ラーメンとRAMENの決定的な違いとは?生徒7割が外国人のラーメンスクール校長が語る世界的ブームの裏側

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ミシュランにも選ばれ、今や寿司や天ぷらに代わって日本食の代名詞となっているラーメン。和食やフレンチ、イタリアン、中華と比べてハードルが低そうなイメージがあるからなのか、ラーメン店の経営を志す人は多いという。

しかし、現実はそんなに甘いものではないことは素人目から見てもわかる。はたしてラーメン店は儲かる仕事なのだろうか。

※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材を行いました

 

6日間の講習でラーメン店のノウハウを伝授

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大阪府東大阪市の近畿大学からほど近い商店街の一角に「Miyajima Ramen School」なる施設がある。ここはプロフェッショナルラーメンシェフの養成学校で、日本国内のみならず、世界中からラーメンに魅せられた人々が門戸を叩いている。

ramenschool.jp

 

個別指導で1〜6日間までさまざまなコースを用意しているが、みっちりと6日間のコースを受講すれば、ラーメンの作り方や経営するポイントが理解できるという。

 

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実は代表を務めるラーメンプロデューサーの宮島力彩(みやじま りきさい)さんを、筆者は18年前にも取材している。当時は経営悪化に陥ったラーメン店の再建請負人、それも「ラーメン虎の穴」の代表として活動していた。

読者の中にはご存知ない方もいらっしゃるだろうから、念のために説明しておく。「虎の穴」とは、プロレス漫画の名作『タイガーマスク』に登場する残虐非道な悪役レスラー養成機関のこと。地獄の特訓に耐えて生き残った者のみがレスラー(ただし悪役)としてデビューできることから、40代後半以上の世代は、「まるで虎の穴のような厳しいところだった」と、しばしば例え話にも用いられる。

 

宮島氏:今の人たちに「虎の穴」と言っても意味が通じませんからね。今はシンプルにラーメンスクールにしています。

 

宮島さんは、デザイン事務所でグラフィックデザイナーとして働いた後、経営コンサルタントに転職。そこで、あるラーメン店から経営の相談を受けたのがラーメン業界との出会いだった。次第に味についてもアドバイスを求められた。

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宮島氏:もともとラーメンが大好きであちこち食べ歩いていたんですけどね。依頼を受けたラーメン店の経営をほとんど任されるようになり、いっそのこと自分でやってみようと思って、1995年に大阪市中央区でラーメン店をはじめました。長崎ちゃんぽんをヒントに、創作ちゃんぽんを出したところ、大評判となりました。

 

自ら営んでいたラーメン店の成功を機に、宮島氏はラーメン店専門のコンサルタントとして生きていくことを決意。

筆者が出会った頃は、起業してまだまもない頃だった。たしか、当時は味付けを専門に担当するスタッフとして職人もいたと記憶しているが……。

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宮島氏:どうしても職人と師弟のような関係になってしまうので、それは避けたいと考えて廃止しました。繁盛店の経営者となるのにまったく必要ありませんから。ウチに来られるのはあくまで「生徒さん」なので、そのように接しています。生徒さんにはまず美味しいラーメンづくりを教えないと、お店づくりの話まで聞いてくれません。今はそれも私が教えています。

 

「美味しい」は、売れる要素の50%でしかない

20年近くもラーメン業界に身を置く宮島さんは、さまざまなブームを目の当たりにしてきた。

ひと昔前、それこそ昭和、そして平成初期のラーメンは、早い・安い・旨いの三拍子揃ったB級グルメの代表格だった。そこから一つの料理として見直され、評価されるようになったのはいつ頃なのだろうか。

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宮島氏:もう、20年以上前になるでしょうか。食材にこだわって、無添加・無化調のラーメンを世に出した「支那そばや」の佐野実さんの存在は大きいと思います。佐野さんは、それまで一杯500〜600円台で食べられたラーメンの価値を上げようとしたのでしょう。さらにメディアはこだわりの部分をこれでもかと煽りまくった。それで潮目が変わったのだと思います。

 

現在、筆者が暮らす名古屋ではノーマルなラーメンは一杯700円台。おそらく、東京だと平均値はもう少し高いと思うが、それでも900円台だろう。

ところが、これが海外となると日本円で1,500円以上することも珍しくはない。しかも、サイドメニューやお酒などの飲み物もバンバン注文する。そりゃ有名店は海外に進出するわけだ。

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宮島氏:安くて美味しいものがたくさんある大阪の場合は、800円だと「高い!」と言われますね。極端なことを言えば、ラーメンを料理として認識していないムキがあります。だから、大阪でラーメンスクールをやるのはアウェーで試合をするようなものです。実際、生徒さんは大阪以外の方が多いですよ。そもそも、美味しいラーメンをつくれば売れるという考え方が間違っているんですけどね。繁盛店の条件として、ラーメンの味は多く見積もっても50%です。

 

味以外の50%も重要ということなんだろうか。このあたり、プロデューサーならではの視点といえよう。

 

プロデューサー直伝のスープの味は……

宮島氏:では、今からラーメンの味についてお話ししましょう。

 

そう言うと、宮島さんはスクールの厨房へ行き、何やら作業をはじめた。

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宮島氏:今日、取材にお越しになるとのことで、スープをつくっておいたんです。鶏でとった動物系と鰹節と昆布の魚介系の2種類。ダブルスープのラーメンをご馳走しますので、しばらくお待ちください。

 

慣れた手つきで麺を茹で上げて、薬味のネギを刻む姿はまさにラーメン店の店主そのもの。あっという間に美味しそうなラーメンが目の前に運ばれた。

 

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▲これが宮島さんがつくった塩ラーメン

 

宮島氏:スープは動物系と魚介系で1対2の割合です。タレはいっさい使わず、塩、それも岩塩や海塩ではなく、普通の塩だけで味付けしています。

 

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▲澄んだスープから立ち上る旨そうな匂いが鼻腔をくすぐる

 

では、いただきます!

うん。スープのバランスがとても良い。スープの旨みを引き出す絶妙な塩加減。こんな旨い塩ラーメンを食べたのは久しぶりである。近所にあったら通い詰めるかもしれない。

 

宮島氏:では、もう一杯つくりますので、この塩ラーメンの味をしっかりと覚えておいてください!

 

そう言い残して、宮島さんは再び厨房で調理をはじめた。

 

美味しさを決定づける「三要素」とは

宮島氏:今度は鶏白湯ラーメンです。どうぞ、お召し上がりください。

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▲白濁したスープから、長時間じっくりと煮込んでいるのがよくわかる

 

先ほどの塩ラーメンもさることながら、これも実に旨そうだ。さすがはラーメンプロデューサー。

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では、実食。

おおっ! 鶏鍋の〆に食べるラーメンのように鶏の旨味が見事なまでに凝縮されているではないか。

しかも、イイ具合に魚介系のダシもきいていて、見た目ほどしつこくはない。むしろ、さっぱりとマイルドな口当たり。これも近所にあったら通うだろう。

そう思いながらラーメンを堪能していると、宮島さんは驚くべきことを口にした。

 

宮島氏:実はさっきの塩ラーメンとこの鶏白湯ラーメン、スープの中身はまったく同じなんです。塩ラーメンのスープを煮込みながらミキサーにかけて乳化させれば鶏白湯ラーメンになるんですよ。

 

ええっ!?

たしかに鶏をじっくりと煮込んだような味がしたぞ。っていうか、さっきの食レポでそう書いてしまった筆者はフードライターとして失格じゃないか(笑)。

 

宮島氏:美味しいと感じる三要素があるんです。昆布や魚介から抽出されるグルタミン酸と鶏や豚のイノシン酸、干し椎茸のグアニル酸。これらの掛け合わせと、もう一つ重要なのが塩分コントロールなんです。

 

グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸の「三要素」プラス塩加減。これらで勝負が決するらしい。

 

宮島氏:またラーメンはスープとタレ、脂、麺の組み合わせですよね。ウチのスクールでは、そのバランスを考えたラーメンを生徒さんと一緒につくり上げます。先ほども申し上げた通り、味は全体の50%でいいんです。では、残りの50%は何をすればよいのか、これからスクールを卒業した生徒さんのお店へ行って話しましょう。

 

ターゲットに合わせた味と付加価値が大事

大阪から車を走らせること約40分。

到着したのは、豊中市にあるラーメン店「蛍家 悠龍(ほたるや ゆうりゅう)」

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ランチタイムはとっくに過ぎていたが、カウンター席の半分は埋まっていた。ラーメンを食べ終わり、お店を出るお客さんを店主の岡田悠人さんはわざわざ外に出て見送っている。

 

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私たちは、こちらの定番「魚介ラーメン」(850円)を注文して食べた。

豚骨ベースなのに、魚介が入ることで口当たりがさっぱりしていて旨い。実に丁寧に作られていることがこの一杯から伝わってくる。仕事がひと段落した岡田さんが話しかけてきた。

 

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▲左が「蛍家 悠龍」店主、岡田さん

 

岡田さん:宮島先生からはターゲットとする客層に合わせたメニューをつくるように指導を受けました。実は、ウチのお店の周辺はファミリー層が多いんですよ。なので、こってりしすぎず、あっさりしすぎず、老若男女問わず食べられる一杯を作ろうと思いました。この魚介ラーメンをベースに、世代に合わせたメニュー開発もしています。

 

岡田さんの話を聞いていた宮島さんが口を開いた。

 

宮島氏:ラーメン店の仕事というのは単純作業の繰り返しなんです。ただ単にそれを「こなす」だけでは繁盛店となるのは無理。単純作業の中でいかにクリエイティブな発想を持つか。そこから新しいメニューや新しいサービスが生まれるんです。さっき、岡田さんは外まで出てお客さんを見送ってましたよね? 生徒さんにはそういった付加価値もラーメン店を経営する上で重要であることを教えています。

 

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筆者もグルメ記事の仕事で、これまで数多くの飲食店を食べ歩いてきた。その中で感じたのは、味が旨いのは当たり前。それ以外の、サービスや雰囲気など、その場にいて心地よいお店がイイお店であるという結論に至った。ラーメン店はなぜか味ばかりが重要視されるが、同じ飲食店ゆえに例外ではないのだ。

 

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▲手書きのメモに、サービスのアイデアを書き綴っている

 

岡田さんはこう続けた。

 

岡田さん:私がお客さんに与えられる付加価値とは何だろうと考えたとき、人情や笑顔というフレーズが思い浮かびました。それもお客さんが想像を絶するサービスができないかと。こちらから積極的に話しかけたり、ときにはマジックを披露したりもしています。お客さんに喜んでいただけて、また足を運んでくだされば全然苦ではないですし、むしろ楽しんでやっています。

 

お店情報

蛍家 悠龍

住所:大阪府豊中市蛍池北町2-1-5 アーバンライフ105
電話番号:080-8526-5628
営業時間:11:30〜14:00(L.O13:30)、18:30〜23:00(L.O22:30)
定休日:不定休(木曜日)

hotaruya-yuryu.com

 

海外でRAMENがバカウケしている理由

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ラーメンスクール、と聞くとどうしても「旨いラーメンをつくる職人になること」をイメージしてしまう。

しかし、同時に味以外にもお客さんを満足させる、いわばエンターテイナー的な要素も必要になってくるということか。宮島さんによると、その点、外国人の生徒は最初からビジネスとして成功したいがためにスクールを訪ねてくるという。 

 

宮島氏:東日本大震災(2011年)以降、外国人の生徒さんが急増しました。その頃からラーメンが「RAMEN」となり、寿司やアニメを押しのけて日本の代名詞になっていったのではないでしょうか。彼らがラーメン店の経営を志す動機は、「日本で美味しいラーメンを食べて衝撃を受けたから」というケースが多いようです。それは日本人も同じですが、彼らは「自分の国でこれを食べさせたら儲かる」と確信した上でスクールにやって来ます。だから、とても早く理解してくれる。今は全体の7割以上が外国人の生徒さんですね。

 

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▲宮島氏を囲む外国人生徒たち

 

また、外国人入学者が後を絶たないのは、自分のお店をPRする上で、ラーメンの本場である日本で技術を学んだという、いわば「箔」を必要としているからだ。

ひと昔前、イタリア料理がイタメシと呼ばれていた頃、日本人も同じようなことをしていた。中には、イタリアでお金を払って働かせてもらい、帰国後は「本場イタリアで修行!」と大々的に宣伝していた例もあったほど。

 

宮島氏:外国人は日本に対して「仕事の丁寧さや細やかなサービス」というイメージを抱いています。まだ、日本は一つのブランドとして成り立っているわけです。だから、本当に儲けたければ国内よりも海外でビジネス展開した方がイイんです。今、中国人がつくる「日式ラーメン」のクオリティがどんどん上がっていますから、いつ追い抜かれるかわかりませんよ!

 

日本のラーメンが1杯2,000円になる日

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▲教え子は中華圏にも星の数ほどいる

 

ラーメンの価格に話を戻すが、海外なら一杯1,000円以上、しかもサイドメニューやお酒も注文するので客単価は3,000円近くになることも珍しくはない。

かたや日本の場合は、ラーメン一杯だけ注文して終わることも少なくない。ラーメンの原価が価格の3割としたら、一杯700円として原価は210円。人件費やテナント料、水道光熱費もあるので、上がり(利益)は本当に低い。

今後、ラーメンが日本のブランドとして生き残っていくには、それこそ海外のラーメン店のように一杯1,500円とか2,000円のラーメンを出したりして、価値を上げることが重要に思えてきた。

 

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最後に、宮島さんは日本におけるラーメンの今後についてこう語った。

 

宮島氏:このまま海外でラーメンブームが高まれば、味もサービスも本場を凌ぐような海外店舗の日本国内への進出も十分あり得るでしょう。それを日本のラーメン店がさらにアレンジできるかがカギを握ると思いますし、できるお店をスクールから生み出していきたいと思っています。それが一杯2,000円のラーメンが誕生する時期ではないでしょうか。

 

よく考えてみれば、寿司や天ぷら、蕎麦も本を正せば屋台がルーツのファストフード。しかし、時代とともにどんどん高級志向へと変貌を遂げた。

ラーメンもまた、グローバル社会においてRAMENとして勝負するとき、高級店が登場しても何らおかしくはない。もしかしたらそんなRAMEN革命ともいえる兆候がすでに現れている可能性だってある。

寿司がリーズナブルな回転寿司と高級な江戸前寿司に二極化したように、ラーメンも同じ運命を辿るような気がしてきた。フードライターとして、筆者はその行先を見届けたいと思っている。

 

※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材を行いました 

かにぱん、源氏パイ、チョコバット、カンパン。「国民的ロングセラー」の秘密をメーカーの名物広報に聞いた

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※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材しました

 

「三立製菓」(さんりつせいか)という社名にピン! とくるのは静岡、それも浜松界隈の人だろう。

では、「かにぱん」「源氏パイ」「チョコバット」「カンパン」といえば?

それらの知名度はまぎれもなく全国区。いずれもロングセラーであり、もはや国民的お菓子と言っても過言ではない。

 

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実は浜松市に本社がある創立99年の三立製菓株式会社がこれらの製造・販売を手がけているのだ。

それにしても、なぜ長年にわたって人々に愛される商品を作り続けることができるのだろうか? また、これらのヒット商品はいかにして生まれたのだろうか?

これは是非とも話を聞いてみたい。ってことで、浜松に向かって車を走らせた。

 

ルーツは金平糖(こんぺいとう)

三立製菓の本社で出迎えてくれたのは、同社の広報担当で、「かにぱん」をPRするかにぱんお姉さん。

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もう、いろいろとツッコミどころ満載だが、ここはあえてスルー(笑)。

それよりも、まずは三立製菓の歴史について聞いてみることに。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:大正から昭和にかけて、浜松は氷砂糖が地場産業だったんです。創業者である松島保平は氷砂糖製造会社で常務取締役を務めていましたが、菓子の製造に関心が高かったようです。そこで1921(大正10)年に氷砂糖を生産する過程で生じる氷糖蜜を再利用して、金米糖(こんぺいとう。漢字は三立製菓の表記)を製造したのが弊社のルーツです。大きな鍋2つからはじまったんですよ。さらに、3年後の1924(大正13)年には氷砂糖を利用してビスケットの製造を開始します。

 

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てっきり看板メニューのカンパンが三立製菓のルーツかと思いきや、素朴な金米糖だったとは!

 

軍の要請により「カンパン」誕生

そういえば、「カンパン」の中にも金米糖が入っていたと思うが……。あれは創業時のフロンティアスピリッツみたいなものを忘れないように、ということなのだろうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:あっ、カンパンというのは戦後につけられた商品名ですので、当時は“乾パン”になります。乾パンは金米糖やビスケットよりも遅くて、日清戦争のときに軍から要請されたのを機に1937(昭和12)年から製造をはじめました。

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▲旧日本陸軍に納めていた乾パン。レプリカではなく本物!

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:今のようにビニールや缶ではなく、当時は布袋に入れていたんです。その中に金米糖も入れたのは、糖分の補給と水がない非常時でも唾液が出て食べやすくするためです。おにぎりの代用品と考えられていたので、生地の中にゴマが入っています。

 

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▲ビニール袋入りの初代カンパン

 

賞味期限5年! 災害時にも大活躍

戦後、カンパンは日本経済の復興とともに生産量を伸ばし、1959(昭和34)年にビニール袋入りの「カンパン」が発売される。

さらに、レジャーがブームとなった1960年代には、カンパンを行楽のお供として持って出かける人が多くなった。

 

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▲缶入りカンパン。時代によってパッケージも異なっている

 

その後、災害時の非常用食料として需要が高まり、1972(昭和47)年には、長期保存が可能な缶入りタイプを発売した。

1995(平成7)年の阪神大震災や2011(平成23)年の東日本大震災でも非常用備蓄食料として注目を集めたのはまだ記憶に新しい。

 

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▲現在のカンパン

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:缶入りタイプは賞味期限が3年でしたが、改良を重ねて5年まで延ばしました。賞味期限だけではなく、食感や口どけなど味も時代とともに改良しています。あと、一人でも多くの方に召し上がっていただきたいという思いから、以前は入っていた乳のアレルギー成分を抜きました。

 

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▲素朴な味わいがクセになる

 

カンパンの主原料は小麦粉とイースト菌。パンと同じだが、長時間熟成発酵を行い、遠赤オーブンでじっくりと焼き上げる。シンプルだが、作り始めてから完成するまで48時間も要するというから、実に手間がかかるのである。

そのため、他のメーカーは相次いで生産をやめてしまった。そんな中でも根気よく、改良を重ねながら生産してきたのが、約7割という国内シェアにつながっているのだ。

 

「チョコバット」に高級チョコは似合わない

カンパンに次いで歴史があるのは、なんと駄菓子の定番「チョコバット」

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子供向けの商品なだけにもっと新しいかと思いきや、発売は1964(昭和39)年。って、1969(昭和44)年生まれの筆者より先に誕生していたのだ。

小学生の頃、チョコバットは日常的に食べていたなぁ。ほんのりとパンの味もするし、空腹を満たすにはちょうどよかったんだよな。日本版の「スニッカーズ」と言うべきか(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:チョコバットのコンセプトもまさにそれなんです。袋入りのカンパンと同時期に発売した「サンリツパン」で発酵技術を含めたパン製造のノウハウをすでに得ていたので、子供たちの小腹を満たしてあげるにはぴったりだったかと。

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:それと、使用するチョコレートも自社製造です。カカオ分が少ない準チョコレートですが、逆にカカオ分が多い高級チョコを使うと不思議なことに美味しくないんです。

 

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▲チョコバットのパッケージデザイン。これも時代によって変遷が

 

あと、チョコバットといえば、当たりくじ。袋に書かれた「バット」の文字の裏側に「ホームラン」が出るか、あるいは「ヒット」を4枚集めたら、もう1本もらえるというもの。これは1967(昭和42)年からスタートし、今も続いている。

 

「源氏パイ」のネーミング由来は大河ドラマ

三立製菓のロングセラーといえば、「源氏パイ」も忘れてはならない。サクサク食感の生地や口の中で広がるまったりとした甘さと香ばしさ。旨いんだよなぁ。

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ちなみに発売は、1965(昭和40)年。今でこそパイ菓子は巷に溢れかえっているが、当時はかなり斬新だったに違いない。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:開発の担当者が洋菓子文化を学ぶためにヨーロッパへ視察へ行ったときに、パイ生地を両端から折ったものを輪切りにして焼いた、ハート形のパルミエパイを見たそうです。これを量産化できないかと考えたのがはじまりです。おっしゃる通り、当時はまだパイが珍しい時代ということもあって、洋風の名前よりは和風の方が親しみやすいだろうと、当時放映されていたNHK大河ドラマ『源義経』から「源氏パイ」と命名しました。

 

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▲機械によるパイの量産は日本初!

 

サラッと話してくれたが、機械によるパイの量産は相当難しかったというのは素人でも推察できる。今でこそ、キレイなハート型をしているものの、当初はウサギの耳のような細長い形をしたパイを量産してしまったという。

それでも材料の混ぜ方やオーブンの温度などさまざまな条件を研究してハート型を完成させた。これは日本初の快挙である。

 

「平家パイ」も忘るべからず

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ところで、源氏パイの姉妹品で「平家パイ」があるのはご存じだろうか?

前に述べた通り、源氏パイはハート型。でも、見ようによっては矢の先端にも見える。一方、平家パイは四角形の生地の真ん中にレーズンをのせて焼き上げている。

 

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▲しっとり食感の平家パイ。こちら派も結構多いのでは?

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:平家パイはもともと「レーズンパイ」という商品名で発売していましたが、2000年に名称をリニューアルしました。源平合戦において源氏が放った鏑矢(かぶらや/放った際に大きな音が出ることから、戦いの開戦の合図として使われていた矢)が当たった盾、レーズンは矢を何本も受けた跡をイメージしています。

 

サクサク食感の源氏パイに対して平家パイはややしっとり。ほのかに香るレーズンの風味が心地良いアクセントとなっている。

 

「かにぱんお姉さん」はこうして生まれた

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最後に紹介するのは「かにぱん」

ってことで、お待たせしました! ここであらためてかにぱんお姉さんを紹介しよう。彼女は……かにぱんの国からかにぱんの雲に乗ってやってきたものの、雲から落ちてしまったというのが表向きの設定。

ちなみに年齢は、永遠の17歳とか。って、もうエエわ(笑)!

 

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▲オフィス内でのかにぱんお姉さん

 

かにぱんお姉さんの正体(?)は、三立製菓株式会社・企画開発部企画課の望月沙枝子さん。普段は商品企画や商品のリニューアルに伴うパッケージデザイン、ホームページの管理など。

一方、かにぱんお姉さんとしての主な活動は、子供向けのイベント「かにぱん教室」。

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:6年ほど前に地元の幼稚園の先生から、かにぱんを使って何かできませんかと相談を受けたんです。かにぱんはカニの形をしていますが、パンに入っている切れ込みをちぎっていくと、動物や虫、鳥、機械などさまざまな形になります。これが知育に役立つと思って「かにぱん教室」をはじめました。

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▲「かにぱん教室」は子供たちに大好評(写真提供:望月沙枝子さん) ※プライバシー保護の観点から一部画像を修正しております

 

当初は会社の制服姿で「かにぱん教室」に出ていたが、NHKの歌のお姉さんを意識して2年半ほど前から現在のド派手な衣装にチェンジすると評判に拍車がかかった。

ちなみに衣装はネット通販で購入したものをカスタマイズ。帽子についているカニは裁縫が得意な同僚に作ってもらい、会社にあったかにぱんのクッションに紐を付けてバッグにリメイクした。

 

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▲「かにぱん教室」での1コマ(写真提供:望月沙枝子さん)

 

幼稚園だけではなく、商業施設や観光地などからもオファーが来た。それも浜松市内のみならず、近隣の市町村、県外へと活動の場が広がっていった。

「かにぱん教室」は新型コロナウイルス感染拡大の影響でイベントが自粛されるまで延べ300回は開催しているという(2020年3月取材時時点)。

また、地元ローカルのテレビやラジオにも頻繁に出演している。

 

「かにぱん」が生き残った秘密はあの形にあった

では、「かにぱん」について、かにぱんお姉さんに聞いてみよう。

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f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:ルーツは「チョコバット」と同様に、1959(昭和34)年に発売された「サンリツパン」になります。サンリツパンは糖分が多く、そのまま食べても美味しいと評判でした。また、日持ちがよいので食料品店さんにも重宝され、レジャー施設の売店や映画館、プール、野球場などでも売られていました。時代に合わせてサンリツパンをベースにして、さまざまな形のパンを作ったんです。1974(昭和49)年に発売された「かにぱん」もその一つでした。

 

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▲かにぱんのルーツ、サンリツパン

 

ボーリングがブームの頃は、ボーリングのピンの形をしたパンや、日本に初めてパンダが来た際には「ランランカンカンぱん」なるパンも登場した。時代を反映しているのが面白い。

そのほかにもうさぎやサッカーボール、鯛などのパンがあったそうだが、なぜ、かにぱんが生き残ったのか。

 

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▲かにぱんの型。このフォルムに秘密があったのか!

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:かにぱんの形をよくご覧ください。限りなく長方形に近いですよね。生地を型抜きする際にロスが少ないんです。それと、かにぱんに入っている切れ込み。ちぎっていろんな形にできるのは、2000年頃にお客様からお便りをいただいて初めて気づきました(笑)。あの切れ込みを入れることで火が抜けやすくて焼きむらができにくいんです。かにぱんが生き残ったのは、ロスが少なくて、美味しい、そして、楽しいというのが理由だと思います。

 

「将来はスナックをやりたい」

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▲ビスケットを製造していた頃の前掛けと創業者、松島保平氏の旅行カバン

 

カンパンとチョコバット、源氏パイは半世紀以上、かにぱんも半世紀近くの歴史がある。ずっと同じ商品を作っているように思えるが、美味しさを追求し続けているのは言うまでもない。

また、アレルギー成分や人工甘味料の使用をやめるなど、安心して食べられるように細心の注意を払っている。そんな真摯な姿勢こそが長年にわたって愛される商品を生み出すパワーになっているのだろう。

 

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ところで、かにぱんお姉さんはこれからどのように進化していくのか。メディアにも引っ張りだこだし、このまま芸能界デビューすることは考えていないのだろうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20200617152735p:plainかにぱんお姉さん:いやいや、まったく考えてません。人とお話をするのが好きなので、将来はスナックをやりたいと思ってます。今、ヒマさえあればネットでテナント情報を眺めながら、いろいろ妄想しています(笑)。

 

かにぱんお姉さん、このたびはありがとうございました。スナックが開店したら、また取材に行きますね!

 

取材協力:三立製菓 https://www.sanritsuseika.co.jp/

メイク:山村えり子

※現在、「かにぱん」はパン製造ラインの設備更新に伴い、製造を一時休止しています。再発売の時期については三立製菓(株)の公式HPをご覧ください。 

※この記事は緊急事態宣言前の2020年3月に取材しました

全国の激辛マニアを震撼させる「ピカイチラーメン 辛さ10度」がデンジャラスすぎる

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名古屋・今池にある「中国料理 ピカイチ」(以下、ピカイチと表記)。

中日ドラゴンズのファンが集まるお店として地元のみならず、全国のプロ野球ファンの間でもその名は知られている。

プロ野球シーズンが開幕すると、ナゴヤドームでの観戦帰りに立ち寄り、勝利の美酒に酔う中日ファンたちの姿が地元メディアでたびたび紹介される。

 

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▲まさに「ピカイチ」としか言いようのない、インパクトある外観

 

しかし、冷静に考えてみてほしい。何もプロ野球のシーズン中だけお店が流行っているわけではない。

ちなみにプロ野球の公式戦は全143試合。ドラゴンズのホームであるナゴヤドームでの試合数は71試合(いずれも2019年)。

海の家じゃないんだから、それだけで店主と従業員とその家族が1年間暮らせるだけの利益を出すには無理がある。

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▲店内にあるスコアボード。シーズンが始まると、ここで試合経過が確認できる

 

実際、取材に訪れた日はオフシーズン。しかも平日にもかかわらず、18時のオープンと同時にお客さんがひっきりなしに訪れて、あっという間に満席になった。

つまり、中日ファンが集まるお店というのをさっ引いても、いわゆる「町中華」としての実力があることを物語っているのだ。

 

故・星野仙一氏も懇意にしていた名店

お店を切り盛りするのは二代目店主、兵頭忠保さんだ。

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▲店主の兵頭さん。コアなドラゴンズファンにはおなじみの存在

 

兵頭さん:お店は1965年創業ですが、ドラゴンズファンの方が集まるようになったのは、1975年。当時、千葉県の銚子商業高校からドラフト1位で入団した土屋正勝さんが来てくださったのがきっかけでした。私の母が銚子商時代からのファンで、それを知っていた方が連れてきてくださったんです。土屋さんからの紹介でほかの選手たちも来られるようになって、ファンの方たちも足を運んでくださるようになりました。

 

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▲店内にはヘルメットや応援グッズも

 

実際、筆者がプライベートで食べに行ったとき、先代店主の兵頭洋二さんと中日ドラゴンズを1988年と1999年に優勝へ導いた名将、星野仙一氏が目の前を通り過ぎたことがあった。

スーパースターでしかありえない、全身から発するオーラの凄さ。筆者も、その場に居合わせた他のお客さんも誰一人声をかけられなかったことを今でも覚えている。

 

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▲先代店主の兵頭洋二さんと星野仙一氏の似顔絵

 

先代店主と星野氏との深い親交も地元メディアではよく報じられてきた。しかし、2人は単なるファンと監督という間柄でなかったことはあまり知られていない。

 

兵頭さん:父は当時、仕事の傍ら地元リトルリーグの事務局として活動していました。韓国や台湾のチームを招致したり、逆にこちらから遠征に行ったりしていて、それを知った星野さんがスポンサー企業を紹介してくださったりしたんです。もちろん、手弁当で。互いの野球愛でつながっていたと思います。

 

激辛好きをうならせる「ピカイチラーメン」

さて、「ピカイチ」の名物といえば、こうしたドラゴンズ関連ばかりではない。いや、むしろ現在は全国の激辛好きたちから熱い視線を浴びている必殺のメニューがあるのだ。

それが「ピカイチラーメン」である。

辛さは「1度」から「10度」までの10段階。ではさっそく、辛さの基準となる「5度」のピカイチラーメンを作っていただくことに。いってみれば「中辛」くらいの辛さだと思っていい。あくまでもこのお店のメニューの中では、の話であるが。

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▲「ピカイチラーメン」の具材

 

麺の上にのる具材は、モヤシとネギ、ニラ、味付けした豚ミンチ、フライドガーリック。一見、名古屋のご当地ラーメン、台湾ラーメンのように思えるが、まったくの別物であることはあらかじめ申し上げておこう。

 

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▲特製のミンチ。台湾ラーメンのような辛さはない

 

兵頭さん:台湾ラーメンはミンチに辛みをつけています。食べすすむうちにミンチが崩れて、だんだんと辛くなるのですが、ピカイチラーメンはミンチではなく、スープそのものが辛いのでひと口目からヤラれます(笑)。

 

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▲ピカイチラーメン専用のタレ。これが最強の辛さを生む

 

どちらかといえば、トウガラシなどを含む具主導で辛さを作り上げる台湾ラーメンに対し、ピカイチラーメンはタレからしてすでに辛さの下地になっている、といえばわかるだろうか。

これにより、醤油ラーメンよりも濃厚な味わいとなるが、同時に旨みとコクもプラスされる。

 

自家製ラー油が辛味に追い打ちをかける

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▲自家製のラー油。見るからに辛そう!

 

辛さに追い打ちをかけるのが自家製のラー油。辛さ5度でこのスプーンですりきり2杯が目安。ちなみに10度の場合は、山盛りで5杯。

 

兵頭さん:1度は辛さ控えめです。1度から5度までは辛さを段階的に感じることができますが、6度以上となると、伸び率が違うというか、辛さの感じ方がまったく変わってきます。

 

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醤油ラーメンのタレとピカイチラーメンのタレ、自家製のラー油、ニラを丼に入れて、清湯スープを注ぐ。茹で上げた麺を入れて、その上に具材をのせて完成。

 

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これが「ピカイチラーメン」(650円)。ご覧の通り、スープは真っ赤。うん、見るからに辛そうだ。

 

激辛「だけじゃない」確かな旨味

実は筆者、今から遡ること25年前にピカイチラーメンを食べたことがある。たしか星野仙一氏の監督復帰に盛り上がる名古屋の街を取材していて、「ピカイチ」にも足を運んだのだった。

その日は、虫歯が痛くてたまらず、頬を手で押さえながら取材したことを覚えている。で、先代店主が「ピカイチラーメン、食べてってよ」とわざわざ作ってくださったのだ。断るわけにいもいかず、虫歯の激痛と容赦ない辛みのWパンチにヒィヒィ言いながら食べたなぁ。正直あのときは死ぬかと思った。

 

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では、勇気を出して麺をズルズルとすすってみる。

 

あ゛~っ!

辛いっ!!!

 

台湾ラーメンの比ではない。何しろ、麺の一本一本に激辛のラー油がまとわりついてくるのである。

ただその一方で、辛さの奥にあるスープの旨みを感じることができた。辛いものが好きな人なら、十分に耐えられるレベルだと思う。

 

男たちの労働メシとして生まれた

それにしても、このピカイチラーメンは、いつ頃に何をきっかけに誕生したのか。やはり、台湾ラーメンを意識してのことだったのか。

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兵頭さん:(場所的に)味仙さんも近いですし、もちろん、台湾ラーメンが人気だという話は聞こえてきていたと思います。が、今池界隈には、ホルモン焼きのお店が数多くあって、スタミナ系のメニューを出すお店が多かったんです。ピカイチラーメンは細かいバージョンアップを何度か繰り返していまして、昔はニンニクの茎が入ったあんかけスープでした。発祥についてはよくわからないのですが、今のスタイルになったのが25年くらい前です。

 

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なるほど、今池界隈には今でこそオシャレなお店が増えたが、昔は働く男たちが行き交う、もっとワイルドなイメージがあった。台湾ラーメンが支持されたのも、きっとニンニクをたっぷり使ったスタミナ系の料理を好むお客さんが多いという背景もあったのだろう。いわば、ピカイチラーメンが生まれたのもごく自然な成り行きだったとしか言いようがない。

 

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▲兵頭さんは今池で生まれ育ったのだが、実は辛いものが大の苦手。ピカイチラーメンも辛さ控えめの1度しか食べられないという

 

辛さ10度に挑戦。辛いというより痛い……

兵頭さん:私は絶対にムリですけど、辛さ10度を体験してみます? 普段はお客さんにもあまり積極的にお勧めしないのですが、せっかく取材に来られたことですし。

 

いやいやいや、私は辛いものは好きだけど、辛さに対する耐性は人並みですから! などとやんわり断ろうとすると、目の前にはスタンバイされた丼が。

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▲「ピカイチラーメン 辛さ10度」のタレと自家製ラー油。まさに地獄絵図(笑)。たしか5度以上は「段階的ではなくなる」って言っていたが……

 

ここまできたら、腹をくくるしかない。なにごとも身をもって体験するのもライターとしての務めである。それに翌日にお尻が痛くなることはあっても死ぬわけではない。よし、やってやろうではないか!

 

というわけで、目の前に「ピカイチラーメン 辛さ10度」が置かれてしまった。

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▲値段は辛さの度数が変わっても一律650円と良心的

 

そもそもビジュアル自体がさっき食べた5度とは違う。まず丼がひとまわり大きい。それだけ激辛のラー油がたっぷりってことか? いや、余計なことを考えるのはよそう。

スープの色も明らかにこちらの方が赤い。もう、見ているだけで目がヤラれそうになる。正直、怖いけど、ここまできたら食べるしかない。

 

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では、いざ実食!

麺を箸で持ち上げたときのラー油の絡み加減がさっきとはまったく違う。何と言えばよいんだろう。粘度が強いというか……。

ええーいっ! もうどうにでもなれ! と麺を思いっきりすすってみた。

 

うう゛っ……。

辛いというよりも、い、痛い……。

 

よくテレビで激辛料理を食べた芸人がそんなコメントをしているが、まさにそれ! ライターだというのにそれ以外に適当な言葉が見つからない。

激辛好きの人なら、5度のときに感じたスープの旨みをこの10度でも感じるかもしれないが、私程度ではまったく感じない。

辛さ、それも腰の入った右フックを食らったかのような暴力的な辛さしか感じない。ひと口食べただけで頭から顔、腕、胸、背中、お尻、脚まで全身が汗でビショビショになってしまった。

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ふた口目にいこうと思っても、本能的に危険を察知してか、どうしても体が拒んでしまう。己のヘタレぶりにも呆れたが、わずかひと口でギブアップしてしまった。

笑うなら笑うがいい。

かれこれ20年以上グルメ取材をしているが、今まで食べた激辛メニューの中でダントツで辛かった。

兵頭さんの話によれば、辛さ7度までは激辛好きな一般のお客さんもよく注文するそうだが、10度となると雑誌やテレビ番組でしかなかなか作る機会がないとのことだった。

 

自宅でもピカイチラーメンが食べられる

ちなみにこのピカイチラーメン、お土産にもなっていて、中部国際空港 セントレアや高速道路の刈谷ハイウェイオアシス、東名高速道路 上郷サービスエリアなどで「金のピカ麺・銀のつけ麺」として販売されている。

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▲お土産用のラーメン「金のピカ麺・銀のつけ麺」。こちらはいずれも味わえるセット。購入は下記の公式サイトから購入可能

pikaichi-imaike.jp

 

兵頭さん:ピカイチラーメンをモデルにしたものが「金のピカ麺」です。「銀のつけ麺」は、お店でも夏季限定で販売しています。いずれも旨みと辛みのバランスがとれていると自負しています。辛いものが好きな方に1度から10度(つけ麺は7度)まで用意しているので、ぜひ試してみてほしいですね。

 

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名古屋メシにおいては、台湾ラーメンがメジャーすぎるため、どうしてもその陰に隠れてしまうが、辛さで勝負するのなら、ピカイチラーメンが周回差をつけて勝利するほど辛い。

激辛マニアはもちろんのこと、とにかく汗をかくので代謝が今ひとつ、という方にも是非オススメしたい。

 

店舗情報

中国料理 ピカイチ

住所:愛知名古屋市千種区今池1-14-5
電話番号:052-731-8413
営業時間:18:00〜翌1:00※土・祝は17:30〜翌24:30。いずれも売り切れ次第終了
定休日:日曜日 ※連休が重なった場合は要問い合わせ

www.hotpepper.jp

創業約50年の老舗にPR会社出身者が入社して起きたイノベーション【名物あみ焼き弁当】

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ある雑誌の取材で半年ほど前から静岡静岡市に毎月通っている。名古屋から新東名高速を使って約3時間と、そこそこ遠いので、いつも前泊だ。

静岡出張を機にフードライターとして静岡グルメを開拓しようと意気に燃えていたものの、運転疲れでホテルから外出する気力もなかった。とはいえ、食事は摂らねばならない。

そこで、以前カメラマン仲間が静岡の弁当をSNSにアップしていたのを思い出した。どうしても食べたくなって、店の場所をネットで調べて向かった。それが静岡市葵区両替町にある「しずおか弁当(静岡弁当と表記される場合もアリ)」の名物弁当、「あみ焼き弁当」(正式名は豚あみ焼き弁当。650円)との出会いだった。

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弁当箱の蓋を開けると、おかずはご飯の上を覆い尽くしている豚バラ肉のあみ焼きのみ。正直言って物足りなさを感じた。いろんな種類のおかずを少しずつ楽しめるのが弁当の醍醐味ではないのか、と。

しかし、ご飯を豚バラ肉のあみ焼きで巻いて食べると、弁当に対する概念がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 

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旨い!

旨すぎるのである!

あまりの旨さにホテルの部屋で悶絶しながらのたうち回ったほど。

何なんだ、この美味しさは。豚のあみ焼きとタレが染みたご飯。この組み合わせは、まさにテッパン。これ以外に何も要らないのである。

味の決め手は、やはりタレ。うなぎの蒲焼きのタレに似た甘辛い味付けが後を引く。またすぐにでも食べたくなるほどだった。

 

販売元「しずおか弁当」で聞いた誕生秘話とは

以来すっかりハマった私は、静岡へ行くたびにあみ焼き弁当を買ってホテルで食べるようになった。静岡グルメを堪能せず、ホテルの部屋に篭って弁当を食らうのはフードライターとしていかがなものかと自分でも思う。

しかし、あみ焼き弁当が旨すぎるから仕方がない。何度か食べているうちに、あみ焼き弁当のことをもっと知りたくなった。日増しにその気持ちは大きくなり、販売元のしずおか弁当を訪ねた。

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快く取材を受けてくださったのは、しずおか弁当を運営する静京商事有限会社の常務取締役、森谷昇吾さん(写真上)だ。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:弊社・しずおか弁当の創業は1971(昭和46)年で、今年の3月で49年になります。もともとこの場所はタクシーの配車場だったんです。その脇で立ち食いそば店も営んでいて、そばの他に牛めしなども出していたようです。それが飲食に携わるルーツですね。

 

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「しずおか弁当」がある静岡市両替町界隈はレストランや居酒屋、バー、クラブなどが立ち並ぶ静岡県最大の歓楽街。タクシーの配車場よりもその場所を生かした事業をはじめようと、配車場を壊してビジネスホテルと弁当店をオープンさせた。

そのホテルが今も営業している「静岡ユーアイホテル」である。何でも、あみ焼き弁当付きの宿泊プランもあるそうなので、私はここを静岡出張の定宿にしようと思っている(笑)。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:弁当店をオープンさせるにあたって、創業者は名物を作りたいと考え、全国各地を食べ歩きました。そこで北海道・十勝で豚丼に巡り会い、これをモデルにしようと决めたようです。豚丼は主にロースを使用しますが、時間が経つと固くなってしまうので、ジューシーなバラ肉を使うことにして、タレは静岡の人が好むうなぎのタレのような甘辛い味付けにしようと。

 

しかし、北海道の豚丼のように出来立てをその場で食べるなら話は別だが、弁当は持ち帰りが前提。脂の多いバラ肉は冷めると脂が固まってしまうのだ。

あみ焼きにしたのは、余分な脂を落とすためでもあった。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:それでもやはり出来立てに勝るものはないと思うんです。混雑する時間帯はある程度決まっていますから、それに合わせて肉を焼いて、できるだけ作りたてを提供するようにしています。また、出来上がったあみ焼き弁当は、保温庫に入れていますので温かい状態でお召し上がりいただけます。

 

【驚愕】すべて「手作業」だった

それでは「あみ焼き弁当」はどうやってできあがるのだろうか。実際に作っているところを厨房で見学させていただいた。

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▲こちらはあみ焼き一筋24年のベテラン社員、石川晴夫さん

 

何しろ、静岡を代表する弁当である。最新の調理器に搭載されたAIがベストな焼き加減を判定……というイメージを勝手に抱いていたが見事に裏切られた(笑)。

肉を焼くのも、ご飯を盛るのも、タレをかけるのも、すべて手作業だったのである!

 

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自家製のタレにくぐらせた豚バラ肉をあみの上にのせて焼いていく。頃合いを見計らって肉をひっくり返して再び焼く。

 

焼き上がった肉の表面にはほんのりと焦げ目が付いている。思わず、お腹がグーッと鳴ってしまった(笑)。厨房に立ち込める匂いだけでご飯がイケるほど。もう、たまらん!

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f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:バラ肉ですから、赤身が多い部分もあれば脂が多い部分もあります。となると、焼く時間やひっくり返すタイミングが一枚一枚違います。また、あみ焼きとうたっているからには、ほどよく焦げていなければなりません。それを見極めながらの作業となるので、どうしても職人さんの技術が求められるんです。

 

手作業であることと作業スペースの関係で、一度に焼ける枚数も限られてくる。1時間で約6キロ、45〜50食分が限界なんだそう。

 

コラボNG、まさに「秘伝のタレ」

焼き上がった肉を弁当箱に盛られたご飯の上に敷き詰めて、さらにその上からタレをかける。

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前にも触れたが、タレの味付けの参考にしたのは、静岡人が好む甘辛いうなぎのタレ。そのまま使うと甘みが強くて肉と合わないので、塩分をやや強くしたという。あみ焼きした豚バラ肉と合わせたときに人々の心を掴んで離さない味わいになるのだ。

 

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石川さん:「家庭用のタレを作ってほしい」というお話はしょっちゅういただきます。ただ、家庭でも気軽に食べられたらあみ焼き弁当が売れなくなりますので(笑)、丁重にお断りしています。

 

その他に、デパートの催事やコンビニ弁当、スナック菓子の監修などのオファーもあったそうだが、首をタテに振った案件は一つもないという。

 

石川さん:ご飯の上に肉を盛り付けた後、タレをかけるのですが、弁当箱の隅に流れていくんです。弁当箱の底にタレが溜まって、肉の下にあるご飯はほとんどタレがかかっていない状態になるんです。これもまた、あみ焼き弁当の美味しさではないかと思います。

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飲んだシメにも「あみ焼き弁当」!

あみ焼き弁当の中には職人の知恵と技術もぎっしりと詰まっていた。好評の秘密は味であることは言うまでもない。

しかし、あみ焼き弁当が静岡の名物となったのは、もう一つのストーリーがあった。それはしずおか弁当の閉店時間である。一般的に弁当店は夜遅くても23時頃まで。ところが、しずおか弁当は深夜3時まで。この異常なまでに遅い閉店時間にヒットの理由があったのだ。

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f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:店舗が繁華街の中にあるので、クラブやスナックなどで働く方にも食べてもらおうと思って、深夜3時まで店を開けています。その目論見通り、夜遅くに仕事を終えた方が買いに来られるようになりました。

 

さらには、飲んだ帰りにあみ焼き弁当を買って自宅で食べるという、〆ラーメンならぬ「〆弁当」という習慣まで生まれたのだとか。納得。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:あみ焼き弁当をお土産に買って帰る方もいます。遅くまで飲み歩いても家族に許してもらえるという話もよく聞きます(笑)。子供の頃にあみ焼き弁当を食べたことがある、という方の大半はお父さんが飲みに行った帰りに買ってきたものだと思います。

 

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現在、あみ焼き弁当は、定番の「豚あみ焼き弁当」を筆頭に牛バラ肉を使った「牛あみ焼き弁当」(700円)、「牛ハラミあみ焼き弁当」(800円)がある。

また、プレミアムシリーズとして、静岡県産のブランド豚、朝霧高原ポークを使った「朝霧高原ポークあみ焼き弁当」(750円)と国産の牛カルビを使用した「牛カルビあみ焼き弁当」(850円)も用意している。

 

肉好きの心をくすぐるキャンペーン展開

もともとしずおか弁当の商品ラインナップは、豚あみ焼き弁当と牛あみ焼き弁当と幕の内弁当の3種類のみだったが、お弁当の種類を増やしたのは、何を隠そう、森谷さんのアイデアだった。

森谷さんの父親は、しずおか弁当を創業当時から支えた元ナンバー2。森谷さん自身は広告代理店やPR会社で働いていたが、11年前に体調を崩した父親を助けるために入社し、商品企画やPRに携わってきた。

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f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:よそのお宅と違って、父はあみ焼き弁当をお土産に買って来なかったので(笑)、大人になるまで食べたことがありませんでした。食べてみると、たしかに美味しい。でも、毎日食べられるかと。実際、私が入社した11年前は、豚あみ焼き弁当の売り上げが、緩やかではありましたが落ちていたんですね。それで新しいメニューを開発してお客様の選択肢を増やそうと考えたんです。売り上げを伸ばすにはとにかく食べてもらうことに尽きますから、キャンペーンを年に6回はやっています。

 

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PR会社に勤めていただけに、あみ焼き弁当のキャンペーンは実に攻めたものが多い。

たとえば、2019年6月には豚と牛タンのあみ焼きと牛煮込みの3種類の肉をのせた「豚あみ・牛タン・牛煮込み3種の食べ比べあみ焼き弁当」(700円)を、その翌月には、豚あみ焼き弁当に2種類のトロトロチーズをのせた「チーズタッカルビあみ焼き弁当」(650円)を販売。反響はとても大きく、店の前には行列ができたという。

キャンペーンのポイントは、限定メニューだからといって大幅に値段をハネ上げたりしていない点。かなりお得感があり、つい買ってみたくなるのだ。

 

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f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:期間限定でネギ塩豚あみ焼きや豚カレーあみ焼きも作ったことがあります。他にも豚あみ焼き弁当の肉を同じ値段で1.5倍に増量したり。弁当箱は通常の量に合わせて作っているので、蓋が閉まらないんですよ(笑)。ご飯が相当圧縮されましたが何とか詰めました。

 

また、キャンペーンではないが、商品名や価格が載るシールに手書きのメッセージを書いたりしたことも。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:少年野球やサッカーなどの大会で大口の注文を受けたとき、子供よりも送迎や弁当や飲み物の手配をする親御さんたちが大変だなぁって思ったんです。そこでシールに(親御さんたちの声を代弁する気持ちを込めて)「これを食べたら勝てるよ!」とか「試合、頑張ってね!」という応援メッセージを入れたんです。これも喜ばれましたね。

 

「インスタ映えする弁当」がネットで話題に

SNSでのPR戦略もめちゃくちゃユニークだ。

気づけば世間ではInstagramが大ブームとなっていたが、ご存知の通りあみ焼き弁当は豚だろうが、牛だろうが茶色一色(笑)。

カラフルな「映える」食べ物がメディアで紹介されるたびに森谷さんは複雑な気持ちになった。そもそも「インスタ映え」とは何だろう? と考えた。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:映えを意識したメニュー開発をするとコストがかかってしまうんです。ですから、しずおか弁当で出来るインスタ映えはこれだ!! と半ば投げやりな気持ちでシールに「インスタ映えを狙ったお弁当」という商品名をつけて売り出したんです。

 

withnews.jp

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:SNSで拡散されてお客様がワーッと集まりました。でも、ウチはあみ焼弁当や幕の内弁当があくまでもメインですから、あえて告知をせず、その日に店頭にあったらラッキーみたいな感じで1カ月間続けました。

 

これまでにも、遊び心満点のシールを連発していた。

「余ったおかずで組み合わせたら豪華になったお弁当」や「あっ! なんか中華食べたいなぁと思った時に食べるお弁当」「とりあえず何を買うか迷ったらこれを買えお弁当」などなど。

 

f:id:Meshi2_IB:20200203152225p:plain森谷さん:ウケ狙いというのもありますが、毎日来てくださるお客様に楽しんでもらうためですね。

 

別売りコールスローとの相性も◎

あみ焼き弁当に話を戻そう。私はあみ焼き弁当をより美味しく食べるため、必ず「コールスロー」(30円)を購入する。

もちろん、箸休めに食べても旨いのだが、私オススメの食べ方を伝授しよう。

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添付されたドレッシングを全体にまんべんなくかけて、少し時間をおく。その間、肉とご飯を楽しむ。

キャベツに味が馴染んでいることを確認したら、肉を一枚取り出して、コールスローサラダを巻いて食すのだ。

 

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甘辛いタレの味と、肉そのものの味、キャベツのシャキシャキ感、ドレッシングの酸味が口の中で一つになる。

これがもう……これがもう……ほんっ……とーーーに旨いのだ!

ターボがかかったようにご飯がすすみ、あっと言う間に平らげてしまう。是非試していただきたい。

 

TKGアレンジでさらに旨い

森谷さんによると、これ以外にも簡単で美味しく食べられるアレンジメニューがあるらしい。

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用意するものは、卵と丼のみ。まずは、あみ焼き弁当から肉を取り出して、ご飯だけを丼に移す。

 

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そこに卵を投入して、TKGを作る。卵は2個使って、ゆるめに仕上げた方が美味しいとのこと。

 

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TKGの上に肉をのせて完成。

調理時間、わずか3分。簡単すぎる!

 

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こんなの、食べる前から旨いとわかるじゃないか!

TKGを肉で巻いて口の中へ……。おおっ! もう、全身が震えがくるくらい旨い! っていうか、あまりの旨さにこの中で泳ぎたくなるほど(笑)。

甘辛いタレは肉だけではなく、卵とも相性抜群なのだ。試食のつもりが完食してしまった。

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あみ焼き弁当の歴史や味へのこだわり、人気の秘密、そしてアレンジレシピまで、それこそお腹がいっぱいになるまで話をうかがった。それでもまた食べたくなってしまう中毒性があるのが、あみ焼き弁当の魅力なのだ。

早く静岡に行きたいなぁ。

 

お店情報

しずおか弁当

住所:静岡静岡市葵区両替町2-7-13 静岡ユーアイホテル1F
電話番号:054-252-6027
営業時間:10:00〜翌3:00
定休日:なし(大晦日、お正月を除く)

www.hotpepper.jp

 

「ホット&コールド自販機」を普及させたのはPOKKAだった【アノ顔の歴史も】

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あったか~い缶コーヒーが恋しい季節。

遅くまで残業している後輩や会社の屋上で落ち込んでいる後輩に、「お疲れさん」と手渡すシーンに個人事業主の私としてはとても憧れる。

あったか~い缶コーヒーは身体のみならず、ハートをも温めてくれるのである。

ところで、今や当たり前になっているホット&コールドの自動販売機。要は「冷たいの」と「あったかいの」を1台で両方こなせる自販機のことだ。

これを普及させたのは、「ポッカコーヒー」で有名な株式会社ポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社 ※以下、ポッカサッポロ)であることをご存じだろうか?

 

レアな自販機が鎮座する

今回はその自販機を保管・展示しているポッカサッポロの名古屋工場へ行ってきた。

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アテンドしてくださったのは、名古屋戦略部の平岡隆志さん。

本日はよろしくお願いいたします!

 

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これが1973(昭和48)年に誕生した日本初の冷温式自動販売機。

 

まずは、いろいろチェックしてみよう。

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「ポッカコーヒー」のロゴもレトロ。でも、今見ると逆に新しいというか、新鮮味がある。

 

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赤色でホットであることを示している。この自販機は夏場はコールド、冬場はホットの切り替え式。現在は冷と温が混在するホット&コールドは当たり前になっているが、当時は画期的だったのである。

 

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現在の自販機は、缶飲料やペットボトル飲料などラインナップは約30種類。しかし、この当時はわずか4種類。ここに歴史を感じる。

1969(昭和44)年生まれ、ジャスト50歳の私でさえ右から二番目の「ポッカコーヒー」、通称「顔缶」しか知らない。

まぁ、この商品は、現在も販売されているロングセラー商品なので、読者のみなさんもご存じだろう。この「ポッカコーヒー」の開発があったからこそ、冷温式自販機が生まれたのである。

 

サービスエリアで見た光景がヒントに

そもそも「ポッカコーヒー」自体はいかにして生まれたのか。

「缶入りの『ポッカコーヒー』は、旧ポッカコーポレーションの創業者、谷田利景が1969(昭和44)年に車で名神高速道路を大阪へ向かっている途中に考案しました」と、平岡さん。

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以下に平岡さんからうかがった話を再現してみた。

それは寒い日だった。運転手が眠気を訴え、「コーヒーが飲みたい」と言ったので、岐阜県の大垣ICと関ヶ原ICの間にある養老サービスエリア(下り線)に立ち寄った。

当時、温かいコーヒーはサービスエリア内のレストランでしか飲むことができず、店の前には長蛇の列ができていた。結局、一杯のコーヒーを飲むために30分もかかってしまった。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:経営者としては「その時間がもったいない」と思ったのでしょう。休憩しなければ今頃は京都あたりにいたかもしれない、と。

 

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ふと、車外を見ると、寒さに震えながら冷たい瓶入り飲料を飲んでいるトラックドライバーが大勢いた。当時は冷たい瓶入り飲料しかなかったのだ。その光景を見てひらめいた。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:車の中で飲める缶入りコーヒーを作って、夏は冷やして冬は温めて売ろう! と、思ったそうです。これからどんどん車社会になっていくだろうという思いもあったのではないかと。すぐに研究所に指示して開発をはじめました。

 

ホットの最適温度は「55度」

今でこそ、コーヒーはコンビニやサービスエリアなどどこでも楽しめるが、昭和40年代当時、コーヒーは喫茶店でしか飲めなかった。しかも、ほとんどの人はミルクと砂糖を入れていた。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:喫茶店の本格的な味を目指して、砂糖やミルクの量、温度など試行錯誤を繰り返したそうです。当時の喫茶店で出されるコーヒーの量はおよそ120ml。「缶に入れるものとしてはこれより量が多い方が良い」と判断し、190mlの缶を採用しました。缶に入れても品質を維持する技術的な問題もクリアしましたが、いちばん難しかったのは温度ですね。

 

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冷たくして飲む分には何の問題もない。が、たしかにホットの場合は困難である。手で持っても、口をつけても熱すぎず、かつ美味しく飲める温度を算出せねばならないのだ。

方法としては温度を少しずつ変えて実際に飲み比べるしかない。そこではじき出されたのが55度。それは今も変わっていないという。

こうして1972(昭和47)年にポッカコーヒーが発売された。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:それまで缶コーヒー自体はさまざまなメーカーから発売されていましたが、乳固形分の比率が高い“乳飲料”という規格でした。そんな中、ポッカコーヒーは、コーヒー5グラム以上という“コーヒー規格”の缶コーヒーとして日本国内で初めて発売されました。

 

冷温式なら「1年中売れる」

さて、ポッカコーヒーとほぼ同時進行で開発がすすめられた冷温式自販機。谷田氏は自ら電機メーカーを駆け回って開発を頼んだが、ほとんど関心を示されなかった。

そんな中、唯一、谷田氏に共感したのが三共電器(現・サンデン)だった。こうして共同開発することになったのだが……。

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f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:何しろ、既存のモデルがないわけですから、熱源は何にするのか? とか温度のムラをなくすにはどうすればよいか? など課題は山積みでした。それでも当時の技術者の方々が日夜汗だくになりながら取り組んでくれた結果、1973(昭和48)年の夏に冷温式自販機の販売にこぎつけました。

 

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冷たい飲み物と温かい飲み物を同時に販売できるホット&コールド自販機が開発されたのは、それから5年後の1978(昭和53)年のこと。これにより、自販機市場はますます広がり、ポッカコーヒーの売り上げも飛躍的に伸びていった。

「コーヒーは温めても冷やしても飲めるので1年中売れる」という谷田氏の目論見は見事に的中したのである。

 

「顔シリーズ」にモデルはいる?

ところで、ポッカコーヒーといえば誰もが缶に描かれた顔(写真下)をイメージするだろう。

あのイラスト男性はいったい誰なのか?

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:実は、モデルはいません。1972(昭和47)年に販売された初代はゴーゴークラブ、今でいうクラブで踊る若者をイメージしたもので、顔は描かれていません。

 

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f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:その翌年、冷温式自販機での販売をきっかけに、顔缶(かおかん)……あっ、弊社内ではポッカコーヒーをそう呼んでいるのですが……顔が描かれるようにました。

 

時代とともに変化する「顔」

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では、その変遷を見てみよう。左から、1972(昭和47)年、1973(昭和48)年、1978(昭和53)年、1982(昭和57)年。

見ての通り、顔自体はほとんど変わっていない。右端の1982(昭和57)年にポッカのロゴマークが新しくなり、「コーヒー」の大きな文字も「Coffee」へと変更。現在に至るデザインの原型が確立された。

 

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こちらは左から、1987(昭和62)年、1992(平成4)年、1994(平成6)年、1999(平成11)年。

1999年から商品名を「ポッカコーヒー オリジナル」に変更した。

 

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顔に革命的な変化があったのは、写真上の1987(昭和62)年から。

当時、世はバブル経済まっただ中。女性のファッションはワンレン&ボディコン。一方、男性はモミアゲを鋭角に剃り整えたテクノカット。そんな時代を反映させたのか、モミアゲが短くなっている。

 

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さらに、1994(平成6)年になると、モミアゲはさらに短くなり、タラコ唇からすっきりとした口元に。アゴのラインもスマートになっている。

当時の言葉で言うと、濃厚な“ソース顔”からあっさりとした“醤油顔”に変わったのである。

 

小顔&アイコン化した2000年代

2000年代はどうだろうか。

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左から、2001(平成13)年、2004(平成16)年、2006(平成18)年、2009(平成21)年、2019(令和元)年。

 

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2000年代に入ると、缶の真ん中あたりにあった「コーヒー」の文字が小さくなって下部分に移り、ロゴも一新された。上の2006(平成18)年には缶のデザインも一新。

それまで缶全体に描かれていた顔が小さくなり、アイコン化されていった。

 

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そして2019年、再び90年代の顔をもとに現代風にアップデート。

 

味わいも時代とともに変化していく

ポッカコーヒーが時代とともに変貌を遂げたのは何もデザインだけではない。味も大きく進化しているのだ。

2000年頃、ブラック無糖の缶コーヒーのブームが起こった。その後、微糖へと味が細分化されていく。ポッカコーヒーは甘さ控えめになり、コーヒーそのものの味わいが楽しめるように改良されていった。

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f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:大きく変わったのは顔が小さくなった2006(平成18)年ですね。それまでコーヒー豆は浅煎りでしたが、中煎りのブレンドにしてコーヒー感を強めました。さらに、今年はコーヒー豆の配合量を10%アップして、コクとキレ、香りがアップしました。

 

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創業地ゆえの「名古屋愛」

ところで、いつも名古屋グルメばかりレポートしている私がなぜ全国区のポッカサッポロを紹介したのか。

それには深~いワケがある。実は旧ポッカコーポレーションは名古屋で創業し、ポッカサッポロとなった今も名古屋に本社があるのだ(東京恵比寿にも東京本社がある)。全国区になった途端に名古屋出身であることを黒歴史として葬るヤカラが多いのに、名古屋愛がハンパないのである。

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例えば、上の商品を見てほしい。「アロマックス東海限定ブレンド」(左)と「アロマックス東海限定BLACK」(右)。その名の通り、東海エリア限定販売なのである。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:「アロマックス東海限定」の第一号は、2011(平成23)年11月に発売されました。缶コーヒーの焙煎工場(2016年に閉鎖)が愛知豊田市にありまして、焙煎後24時間以内にここ、北名古屋市の名古屋工場で詰めることができたらフレッシュな味と香りが楽しめると思ったんです。で、味のサンプルを取るために、名古屋の喫茶店で出されているコーヒーをリサーチして再現してみました。

 

アロマックス東海限定、名古屋人である私はヘビーユーザー。缶コーヒーならこれ! と決めている。酸味が少なく、ボディがしっかりとした味わいは名古屋人が好むど真ん中の味なのである。よくもまぁ、ここまで忠実に再現できたものだと飲むたびに感心している。

 

それと、2014(平成26)年には、地元の名古屋鉄道創業120周年記念にちなんで歴代の名鉄電車をデザインした「ポッカコーヒー名鉄創業120周年記念名車シリーズ」(写真下)も発売された。※ただし左から2本目のみ群馬伊勢崎市「田島弥平旧宅」の特別缶

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しかし、当時はエリア限定で発売したこともあり、一部マニアにしか情報が届かなかったという。

 

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しかし、いくら時代が変わったとはいえ、ポッカコーヒーのユーザーは今も昔も男性が中心であることは変わらない。とくに建設現場で働く人や、タクシー・トラックのドライバーなどから圧倒的に支持されているという。

 

f:id:Meshi2_IB:20191204142814p:plain平岡さん:デスクワークをする方も同じだと思いますが、缶コーヒーは疲れたときの糖分補給として飲まれることもあります。実際、缶コーヒーがよく売れる自販機の設置場所は工事現場なんです。朝出勤してからと昼食後、そして休憩時間と1日3回飲んでいる方もいらっしゃると思います。

 

なんだか無性に缶コーヒーが飲みたくなってきた。自分自身に「お疲れさん」と言いつつ、飲み干したい。

 

取材協力:ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社

www.pokkasapporo-fb.jp

 

豚唐onふわトロ玉子の「北京飯」にインスパイア系が存在したとは!

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愛知県安城市民が愛してやまない北京飯(ぺきんはん)。ご飯の上にトロトロの玉子と豚肉の唐揚げがドーンとのる安城市のソウルフードである。

このメニューを考案したのは、新幹線三河安城駅の近くにある「中国料理 北京本店」。以前に『メシ通』でも紹介したことがあるが、北京飯について軽くおさらいをしておこう。

www.hotpepper.jp

 

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▲これが北京本店が誇る「北京飯」(600円)!

 

北京飯が誕生したのは、半世紀以上も前。「北京本店」の創業者で現・店主の杉浦充俊さんの祖父がまかないの玉子料理を作ろうとしたところ、誤って別のタレを玉子の上にこぼしてしまった。捨てるのももったいないと思い、食べてみたところ美味しく、それが北京飯のヒントになったという。

 

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北京飯の特徴は、大きく分けて2点。まずは、醤油と砂糖をベースとした専用のタレで味付けした、ふわふわトロトロの玉子。中華鍋で手早く調理するのだが、秒単位でとろみ加減が変わってくるので、タイミングが重要なのだ。

 

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ご飯の上にふわトロ玉子をのせただけでも十分に旨いのに、豚肉、それもやわらかくて脂の少ない内モモ肉の唐揚げをのせる。食感を良くするために、衣には小麦粉ではなく片栗粉をまぶして揚げている。ふわトロの玉子とともに、この「豚肉の唐揚げ」も北京飯の特徴だ。

 

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北京飯が食べられるのは、発祥の店「北京本店」の他にもう1店ある。杉浦充俊さんの兄、正崇さんが刈谷市で営むラーメン店「半熟堂」でも定番人気となっているのだ。

さらに、一昨年の10月には、看板メニューである北京飯と台湾ラーメンを引っ提げて台湾・台北に「半熟堂 台湾台北店」をオープンさせたことは『メシ通』でも紹介した。

www.hotpepper.jp

 

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つまり、北京飯の味を正統に受け継いでいるのは、杉浦兄弟ということになる。

ところが、安城市には名前こそ北京飯ではないものの、ご飯の上にふわトロ玉子と豚肉の唐揚げをのせたメニューを出すお店があるという。

そう、いわば「北京飯インスパイア系」。

しかも、地元のお客さんを中心に根強い人気を誇り、「メジャーになりすぎた北京飯よりも、むしろオレはコッチの方が好き!」というインディーズ系バンドの追っかけのような熱烈なファンも多いとか。

 

その名も「支那飯」

そんなわけで、今回はインスパイア系を紹介してみたい。

まず、訪れたのは、JR安城駅前の商店街にある「八宝亭」

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▲この昭和の香りがする町中華に、知る人ぞ知る北京飯インスパイア系があるというのか

 

お店は、店主の岩月憲男さんと奥様の千恵子さんが夫婦二人三脚で切り盛りしている。憲男さんは名古屋市や蒲郡市、大府市の中華料理店で修業した後、1970(昭和45)年に「八宝亭」を開店。来年で50年目を迎える老舗だ。

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「ウチでは『支那飯』っていうんだけどね」と憲男さん。

中国の首都である北京に対して、支那とは何ともダイナミック(笑)。スパゲティーナポリタンに対する名古屋のイタリアンスパゲティーに近いネーミングセンスにちょっと面食らったが、何はともあれまずは作っていただくことに。

 

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味のベースとなるのは、他のメニューにも使用する甘酢。これに醤油と塩、コショウを加える。北京飯はご飯がすすみまくりの絶妙な甘辛さ加減が際立っているが、支那飯はどんな味がするんだろう? まったく想像がつかない。

 

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唐揚げに使う豚肉は、肩ロースを使用。北京飯は内モモ肉を使用した淡泊な味わいだが、肩ロースに少しだけ入る脂身が味にどのような影響をもたらすのか? とても興味深い。ちなみに唐揚げは北京飯と同様に3個のっかる。

 

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豚肉を玉子にくぐらせて唐揚げ粉をまぶした後、油でカリッと揚げる。その傍らで玉子の調理に取りかかる。

 

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タレと玉子を軽く混ぜ合わせた後、北京飯には入らないカマボコを投入。

ん?  これって……ほとんど玉子丼ではないか!?

ますますわからなくなってきた。そして、中華鍋で手際よくふわトロに仕上げていく。

 

玉子オン・ザ・豚唐の理由は……

そしてあっという間に完成。

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これが「支那飯」。値段は驚きの550円!

見ての通り、玉子丼のようにカマボコが入っていることと、豚肉の唐揚げが玉子の下に隠れているのが最大の特徴だ。

「北京飯」とは逆の順番だが、これはこれでかなり食欲をそそられる……。

 

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玉子の下に隠れた豚肉の唐揚げを引っ張り出して、ご飯とともにいただく。

うん、旨い!

たれの味付けは、甘さ控えめ。中華鍋でしっかりと火を通しているからなのか、甘酢の酸味はほとんど感じられない。その分、コクが増している。また、ふわトロの中にあるカマボコの食感も心地良い。

驚いたのは、豚肉の唐揚げ。上に玉子をのせることでタレが衣に染み込むのである。例えるならば『緑のたぬき』。『どん兵衛』のように衣がサクサクの“後のせ”も旨いが、“先のせ”でシミシミの衣もまた格別なのだ。

憲男さんによると、支那飯は創業当時から出していたという。その理由は簡単明快なものだった。

「もともと私の実家はここで農機具店をやっていて、その隣が『北京本店』だったんだ。私は小学生の頃からアルバイトで出前持ちをしてた。中学生になると、厨房で調理をするようになった。そこで北京飯も作っていたんだよ」

その後、「北京本店」は現在もお店がある三河安城駅前に移転することになり、憲男さんは自分で開いた店舗で「八宝亭」をオープンさせた。支那飯は、当時の北京飯のレシピをそのまま再現しているとのこと。

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「今のレシピは知らないけど、昔はこういう味だった。ただ、唐揚げを玉子の上にのせると、マネしているみたいで嫌だから玉子と唐揚げを逆にしたんだ」

半世紀経っても支那飯の支持は衰えないそうで、「玉子多め」や「玉子固め」、「上だけ(ご飯抜き)」など、自分好みの味をリクエストする常連客もいるそうだ。

現在、ご主人の憲男さんは御年72歳。いつまでも美味しい支那飯を作り続けていただきたいと願うばかりである。

 

お店情報

八宝亭

住所:愛知県安城市朝日町23-4
電話番号:0566-76-3447
営業時間:11:30~14:30、17:00~21:00
定休日:木曜日

www.hotpepper.jp

 

本家が実食! その感想は……

続いて向かったのは、安城市東新町にある「味覚亭」。ここには店名を冠した「味覚飯」という北京飯インスパイア系メニューがあるという。

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ところが! 先日、テレビの取材が入り、放映直後は多くのお客さんが押し寄せて店内は大パニックになってしまったそうで、取材はNG。それでも何とかお願いできないかと交渉した結果、撮影した写真と食レポの掲載許可をいただくことができた。

 

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店内に入って、まずはメニューをチェック。味覚飯は……あった!

ん? 「味覚飯・肉」(670円)とある。これは豚の唐揚げがのっかることを意味していて、ほかにエビの天ぷらがのる「味覚飯・エビ」(720円)もあるそうだ。

ここは北京飯と味を比べてみたいので「味覚飯・肉」を注文することに。

 

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そして、目の前に運ばれたのがこれ。豚肉の唐揚げは食べやすいようにカットされている。

おや? 唐揚げの衣がドライではなくウェット……。と、いうことは、“後のせ”ではなく、玉子を調理する際に軽く煮込んであるようだ。北京飯との見た目の違いはそれくらいか。

いちばん肝心なのは味だ。では、いただきます!

……と、その前にスペシャルゲストを紹介しよう。刈谷「半熟堂」の店主、杉浦正崇さん。そう、北京飯伝承者の一人であり、「北京本店」の長兄、いわばラオウ的な存在。彼に食べてもらい、感想を聞いてみたかったのである。

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「えっ!?  感想? っていうか、実はときどき食べに来てるんですよ。『味覚飯』、旨いですもん。それに、ここの二代目と僕は高校時代の同級生なんです。お互いにお店を継ぐということで、一緒にラーメンを食べ歩いたりもしていました」と、杉浦さん。

 

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では、実際に食べてみよう。おっ、北京飯よりもやや甘みが強い。全体的に味が濃いような気がする。でも、しつこさはなく、まったりとした甘さ。思わず、ご飯を掻き込みたくなる。玉子のとろみ加減も完璧だ。

 

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やはり、豚肉の唐揚げはタレがシミシミ。しかも、内モモ肉や肩ロースではなく、バラ肉を使っている。それだけに油とタレの甘みが相まってめちゃくちゃ旨い。これが北京飯でも支那飯でも味わえない味覚飯ならではの特徴だろう。

「『味覚飯』の方がガツンとくるジャンクな味わいなんですよね。僕もたまに無性に食べたくなります(笑)」と、杉浦さんも太鼓判を押す。

 

お店情報

味覚亭

住所:愛知県安城市東新町8-2
電話番号:0566-76-6655
営業時間:11:00~15:00、17:00~20:00
定休日:水曜日

www.hotpepper.jp

 

今回は「北京本店」がある安城市で北京飯インスパイア系を調査したが、安城市の隣にある岡崎市や西尾市、半田市にもあるらしい。

この状況をもう一人の北京飯伝承者、杉浦充俊さんは果たしてどう思っているのだろうか?

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「どんどんやればイイと思いますよ。安城に来たら、ウチに限らず玉子の上に何かをのせた丼ものが食べられるという観光プロモーションができたら面白いですよね」とのこと。

さすがは元祖、肝が据わっている。

この際、安城市を中心に周辺の市町村も巻き込んで、北京飯っぽいメニューの頂上決戦「P-1グランプリ」を開催してみてはいかがだろう。盛り上がること必至だ。

 

特殊すぎる名古屋の「町中華」事情、そのルーツを知る人物が語った意外な歴史とは

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私は自分のブログ『永谷正樹のなごやめし生活』でチャーハンとラーメンのセット、「チャーラー」を食べ歩き、「チャーラーの旅。」というタイトルでレポートを公開している。

nagoya-meshi.hateblo.jp

 

すでに30回近くも続いていて、近所にある中華店はほとんど食べに行った。

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その中で気がついたことがある。

名古屋エリアでは、東京でブームとなっている「町中華」が極端に少ないのだ。私の住む郊外ではとくに。

子供の頃は町の至るところにあったのだが、店主の高齢化や後継者がいないことから閉店を余儀なくされたのだろう。

その代わりに“大陸系中華”と呼ばれる中国人が経営する中華料理店がここ10年くらいの間で続々とオープンしている。郊外では今や町中華よりも大陸系中華の方が多いのではないかと思われる。

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※写真はイメージです

 

町中華と大陸系中華の違いは、看板を見れば一目瞭然。大陸系中華の多くは、中国の国旗、五星紅旗を思わせる赤と黄のど派手な色使いなのである。

中には、中国でしか使われていない漢字が店名に用いられていたりする。日本人は読めないので看板として意味があるのかとツッコミたくなる。

 

店内に入ると、もっと驚く。

どの店もメニューがほとんど同じなのである

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※写真はイメージです

 

上の写真のように、メニューに必ずあるのが、チャーハンや中華飯などのご飯ものとラーメンや台湾ラーメンなどの麺類のセット。昼が750円くらいで、夜は900円くらい。また、夜には選べる料理1~2品に生ビール1杯が付くセット。これがだいたい1,000円くらい。いずれも安くてボリューム満点。これらのセットはどのお店にも必ずあるので、店名こそ違うものの、実は中国の巨大企業が経営しているのではないかとさえ錯覚してしまう(笑)。

 

名古屋における大陸中華のルーツとは

ほぼ中国一色になりつつある名古屋の大衆中華事情。大陸系中華は、いつ、誰がはじめたのだろうか。雲をつかむような作業になりそうだが、少し前に一通のメールが私のもとに届いた。その内容は以下の通り。

 

私は名古屋市内にて『中国料理 龍美(りゅうみ)』を経営しております、斎藤隼と申します。

この度、雑誌関係の取材を依頼したく、お問い合わせさせていただきました。お時間ございましたら、一度お話をさせていただきたく思います。宜しくお願い致します。

 

ライターという職業柄か、ときどきこのような依頼メールが自分の元へも舞い込んでくるが、「取材してほしい」と言われてホイホイと行くようなことはしない。それが読者のみなさんにとって興味がそそられる内容とは限らないからだ。だから普段は気にとめないことが多いのだが、『中国料理 龍美』という店名に引っかかった。

お店には行ったことがないものの、名古屋の栄や伏見など繁華街のほか、自宅の近くでも見かけたことがある。たしかここも大陸系中華だったと思うが、メールの差出人は斎藤、とある。何はともあれ、大陸系中華の謎を解くカギとなるかもしれない。メールを返信し、電話で連絡を取り合った。そこで驚愕の事実が明らかになったのである。

 

斎藤さんは開口一番、こう語った。

「私の父が1999年に開店させた『中国料理 龍美』が、名古屋での中国人経営の中華料理店の第一号だと聞いています」

 

もっと話を聞いてみたいと思い、名古屋市中区錦2丁目にある『中国料理 龍美』長者町店へ向かった。

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▲こちらが『中国料理 龍美 長者町店』

 

現在、斎藤さんは28歳。生まれは中国だが、4歳から日本で暮らしている。

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▲応対してくださった斎藤隼さん

 

斎藤さんによれば、2019年の5月に父親の蔡洪涛(さい こうとう)さんが他界し、自身が『中国料理 龍美』グループの代表になったという。

蔡さんとはいったい、どんな人物だったのか。

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▲在りし日の蔡洪涛さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

斎藤さん:父はもともと中国のホテルで料理人として働いていました。来日したのは1992年、27歳のときです。ビザには2年という期限がありました。一緒に来日した人はほとんど帰国しましたが、父は残りました。日本のことが大好きで、料理や文化などいろんなものを吸収したかったからだと思います。

 

「夜のセットメニュー」が町中華界に革命を起こした

蔡さんは来日して5年が経った頃、市内の千種区覚王山にあった『眞弓苑』という中華料理店で働きはじめた。そこで料理長の渡邊長生さんに出会い、蔡さんは本場中国の味を、渡邊さんは日本人が好む町中華の味を互いに教え合い親交を深めた。

 

当時、蔡さんは32歳で渡邊さんは59歳。ちょうど親子のような関係だった。この出会いが蔡さんの人生を大きく変えていった。

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▲蔡さんがかつて勤めていた『眞弓苑』。2018年に惜しまれつつ閉店した(写真提供:斎藤隼氏)

 

『眞弓苑』は覚王山のほか、池下と東山、栄に4店舗展開していた。営業時間は夕方6時から翌朝4時。にもかかわらず、連日大盛況。

その秘密は、当時の町中華としては画期的なメニューにあり、訪れたお客さんの大半が注文していた。

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▲『眞弓苑』で働きはじめた頃の蔡さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

斎藤さん:それが渡邊さんが父とともに考案した夜のセットメニューです。当時の中華料理店は夜のメニューにセットはなく、単品だけしかありませんでした。あれもこれもと注文すると、どうしても金額が高くなります。割安なセット、それも食事だけではなく生ビールが付くものも用意していたので、お客さんのさまざまなニーズに応えることができたのだと思います。

 

斎藤さんの話を伺っていて頭に浮かんだのは、コーヒーなどのドリンク代のみでトーストやゆで卵、サラダなどが付く名古屋の喫茶店のモーニングサービスだ。最近ではドリンク代に100円~200円をプラスするのが主流になりつつあるが、おトク感はハンパない。

『眞弓苑』は深夜まで営業するお店だったので、割安なセットどころか割増にしてもおかしくはない。実際、セットを用意する前もかなりの賑わいだったという。そんな中でセットメニューを提供したのでさらにお客さんが増えたのは言うまでもない。

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▲『中国料理 龍美』第一号店(写真提供:斎藤隼氏)

 

安い&ボリューム満点のセットが主流に 

その後、渡邊さんは1994年に独立して名古屋駅の近くに『中国料理 千龍』を開店させた。蔡さんが千種区神田町に『中国料理 龍美』の一号店を創業したのは、それから5年後。渡邊さんも蔡さんも『眞弓苑』で好評を博したセットをメニューに取り入れた。以来、セットメニューは名古屋における大陸中華のマストアイテムとなっていく。

 

これは『龍美』の「生ビールセット」(1,080円、写真下参照)。

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上の写真は「唐揚げ(4個)」と「焼き餃子(6個)」の組み合わせだが、ほかにも「麻婆豆腐」や「ニラレバ炒め」など全18種類あり、その中から好みのものを2品選べる。

 

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さらに、プラス380円でラーメン(醤油味または台湾ラーメン)もしくはチャーハンが付く。1,460円で料理2品を肴に生ビールを飲み、ラーメンかチャーハンで締めくくることができるのだ。そりゃ評判になるのは当たり前だろう。

 

こちらは「ニラレバ定食」(980円、写真下参照)。

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定食は、メイン料理と日替わりの小皿料理、ミニラーメン、ご飯、漬物という内容。「ニラレバ炒め」以外に「青椒肉」や「油淋鶏」、「肉団子」など全10種類を用意している。メイン料理が日替わりとなる「日替わり定食」は800円と激安。

注目すべきは、このボリュームだ。山盛りのご飯はまさにマンガ飯。量が多くて安いのも大陸系中華の特徴でもある。

 

斎藤さん:これは中国ならではの「足りないより残してほしい」というおもてなしの文化なんです。セットに限らず、一品料理もかなりボリュームがあります。

 

名古屋中華”をもっと広めたい

蔡さんや渡邊さんが研鑽を積んだ『眞弓苑』では、セットメニューのほかにもう一つ名物があった。それは名古屋のご当地麺。そう、台湾ラーメンである。

台湾ラーメン自体は、千種区今池にある『台湾料理 味仙』が昭和40年代に台湾料理の坦仔(タンツー)麺を激辛にアレンジしたのがはじまりとされる。そのことについては、以前「メシ通」でも私が触れたとおり。

www.hotpepper.jp

 

『眞弓苑』が好評を博していた90年代には、すでに多くの中華料理店やラーメン店が台湾ラーメンを出していた。

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斎藤さん:父が『眞弓苑』で働いていた頃、というか今でもそうですが、『味仙』さんがすごく繁盛していたんです。で、『味仙』さんの人気メニューをお店で出せないかということになって、父と渡邊さんは何度も足を運んで研究したそうです。とくに台湾ラーメンは、いろんなお店に食べに行き、試作と試食を繰り返して『眞弓苑』の味に仕上げました。

 

『龍美』の「台湾ラーメン」(600円、上下の写真参照)は、豚挽肉とニンニク、唐辛子などを煮込んだ自家製の台湾ミンチが味の決め手。もともとは豚挽肉ではなく、鶏ミンチを使っていた。これは覚王山にあった屋台で食べて美味しいと思った台湾ラーメンを参考にしたという。

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斎藤さん:当初は鶏ミンチでした。ある日、仕入れるのを忘れてしまい、豚挽き肉を代わりに使ったんです。豚挽肉は他のメニューにも使っていますし、仕入れコストも安いのでそのまま使うことにしました。『千龍』では今でも鶏ミンチを使っていますよ。

 

『龍美』の台湾ラーメンのベースは、丁寧に下処理をした豚骨と鶏ガラをじっくりと煮込んだ澄んだスープ。しっかりと旨みが抽出されているので、ピリ辛の台湾ミンチを合わせても、辛みよりも旨みの方が強く感じる。それがここの台湾ラーメンの特徴だ。

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完成した台湾ラーメンを見て、気がついたことがある。私も含めて地元の人にとって、台湾ラーメンと聞いて思い浮かべるビジュアルがまさにこれなのだ。

では、元祖である『味仙』はどうなのか? しいて言うなら、こちらの名古屋では「『味仙』の台湾ラーメン」となる。やはり、発祥の店であり、他店と比べて激辛である『味仙』の台湾ラーメンは地元でもどこか特別感があるのだ。

それに対して、『龍美』の、いや、大陸系中華の台湾ラーメンは、いつでもどこでも食べられるという日常感がある。

 

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台湾ラーメンはチャーハンや天飯、麻婆飯などのご飯ものと組み合わせた「麺・飯セット」(写真上参照)も好評だ。

昼は800円、夜は980円とこちらも安くてボリューム満点。また、台湾ラーメンのほか、醤油、味噌、豚骨から選ぶこともできる。

 

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斎藤さん:台湾ラーメンと同様に、手羽先の辛口煮や青菜炒め、小袋、台湾風辛口酢豚(880円、写真上参照)など『味仙』さんの人気メニューも研究して取り入れました。今では中国人の経営するお店には必ずと言っていいほどある定番メニューになっています。セットメニューと台湾ラーメンをはじめとする“名古屋中華”をこれからも広めていけたらと思っています。

 

世代を超えて受け継がれるワザと味

2002年、蔡さんは西区上小田井に二号店を開店させた。郊外ではあったものの、ここもたちまち繁盛店に。以降、次々と店舗を展開していった。以前と比べてビザの発行が容易になり、中国人スタッフを招きやすくなった事情もある。

 

斎藤さん:その頃、父のもとには名古屋でお店を開きたいという中国人が多く訪れました。父はメニューのレシピなどすべてのノウハウを包み隠すことなく伝えました。そこには『龍美』の名物であるセットメニューや台湾ラーメンがきっと含まれていたはず。中国人が経営する中華料理店がどこも同じようなメニューになっているのは、父が教えたメニューがベースになっていると思います。

 

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▲在りし日の蔡洪涛さん(左)と、渡邊長生さん(写真提供:斎藤隼氏)

 

大陸系中華のルーツとなった町中華『眞弓苑』は2018年に閉店した。

『眞弓苑』で料理長を務めた渡邊長生さんは2011年にこの世を去り、『中国料理 千龍』は現在、息子さんたちが後を継いでいる。

渡邊さんと蔡さん。日中2人の料理人が作り上げたセットメニューと、味仙とは一線を画す台湾ラーメンは、今も名古屋の多くの人々の胃袋とハートを満たしているのだ。

  

店舗情報

中国料理 龍美 長者町店

住所:愛知名古屋市中区錦2-12-30
電話番号:052-222-8788
営業時間:11:00~15:00(14:45L.O.)、17:00~翌1:00(翌24:45L.O.)
定休日:土曜日、日曜日

 

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