届く。
ふくやの一口明太子(250円)は福岡の味を東京に伝える、この店の特徴的なメニューだ。これをつまみに酒を飲み交わすうちに、川原さんが「とんこつ」で勝負することになったきっかけを聞くに至った。
川原:俺は下積みってしたことないの。修行もしてない。ただ、ラーメンが大好きだったんだよね。とんこつ=ラーメンだと思ってたから、東京に来たときにびっくりした。たま〜に「とんこつ」って謳ったラーメンを食べたとしても、満足できるものはなかったね。
──とんこつは、今でこそ東京でも一般的ですが、当時はなかったんですね。
川原:そうなんだよ。ある日、流行ってると噂のとんこつラーメンの店に行ったら、とんこつを使わず缶のスープ使ってたんだよね。あれには呆れたね(笑)。
──その頃はすでに飲食店の道を目指してらっしゃったんですか?
川原:いやいや、俺はもともとオペラ歌手になりたくて。華やかな世界を目指してたから、ラーメン屋は真逆だった。
──なるほど、昔は芸人さんの付き人をされていたり、歌手をされていたと聞いております。
川原:俺が「Wけんじ」(*1)の付き人をやっていたときに、師匠と環七沿いにあるラーメンの大繁盛店に入ったんだよね。あの店は混んでたなあ。うちの師匠もラーメンが大好きな人で、一緒に行ったら、これがギトギトの脂っこい醤油ラーメンだったんだよね。それが、「うめ〜!」と思ったんだよ。こんな脂っこいのを東京の人が食べるということにも驚いた。「そうか、これならとんこつもいける」って思った。それが決め手だね。
(*1)東けんじと宮城けんじの漫才コンビ。ロイドメガネの東のボケと、宮城の鮮やかなツッコミで人気に。1960年代から90年代まで活躍した
──なるほど、脂っこいラーメンにも勝機がある、と気づかれたんですね。
川原:あとね、当時「銀巴里」(*2)で、シャンソンを歌っていたんだけど、ある人から「シャンソンていうのは、人生を歌うものなのよ」って教わってね。
──なるほど、深いですね(笑)。
川原:その人が「二十歳そこそこで歌ってもね、じ〜んとこないわよ」と、こういうわけよ。歌手は早くデビューしないといけないと思ってたんだけど、そのおばちゃんにいわれて、なるほど年取ってから歌ってもいいんだ、って逆に焦りがなくなったんだ。
──めっちゃプラス思考!
川原:たださ、根が目立ちたがりだからさ! とんこつラーメンをやれば、目立てるんじゃないかと思ったんだよね。
(*2)銀座にあった日本初のシャンソン喫茶。美輪明宏、三島由紀夫、寺山修司などが集ったことでも知られる。日本シャンソンの聖地
伝説の店が閉店してしまった「意外な理由」とは
ここで次のつまみが!
煮込み(250円)。こちらは牛すじの煮込みながら、塩とニンニクで意外とさっぱり。
柚子胡椒で味変すると上品な風味に仕上がります。
さらにビールを追加で注文したところで、環七の行列ができた大繁盛店を閉めるまでのいきさつを聞くこととなった。
川原:環七の店の当時の最高売り上げは、夜だけの営業で1日130万円。
──それはすごいですね。
川原:今より単価が安い時代だから、よく頑張ってたよね。
──その環七の店は2012年に閉店してしまったわけですが、どんな経緯があったのでしょう。
川原:当時は金沢、新潟3店舗、神奈川にも店があって、各店でスープを炊いていたんだけど、味に安定感がなかった。あと、店員がみんな、すぐ辞めちゃうんだよね。フランチャイズ経営の難しさみたいなものはとても感じていたんだよ。
──なるほど、たくさん店舗を出すのは、1店舗を繁盛させるのとは意味合いが違いますね。
川原:そう、それで1回閉めようってなったんだ。環七で27年もやって休みたいっていうのもあった。でもね、ここだけの話、本当は次の店舗に移るつもりだったんだ。でも、次に開店を予定していたビルのオーナーにとんこつが「臭い」って言われてしまって。引っ越しできなくなったというのが、閉店の最大の理由(笑)。
──僕も大学入った頃、環七時代によく行かせてもらってたんですよ、匂いは確かに独特だけど、あれがいいんですよね! 「マネーの虎」の川原さんに会えてうれしかったし、東京に来たんだなあと実感したものです。
川原:どこ出身なの?
──福島なんです。二本松という街で。
川原:俺が東京に来て初めてつきあった女性が、二本松の出身だったなあ(笑)。
川原ひろしが「空白の6年」でやっていたこと
と、驚きの告白に思わず笑ったが、ここまで話していて、やはり聞きたいのは空白の6年間の話。店を閉めてから高円寺店を開くまで、川原さんはどうしていたのだろう。
──沈黙されていた期間は何をやってらっしゃたんですか?
川原:その間、何もやってなかったわけじゃないんだよ(笑)。講演会、歌の仕事とか、結婚式の司会とかは今もやってるんだよね。『マネーの虎』のファンからも呼んでもらえるんだ。
──なるほど!
川原:あと催眠術の個人レッスンもやってる。
▲川原社長の催眠術ポーズ
──それは幅広すぎですね!
川原:あとね、もちろんちゃんとラーメンのことも考えていた。2012年に本店を閉店したときは、テレビでも取り上げてもらったし、大騒ぎだったんだ。
──たしかに話題になっていましたね。
川原:すると、全国から50人くらい「なんでんかんでん」の味を引き継ぎたい、という人が来てくれた。
──それはすごい!
川原:そのうち数人は本気で「やりたい」って感じだったんだけど、やっぱりスープの味が安定しないんだよ。まだ本店を閉める前で、うちで半分炊いて使ってもらうみたいなことも試したけど、うまくいかなくてね。
──それで、この空白期間に突入したわけですね。
川原:そう、ちゃんとしたスープを作る方法を6年間模索していたんだよ。やっと見つけたのが、スープの工場。
──なるほど、セントラルキッチンを作って味を安定させたってことですね。どこにあるんですか。
──つまり6年のうちに安定供給できる状況ができたんですね。
川原:そう、それで高円寺で再オープンできたわけ。まあ、復活の実験店舗、っていうことだね。
──あ、あのラーメンの話を聞いていたら、やっぱりもうガマンできません。そろそろラーメンをいただいてよいですか?
「あの味」はやはり最高でした
ということで、みなさんお待ちかね。今の「なんでんかんでん」のラーメンをいただきながらお話をすることに。
こってりとんこつスープに大量のチャーシューが浮かぶ、チャーシューメン(1,020円)。肉×チャーシュー。こんなのうまいに決まってるやん。
ネギバカラーメン(1,020円)。
もう名前のとおりバカな量、ネギが投下されていますが、これが感動もの。
最初にとんこつラーメンにネギを入れた人、本当ありがとう!
そしてこちら、たまごバカラーメン(970円)。
コレステロールとか、カロリーとかもうどうでもいい! たまごの海に溺れたい!
そうそう、これ! のりに文字や広告を入れるというのも川原さんのアイディア。
こういうアイディアが光るのも「なんでんかんでん」の特徴なんですね。
「根性とか、そういう言葉が大嫌いなの」
──では、ラーメンをいただきながらお話を進めましょう。やっぱり、スープがうまいですね。昔と変わらないこの濃厚さが体に沁みます! これからの「なんでんかんでん」についてお話うかがっていいですか。
川原:実は、ロンドンに出店っていう話があるんだ。最近はけっこう日本の店も海外出店してるしね。(その後、話が進展しソーホーから徒歩圏内のボンドストリートに出店することが決定。2020年春にオープン予定)
──なるほど、スープの安定供給の話が、そこにつながるんですね。
川原:ロンドン以外にも、いろいろと可能性はあるんだよね。スープのブレがないやり方が確立できれば海外出店もしやすくなるね。スープの工場、機械の精度とか冷凍技術は以前より上がってきた。これも大きいよね。
──ワールドワイドな展開に期待してます。それにしても、お話を聞いているとつねに川原さんが前向きで、どんどん突き進んでいらっしゃるのがわかります。苦労話みたいなものはないんですか?
川原:僕はね、人生で苦労したことないんだよ。根性とか、そういう言葉が大嫌いなの。小学校の時『巨人の星』が流行ってたけど俺はイヤだったのよ(笑)。
──それは面白いですね。
川原:だから、がんばったことがないの。時代とタイミングと、目の付けどころ。あと、もう一個はね、「人が好き」なんだよ。僕はね、しゃべるのが好き。僕が成功した本当の理由は「見えない世界」。これのおかげだと思う。
──見えない世界とは?
川原:僕ね、日本で一番ありがとうを言ってるラーメン屋だと思ってるんだよ。前の店のときも1人のお客さんに10回はありがとうを言ってたよね。もちろん食べ物屋だから、おいしいに越したことはないんだけど、お客さんが来て喜んでもらえるお店であり続けたいのよ。お客さんに「俺が来てくれて、うれしいんだな」ってそういう風に思ってほしいんだ。
──なるほど、目には見えないけど、提供される料理と同じくらいその想いは大事ですね。
川原:そういう「光線」を発してない店は、行ってもいやだよね。人を好きじゃないとダメよ、商売は。接客は「積極」。「接」だからくっつくことが大事で、結局会話が大事なんだよね。寒いですねとか、お近くですか、とか。そのひと言でいいのよ。
──いやあ、お酒を飲みながら深い話を聞かせていただいて。本当勉強になりました! ありがとうございました。
「なんでんかんでん」が大成功した理由
川原さんは語るだけではない。本当にありがとう! を連発する。
この取材の最中も、すべてのお客さんに挨拶していた。若い常連客を「こいつ、僕の息子みたいなもんだから」と、酒の席に混ぜたりもした。
これ、この人間力が、この店を築いたのだ。
ここに彼の人となりを示す1枚の写真がある。今でも記念撮影に応じ、一見さんにも笑顔でありがとうを繰り返しているのだ。
川原ひろしと一杯飲んでわかったこと。
「人を好きじゃないとダメ」
それは飲食店や接客の極意であり、また人生を生き抜くために、人生を楽しむための極意でもあった。
ぜひ、店でアツアツのとんこつラーメンを食べながら、川原さんの発する光線を浴びてほしい。ラーメンと同じくらいアツアツの熱量に圧倒されるはずだ。
※取材・撮影を行ったのは2019年に高円寺にあった店舗です。2020年の1月中旬に渋谷にて再オープンの予定です。また、金額はすべて2019年夏の参考価格です。
川原社長YouTube公式チャンネル
なんでんかんでん社長川原ひろしYouTube始めました!【なんでんかんでん社長川原ひろし公式チャンネル】
お店情報
なんでんかんでん(渋谷肉横丁店)2020年1月中旬オープン予定
住所:東京都渋谷区宇田川町13-8 ちとせ会館2F渋谷肉横丁内
電話:03-5422-9485
営業時間:18:00~23:00
定休日:不定休
ウェブサイト:http://nandenkanden.tokyo/
書いた人:半澤則吉
1983年福島県生まれ。2003年大学入学を期に上京。以来14年に渡りながく一人暮らしを続けている。そのため自炊も好きで、会社員時代はお弁当を作り出勤していた。2013年よりフリーライターとして独立。『散歩の達人』(交通新聞社)にて「町中華探検隊がゆく!」を連載するなどグルメ取材も多い。朝ドラが好き。