料理で「うつ」から回復する ──『cook』著者・坂口恭平さんに聞く「明日を生き延びるための方法」

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僕もうつで会社を辞めました

メンタル不調に苦しむ友人、知人の話を立て続けに聞いた。端から見ればみな仕事がデキる、それぞれの業界でキラ星のような活躍をしている人たちだ。

 

実は、僕も10年前に、当時勤めていた会社をうつで辞めた。

その後、医師の診断は「双極性Ⅱ型」、いわゆるバイポーラーに変わった(よくあることらしい)。おかげさまで、今は仲間と仕事に恵まれて落ち着いている。10年という時間で失ったものもあるが、気づいたことや得たものも多い。

 

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今回インタビューした坂口恭平さんを知ったこともそうだ。

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坂口さんは、ひとつのカテゴリに収まらない活動をしている人だ。

路上生活者の住居をフィールドワークした写真集、『0円ハウス』(リトルモア・刊)でデビュー後、小説を書き、絵を描き、歌も歌う。

東日本大震災後には生まれ育った熊本で、生活に1円もかからないゼロセンターを開設したり、死にたい人のための相談電話、「いのっちの電話」を携帯ひとつで始めたりと、じつにさまざまな顔を持つ。

 

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坂口さんは、躁うつ病であることを公表している。

自身の躁うつの日々を赤裸々に綴った『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院・刊)は、当事者が書いた異色の本として業界内外で話題になった。

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者: 坂口恭平
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

  

そんな坂口さんの最新刊が『cook』(晶文社・刊)だ。 

cook

cook

  • 作者: 坂口恭平
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2018/12/17
  • メディア: 単行本

 

この本は、坂口さんの料理日記。

朝昼晩の1日3回、食事をつくる様子を写真と文章とイラストで綴った毎日の記録だ。調理を通してうつ状態が改善されていく過程と、その間の思考の変化が描かれている。

 

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(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社) 

 

『cook』がつくられた経緯、料理とうつとの関係、食事をつくり記録し続けるなかで見えてきたことについて、坂口さんに話を聞いた。

 

注※)このインタビューはあくまでも坂口さん個人の事例であり、誰もが同じ方法でうつや躁うつから寛解できることを意味するものではありません(2019年4月23日編集部追記)

 

料理をすることで、うつから回復する

 

── 『cook』ができるまでの経緯を教えてください。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口恭平(以下、坂口):書き始めたのは去年の夏。うつがキツくて、全然治らなくて、かなり苦しかった時期なんです。きっかけは、今書いている本の産みの苦しみからだったと思うんだけれど。

 

── そうなんですか。まったくわからなかった。料理は普段から?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:うつが抜ける最後くらいの時期にはしてたんです。『cook』を書いた時もそろそろ抜ける予感はしていて。精神科医の神田橋條治さんが「手首から先を動かせ」って言ってたんですよね。それを経験で知っていたから「うつには料理がいいんじゃないか」って思って。

 

── 「手から先を動かす」が、うつに改善にいいという話は、僕も聞いたことがあります。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:で、家の台所にはたいてい嫁さんがいるから、俺が入れる空間ではないんです。手伝いはしていたけれど、材料がどこにあるかとかがわからない。でも、一度「やってみる」といって料理を始めてみたんです。自分でやるようになったら、少しずつ自分の空間になってきて。そういう感じで『cook』は始まりました。

 

── 慣れない人が毎日料理を作るって面倒じゃありませんでした?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:うつで寝てるからといって、何もしないのも嫌だなって思ったんで、なにかやろうと。「毎日の料理をつぶやいて、それが本1冊にでもなったら文句は言われないだろう」っていう(笑)。でも、とにかくきつかった。

 

元気のない時にはあえて手を抜く 

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(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社) 


──『cook』を読んで最初に思ったのは、料理本としてはすごく敷居が低くて内容もシンプルだということでした。1日目は「お米を炊こう」っていうところから入っているし、「元気のない時にはあえて手を抜く、無理をしない」というのも新しくて。こういうスタンスの料理本はあまり見たことがないです。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:そうですね。たしかにサボってる。センスのいい人たちが作っているすべての料理本は、疲れるんですよね。

 

── レシピが適当で大雑把なところも、個人的に目から鱗でした。普通の料理本は食材や調味料の明確な分量を数字で載せるのが基本なのに、一切書かれていない。調味料の分量とかを厳密に計るのって結構なストレスだから、むしろ心地よかったんですよ。

  

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:正確な分量なんてないですよ。分量は自分で考えればいいんです。レシピ本にあるのはそれを書いた人の味つけだから、自分の体の調子に合わせて大体な感じでいいと思うんですよね。作詞家の竹花いち子さんが僕の料理の師匠なんですけれど、いっちんがそういう人だった。分量とかは絶対に教えない。「大体でいい」って。

 

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(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)  

 

── 本の中に書かれていた、「すぐ(料理の)コツをインターネットで調べるんじゃなく、まずは自分でやってみたら? あなた40歳でしょ? つまりもう4万回以上ごはんを食べてるんだから、きっとできるよ」という言葉。妙に説得力がありました。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:そうなんですよ。料理が僕にそうささやいたんです。

 

料理をすると自分のコンディションがわかる 

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── 『cook』はおよそ30日間、坂口さんが1日3食作った料理の写真と内容、作り方、そして、調理のプロセスから気づいたことや考えたことがまとめられています。1ヵ月間、毎日3食つくり続けるなかで、なにか気づいたことはありますか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:元気がなくなると、料理に彩りがなくなってくるのが面白かった。うつになると無意識に色のある食材を使わなくなるから、料理がどんどん茶色になっていくんです。でも、元気がなくても料理に色味をつけることはできるから、彩りのある野菜を使って、わざと料理に色をつけていくと気分が変わる。そうすると、元気が出てくる。

 

── 料理が心身の状態を可視化してくれるわけですね。そのうえで、彩りを自分でコントロールすることで元気が出てくるっていうのは面白い。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:本を最初から見ていくと、そのあたりの様子がはっきり写真に現れているから面白いですよ。茶色の料理が続いたら絵を描くように料理に色をつける。それで気分を変えてあげる。

 

── なるほど。これはうつ病患者だけでなくて、ちょっと落ち込んでいるくらいの人がやっても効き目がありそうだ。

 

「明日、なにを食べる?」を考えれば生き延びられる

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── なかでも一番響いたのは「明日のメニューを考える」っていう内容でした。これは本当に大事だと思ったんです。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:書きながら気づいたんです。俺、うつの時は本当に明日のことが考えられないんですよ。「いのっちの電話」に掛けてくる子たちみんなが、「明日が来なきゃいいのに」って言うんです。だから、うつになるとみんな布団から起きなくなる。

 

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 (写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)  

 

── わかります。そういう時に、「あと1日だけ生き延びる」ための方便として、翌日の献立を考えておくというのは有効だなと。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:明日のことをなにも考えられないのに、料理だけは「明日はなにを作ろうか?」って考えられたんですよ。『cook』をつくり始める前は「明日はまたキツイな」って思ってたけど、つくり始めてからは、明日の朝どうするかを考えられた。それで、料理をするためには買い物をしなきゃならない。買い物って、ちょっと未来をやってる感じでしょう?

 

── そう言われるとたしかにそうですね。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:その頃の俺は「過去を後悔して、未来を思い悩む」ことばかりをやっていたんです。それって、「今」がどんどんなくなっていくことなんですよ。それを逆転したいっていうのがあった。だから、どうにか自分で生き抜くために『cook』を書いたんです。この本を書いたことで俺の視界もはっきりしたし、本としても起承転結の「転」が訪れたんだと思います。それが書き始めてから3日目くらいの出来事で。

 

── 「明日、なにを食べようか?」を考えるだけでもう1日生き延びられる。次の日も同じことを考えれば、もう1日だけ生き延びられる。そうやって点が線になれば死なない、っていう。これは「発見」じゃなくて「発明」かもしれませんね。

 
俺は躁うつ病じゃないのかもしれない

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── 坂口さんは双極性I型でしょう?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:I型じゃないと思いますよ。

 

── 実は、2012年のトークイベントで初めてお見かけしていて、その時のテンションの高さから「この人はI型だ」って感じたんです。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:結論から言うと、今は、俺は躁うつ病じゃないって思ってるんです。俺は高校生の時には躁うつが出ていなかったんです。理由は多分、「日課」があったから。

 

── 生活習慣が安定していると気分も安定する、っていうことでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:自分に合った形の1日のスケジュールを持っているから、症状が出ないんですよ。つまり、躁うつが出る人は、今の自分のスケジュールが間違っている人なのかもしれない。実際に、『cook』を書き始めてから俺もそれで直ってきてるんですよ。なので、最終的に向かっているのは「そもそも躁うつ病ってなに?」になってきています。

 

── 躁うつは病気というより、生き方や生活の送り方が本来の自分のそれに合っていないことを表すシグナルだということでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:そう。でもまあ、医学的にどうこうということではなくて、あくまでも俺自身のことです。自分自身のことしかわからないですからね。

  

嫁さんは「この人死ぬかも」って思ってるみたい

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── うつの時の坂口さんはどういう感じなんですか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:嫁さんはいつも「この人死ぬかも」と思って見ているみたいです。うつの時は、虚しさがすごいですよね。結構きますよ。誰も信じてくれないけれど。

 

── 自分が躁うつだと気づいたのはいつ頃?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:高校の部活を辞めてからおかしくなったんですよ。それまでは全然出てなかった。辞めてから、ときおり虚しくなったり。元気な時もあったんだけど、学校の中だったからそんな無茶はしなかった。

 

── 毎日決まったカリキュラムをこなして、運動もして、学校が終われば自由。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:それに、母ちゃんにご飯を食べさせてもらえてたわけでしょう。

 

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── 病院で診察は受けていますか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:受けています。薬はデパケン400mg。飲みたい時に飲んで、飲みたくないときは飲まない。

 

── 『cook』をつくっている間はどうでした? 

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:始める前はうつがキツくて、料理をつくる時以外は寝ていました。本をつくっている間は大丈夫だったけれど、その後、東京に来ていた時があまりにも酷すぎて。斎藤環さんの病院に行ったくらい。

 

── 『社会的ひきこもりー終わらない思春期』(PHP新書・刊)を書いた精神科医の斎藤環先生ですね。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:「先生、俺、死ぬかも」って言ったら「死んだらまずいから今すぐ来てください」「ヤバいから抗鬱剤飲んでもらっていいですか?」って言われて。それで、1週間で治ったんですよ。地元の熊本に戻って主治医の先生に話したら「抗鬱剤は1週間くらいじゃ効かないから、それはプラシーボ効果だよ」って笑われた。

 

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── 躁うつ病患者が抗鬱剤を飲むと躁転するって言いますよね。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:斎藤先生もそれを狙ってたんだと思います。熊本に戻ってなんとなく大丈夫かもって思っていたら、次に書く本の題材が見つかった。今は『cook』で見つけたとにかく3食作るっていう日課と、原稿を毎日10枚書くっていう日課、それに散歩と運動を合わせてやっています。

 

── 安定しました?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:それまではだいたい3ヵ月周期で躁とうつを行き来していたんだけれど、今はその気配もないです。高校生の時に戻った感じ。かわりに、誰よりもたくさん原稿を書いてるんですよ。受験勉強をするくらいの勢いで。高校生の時は誰よりも勉強していたんです。楽しかったから。

 

── それは躁状態だったのでは?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:躁状態だったのかもしれないけど、なんの問題もなかったわけですよね。むしろ、勉強をすればするほど他人が喜ぶし自分も嬉しいっていう。多分、人間は自分のやっていることをそういうポイントに持っていかないとダメなんです。自分がやることが周囲から喜ばれる、感心されるっていうポイントまで持っていくのが大事。

 

── 先に話した、精神科医の神田橋條治先生も似たようなことを言っていたのをどこかで読んだ記憶があります。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:神田橋さんには2回診てもらったことがあって、「君に薬は必要ない」って言われました。「飲みたいときにちゃちゃっと飲んで、飲みたくないときには飲まなないで、自分で調整すればいい」って。もちろん、俺は薬がもういらないとは思っていませんけど。

 

うつの時だって動いてるしメシも食う。だから……

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── うつの一番ひどい時には身体を動かせないし、まともにものを考えられない。多少よくなってきても動くのは面倒だし、ただ悲しくて辛くて、外に出たり人に会おうなんて気にはなれませんよね。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:「本当にうつの人は料理なんてできない。そんなこと言わないで」って言われることがあります。わかるんですよ、俺も。なにもやりたくないんです。そのうえで俺が言いたいのは、「料理をするよりも薬を飲み続けてるほうがキツくないですか?」っていう話。どうにかして薬じゃない方法を見つけたいんですよね。

 

── でも、僕も本当にキツい時は体が動かせないくらい重く感じたりしましたよ。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:そういう「ドうつ」の時は寝てればいいんです。でも、ドうつの状態は1週間も10日も続かない。せいぜい3日。俺もずっと経験してきました。でもね、3日目には買い物くらいならできるんですよ。なのに、なぜかできない。やる気が起きないし面倒臭い。

 

── わかります。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:「いのっちの電話」にかけてくる子たちも「うつで何も食べてない」みたいなこと言うけど、コンビニに行ってパンとかを買って食べてるんですよ。昼間の外出はキツくても深夜には出歩いたりしてる。だから、体は動いてるんですよ。そこはメスを入れたいところですよね。それは俺も同じ。『cook』は自分のためでもあるんです。

 

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── 経験者として、うつ、あるいは躁うつって、人によって状態が違う気がするんです。精神科医が指標として使うDSM(アメリカ精神医学会が決めた精神疾患の診断基準)で明確に分類、診断できるほど一律でシンプルじゃないんじゃないかって。坂口さんは「うつ」ってどういう状態だと思いますか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:うつっていうのは「動けない」ことを言うんですよ。本当に動けない時、あれがうつ。それ以外はうつじゃないって思う。だから、今の俺は「うつ」はあっても「うつ病」というものはないんじゃないかっていう結論になってきています。

 

── 先にも話に上がりましたが、それぞれに違う性質を持った個々人に同じ枠組にハマることを強いる世の中の仕組みが、躁うつ的な疾患を引き起こしているっていう話にもなるのかもしれない。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:「うつ病」と言うより「うつ社会」ですよ。うつ病というのはなくて、それこそ「権力が人間の力を奪う」って言ってたドゥルーズじゃないけど、「うつだ。なにもできない」ってみんなが思わされている。だから、料理はもちろん、生活するっていう作業を自分の手に取り戻すことをしたほうがいいんだって、急に焦点が合い始めた。不思議なんですけれど。

 

「料理をしていると材料が語りかけてくる」「材料は友達」

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── 本の最後に料理そのものについての坂口さんの思考を、まとまった文章の形で載せていますね。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:最後にこのテキストを載せたのは、この本をつくる前に僕がベルグソン(フランスの哲学者)を読んでいるという、不思議なことがあって。

 

── ? ベルグソンを読んだことと『cook』との間にどういう関わりが? 

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:この本の巻末の原稿はベルグソンの文章を翻案したものなんです。元ネタは『意識と生命』っていう彼の本。それを「料理とは何か」というタイトルに変えただけ(笑)。

 

── 「料理をしていると材料が語りかけてくる」「材料は友達」というような、『キャプテン翼』みたいなことが書かれていますけれど、本当に語りかけてくるんですか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:俺がベルグソンを読み取るとそうだ、っていうことなんですよ。

 

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── そのあたりを、もう少しわかりやすくお願いします。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:ベルグソンが言っているのは、「人間は不確定なものである。しかし、動物と植物、あらゆる鉱物は不確定ではない」と。そういう世界の輪の中で僕らは生きている。つまり、動植物や鉱物は動かすことのできない世界の輪の外に飛び出ることはできないけれど、人間だけはそこから飛び出ることができる。

 

── ?? 人間だけがどうして外に出られるんでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:内側が何も決定していないから。「決定してない」っていうのが重要で、料理というのは「決定していない」ってことなんですよ。

 

── ??? ますますわからない。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:人間以外はただ食べ物をむしゃむしゃ食べるだけでしょう。ただの食事。でも、人間と食品の間には「cook」という概念がある。「cook」で食品を変形させるわけです。この、変形させるっていうのがすごい重要。なぜなら、変形させた後が確定していないから。料理って、確定していないものに対しての想像力なんです。

 

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── おお! なんとなくわかってきました。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:最初は全部ベルグソンを書き換えて出そうと思っていたんだけど、行き詰まった。そこでベルグソンから言われたのは「お前が不確定なんだから、お前がやりなさい」と(笑)。そこから書き直したのが『cook』なんだけど。

 

── ベルグソンが語りかけてきた(笑)。文章の冒頭に「※この原稿はとても元気な時に書いています。そのため突っ込みどころ満載な飛躍した文章がいたるところでくり広げられています。ファンタジーとしてお楽しみください」と注意書きが入っています。「歓喜」っていう言葉が何回も出てくるので、「ああ、坂口さんはアガっているな」と感じました。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:「歓喜」はまさにベルグソンの言葉なんです。でも、ベルグソンはアガってないのに書いてるから、そこは書いておかないと。歓喜というか喜び。カフカもプルーストも苦しかったけど、歓喜を感じていたわけで。

 

人生の「不確定」を磨き、楽しむために「cook」する

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── 「人間の営みは不確定」っていう話をされていましたけど、この不確定さこそが、人がうつ状態に苦しむ原因のひとつにもなってるんじゃないかと思うんです。その一方で、不確定であることは、ある意味、救いでもあるんじゃないかと思うのですが。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:問題はね、「先輩」がいなさ過ぎるんですよ世の中は不確定なものなんだけど、迷った時に「お前さ、それはこうすればいいんだよ」って教えてくれる先輩がいない。それでみんなビビってる。

 

── 「先輩」の不在が問題だと。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:そう。だから、先輩がひとりいればいい。中学の時とか、いたでしょう? ヤンキーでもガリ勉でもなくて、頭がいいにも関わらずシンナーなんかを調達してきちゃうような先輩。そういう人しか不確定なものを超えられない。結論として、この自分の「不確定さ」は磨かないとダメだなって。俺、かなり本格的な不確定野郎だと思いますよ。

 

── (笑)。なんにつけても明確な答えがない時代だからこそ、自分の不確定さを磨く。確かにそうだ。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:今はヤンキーかガリ勉だけに分かれて、両方それぞれが凝り固まっている。両方を行き来できる人じゃないといけないんです。

 

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── 自分の不確定さを磨いてうまく使っていくためにも、たとえば早寝早起きみたいな毎日の習慣、そういう生活の型って重要なのかもしれません。

 

f:id:hiro81p:20190321175721j:plain坂口:もちろんそう。それもベルグソンの言っていることです。「持続」って言います。そのうえで、俺はそれを自分の経験から得たんですよ。理論と経験、両方やってるんです。経験をして理論をやって、お互いを参照する。両方を生きなきゃならない。「cook」がまさにこれなんですよ。

 

精神科への通院が終わった

坂口さんへのインタビューは刺激的だった。20年以上続く躁うつの経験から坂口さんが得た知見と、その間に学んだ哲学や思想が話の随所に散りばめられていた。

 

坂口さんの話を1フレーズでまとめれば、「自分のメンタルコンディションは自分の手で取り戻そう」ということになるのかもしれない。そしてきっと、『cook』は料理本の体裁をした、そのための手引書だ。

 

最後に、読者のみなさんに報告したいことがある。

 

今年2月末のインタビューを記事をまとめていた4月半ば、「無事に精神科への通院を終了して、薬を飲む必要もなくなった」と、坂口さんから連絡を受けた。

 

無論、この記事は坂口さん個人の事例であり、誰もが同じ方法でうつや躁うつから寛解できることを意味するものではない。けれど、こういう形で回復した人がいることは僕にとっても支えになる。坂口さん、おめでとうございます。そして、お疲れさまでした。

 

プロフィール

坂口恭平(さかぐち・きょうへい)

1978年、熊本生まれ。2001年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。作家、建築家、音楽家、画家。2004年、路上生活者の住居の写真集『0円ハウス』を刊行。2008年、それを元に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』で文筆家となる。2011年、東日本大震災をきっかけに「新政府内閣総理大臣」となった経験を「独立国家のつくりかた」に著し大きな話題となる。2014年『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞、2016年『家族の哲学』で第57回熊日文学賞を受賞。その他の著書に『ゼロから始める都市型狩猟採取生活』『徘徊タクシー』『現実宿り』『けものになること』『建設現場』など。

 

撮影:熊谷直子KUMAGAI NAOKO photograpy

 

ドラゴン殺法・藤波辰爾選手が忘れられない「バトルロイヤルチャーハン」の味【レスラーめし】

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写真提供/株式会社カートプロモーション

 

今回登場するのは「炎の飛龍」藤波辰爾選手です。

「名勝負数え歌」「ドラゴン殺法」「飛龍革命」など、プロレス史に残る名場面をいくつも彩ってきたのはご存知のとおり。 

www.dradition.jp

アントニオ猪木に憧れて日本プロレス入団。

その後、猪木が立ち上げた新日本プロレスへ。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのWWWF王座奪取や、ドラゴン・スープレックスやドラゴンロケットなど、華麗な技の数々でたちまち“ドラゴンブーム”を引き起こします。

 

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写真提供/株式会社カートプロモーション

 

ヘビー級に転向してからは師・アントニオ猪木や長州力、UWF勢などの強烈な敵を相手に好勝負を繰り広げ、2015年には日本人ではアントニオ猪木に続き2人目となるWWEホール・オブ・フェームとして殿堂入りも果たしました。

現在も現役レスラーとして活躍中です。

 

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写真提供/株式会社カートプロモーション

 

戦後、力道山が創った日本プロレスを知る現役レスラーも少なくなりました。

大分の実家でテレビに映るアントニオ猪木を見てレスラーを志したという藤波選手。当時のプロレスラーというと、力士や柔道などの経験者がスカウトでプロレス入りするのが通例で、一般の素人が受ける入団テストなどはまったくありません。

藤波選手が入団するには、「直訴」しかありませんでした。

 

まわりは格闘技をやってたり、喧嘩が強かったり、そういうのばっかりだった

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f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:今は入門テストとか、いろいろとプロレス入団の方法があると思うけど、日本プロレスのころはスカウトがほとんどでね。「どこどこの学校に柔道の有段者がいる」とか「アマレスの強いのがいる」とか聞いて、そういう人に声をかけに行く。一見のファンが団体に入るなんて、まずなかったんですね。

 

──では、どうやって藤波選手は日本プロレス入りを果たしたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:同じ大分県出身の北沢さん(北沢幹之。魁勝司として活躍)が、怪我をしたのか別府温泉に療養に来ているらしいってのがファンの間で噂になったんですよ。だからもう、必死に探しに行きましたよ、温泉中を。それでようやく見つけて、日本プロレス入りを直訴して。そのまま巡業に連れて行ってくれてね。北沢さんにしたら、いい迷惑だったろうけど(笑)。

 

──それから上京して、新弟子生活がはじまったわけですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:そうですね。でも最初は見た目がね……まわりは普通に格闘技をやっていたり、喧嘩がメチャクチャ強かったりとか、そういうのばっかりで。みんな体がでかいですから。そんな中に、本当にただのプロレスファンと同じような感じだったからね。丸坊主で、制服を着て(笑)。

 

──新弟子はまず食事当番からやる感じだったのでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:寮に入って、まずは炊事当番を先輩に教えられました。困ったのが、田舎では薪でご飯炊いてたんだけど、当然こっちには薪なんかない。ご飯の量も1升炊きみたいなのだしね。先輩の見よう見まねで覚えていきましたね。

 

──やっぱり基本は鍋ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:そうです。料理は力道山先生の相撲の流れから来てるんで。あとは先輩から教えられて、卵焼きや煮物を作ってね。当時はお相撲さんあがりも多かったから、料理はみんなお手のものなんですよ。鍋料理だと、まな板なんて使わないんですよね。手のひらの上に材料をのせて、包丁で切って、野菜なんてそのままちぎって入れちゃう。

 

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──豪快ですね! 当時の藤波さんの得意料理は何だったんですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:得意料理とは言えないですけどね。だいたい僕のちゃんこ番の時は、湯豆腐をよく作ってましたね。作るのが一番簡単だから(笑)。豆腐と鶏肉、豚肉、あとは野菜を茹でて。

 

──新弟子になって体重は増えました?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:日本プロレスに入った当時の体重は60キロあるかないかだったけど、デビューの時はなんとか70キロぐらいまで増やしましたね。でも、最初は食べるのが苦痛だったね!
お腹いっぱいまで食べて、さらにそこからどれだけ食べられるか、だから。お相撲さんはそういう経験を踏んできてるけど、自分はそういう世界の経験がないので、とにかくプレッシャーがすごい。これはすごい世界に飛び込んでしまったな……と、めしで気づきましたね。

 

──プレッシャーとは、どんな感じだったのでしょう?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ぼくが中学を卒業するくらいで身長が177センチちょっとくらいだったんですけど、当時は馬場さん(ジャイアント馬場)が2メートル8センチ、坂口さん(坂口征二)が2メートルくらいでしょ?
みんなデカかったんですよ。そのなかにぼくがポツンといる感じでね。だから毎日、息を抜く時間がない。食事の時も、息が抜けないんですよ。めしが一番楽しみな時間なはずなのに、喉を通らない。本当はお腹が空いているはずなんだけど、食えないの。そんな時期がしばらく続いたね。

 

──精神的にもキツかったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:北沢さんがそれを見てたんでしょう、寮から近くの食堂まで連れ出してくれて。タダのめしがあるのに、食堂やレストランまで、わざわざご飯を食べに連れて行ってくれましたね。

 

──めちゃくちゃ優しいですね、北沢さん!

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:だからぼくは北沢さんがいなかったら、レスラーになってなかったと思います。

 

──北沢さんに連れて行ってもらった 食べ物で、思い出のものありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:カレーライスとビーフカツ、あとトンテキだね。いい洋食屋があってね、おいしかったなあ。あと大分の頃からカレーライスなんかは食べてはいたけど、味が全然違ったよね! 入ってる具も違うし。田舎と東京は違うなって思いましたよね。

 

グラン浜田の作った「鯉こく(こいこく)」の話

格闘技経験がないこともあり、他の新人選手に比べて遅れを取りつつも、入門から約1年半でプロレスデビューを果たした藤波選手。しかし、日本プロレスの上層部との確執から追放されたアントニオ猪木を追う形で藤波選手も退団。そして新日本プロレスを旗揚げします。

 

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──日本プロレスから飛び出した後、猪木さんを中心に新日本プロレスを旗揚げします。正直言って、最初の頃は経済的に大変だったんじゃないですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:大変でしたよ! たった6人で旗揚げしましたからね。猪木さん、山本小鉄さん、木戸修、北澤さん、柴田さん(柴田勝久)、それと僕ですからね。あとはレフリーでユセフ・トルコ
旗揚げした時は、みんなは家があったんで良かったですけど、僕は家がなかったんで、猪木さんの家に居候して。当時の家は、今は新日本の道場になってますけどね。猪木さんの庭を潰して、そこに道場を建てたんですよ。みんなで庭の石拾いから始めて作ったんです。

 

──そんな歴史があの道場にはあるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:お金がないところからのスタートだったけど、若いし、先々の金がないとか、そういう心配することはなかったね。あの頃は先を見るしかなかった。

 

──そんな新日本プロレス黎明期の食の思い出というと、何かありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:最初の頃のご飯の思い出というと、お弁当だね。道場がないころは、山本小鉄さんの奥さんが僕の弁当も作ってくれたんです。奥さん、たしか栄養士だから料理も上手くてね。おいしかったですよ。それから道場が出来てからは、選手たちだけで鍋とかもやるようになりましたね。

 

──ゴージャスだった日本プロレス時代に比べて、新日本の鍋はグレードは下がりました?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:そういうことはなかったですね。お金はなくても、ご飯はしっかり食べさせてくれましたよ。日本プロレスの時は確かに贅沢だった。でも、新日本プロレスに移ったからにはやらなきゃいけない! と思って燃えましたね。
当時猪木さんも28歳くらいで、イケイケの頃だから、気性も荒かったし(笑)。その後、全日本プロレスを旗揚げした馬場さんへのライバル心もあって「全日本プロレスには負けるな」って気分はありましたね。選手も少ないし、社員も二人ぐらいしかいなかったけど。

 

──憧れだった猪木さんのもと、将来への希望はあったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ただ、日本プロレスで「やっと毎月の給料がもらえるようになったかな?」って時に新日本プロレスに来たから、また給料がなくなったんですよ(笑)。

 

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──やっと下っ端から抜け出せると思ったら(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:なんとかご飯だけは食べられたんですけどね~。でも、危機感がないんだよね。飯さえ食えれば、あとは練習はできるし、巡業が始まれば先輩からお小遣いも貰えたし。つらいこともあったけど、「自分の好きなプロレスに向かってる」っていう気持ちは間違いなくありましたね。

 

──実際、新日本プロレスは成長していきましたしね。若手もどんどん入って。

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:アッ、ひとつ思い出した話があってね。グラン浜田がちゃんこ番だった時に、「鯉こく」を作ってくれたんですよ。普段、道場の料理で鯉なんてまず使わないから「おい、これはどこで買ったんだ」って話になったんです。

 

──確かにちょっと珍しいメニューですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:聞くと、彼は釣りが好きなんですけど、買い物の時間に野毛の釣り堀に行って、そこで釣ってきた鯉だって言うんですよ。そこがもう小さい釣り堀で、水質も悪くてドロドロの釣り堀なんですよ。「この鯉って、まさかあそこの鯉じゃないだろな」って言ったら、案の定で(笑)。

 

──そんな所で釣らなくても、支給されているちゃんこ代で魚なんて買えるのに!

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:それが、預かったちゃんこ銭でパチンコをやって、すってしまったみたいで。残ったお金で鯉を釣ってきたという(笑)。それはもう、小鉄さんにものすごく怒られてましたね。

 

猪木さんにテーブルマナーを教えてもらった

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──日本プロレス時代から憧れだった、猪木さんの付き人にもなりました。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:最初に北沢さんに巡業についていった時もね、その頃は北沢さんが猪木さんの付き人だったんですよ。だから「猪木さんの付き人の付き人」みたいになってね。猪木さんの鞄とかも持ってましたね。本当に緊張したなあ。

 

──猪木さんと食べたご飯で覚えているものってありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:巡業に行くと、わりと行動は一緒だったんですよね。試合が終わると、ほとんど後援者の方とご飯を食べに行ってね。だから、肉や魚はけっこういいもの食べられましたよ。あと、東京に戻ってからだと……やっぱり肉かな?
焼肉とかさ、寮でもやってましたからね。お相撲さん上がりが多いんで、みんな焼肉も味付けができるわけですよ。お肉を買ってきて切って、七輪と網で焼いて。猪木さんがバター焼きが好きでよく出たんだけど、おいしかったよね。

 

──猪木さんにおいしいお店に連れていってもらった思い出はありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:けっこう自分たちがマンションまで着替えを届けに行ったり、一緒にマッサージに行ったりする機会があったんですよ。そういう時に、ご飯を一緒に食べることがありましたね。その時は、しゃぶしゃぶに連れて行ってもらうことが多かったです。猪木さんのマンションのすぐ下にしゃぶしゃぶ屋さんがあってね、「こんなの見たことない」ってレベルの、すごい肉を食わせてもらいました。それ以外にも、当時としては珍しいものを食べる機会が多かったですね。

 

──珍しいもの、ですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:イタリアンとか、当時はまだあまり知られてない料理を食べに連れて行ってもらいましたね。おかげでテーブルマナーは猪木さんに教えてもらいましたね。どう食べていいのかわからないですから、こわごわとしてました(笑)。

 

──フォークだナイフだと、まだ日本だと珍しい時代でしょうね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:猪木さんってやっぱりお洒落なんですよ。着るものもお洒落だったし、ご飯どころもちょっと新しいお店に行くのが好き。レスラーとして、最先端でしたよね。みんながいかにもレスラーだって格好をしてる時も、ひとりスマートに背広を着てね。今もそうですけど、いいセンスしてました。

 

──当時猪木さんの奥さんだった、倍賞美子さんの手料理とか食べる機会はありました?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ありましたよ。猪木さんの家にうかがうと「ご飯食べたの?」って必ず聞かれるんですよ。「これから帰って食べます」て言うと「食べて行く?」って言っていただけるので。ご飯とみそ汁と煮物とお魚、それにサラダが多かったですね。おいしかったですね。緊張してゆっくり味わってる余裕はなかったけど(笑)。

 

師匠のカール・ゴッチから、日本の雑誌を没収された

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写真提供/株式会社カートプロモーション

 

藤波選手が一躍脚光を浴びたのが、20歳で海外遠征に旅立った後、ドイツ・アメリカ・メキシコとの転戦でした。

約3年8ヶ月の遠征の締めくくりとして、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWWWFジュニアヘビー級王座を奪取。フィニッシュ・ホールドであるドラゴン・スープレックスを引っさげて凱旋帰国、一躍新日本プロレスのトップ戦線に躍り出ました。

 

──海外遠征というと、皆さん食べ物に困らされるみたいですが、藤波選手は大丈夫でしたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ドイツに行ったらドイツ、アメリカはアメリカってその土地の料理をずっと食べることになりますけど、そういうもんだと思う方なので「絶対にご飯がなきゃダメ」みたいな気持ちはなかったですね。でも、おいしいあったかいご飯の夢は見ましたけどね。当時はまだ、日本食レストランみたいなところも全然なくて。

 

──最初の遠征先はドイツですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ドイツのめしはおいしかったですね。特にアイスバインて料理がおいしくってね。牛のすねの煮込み料理なんですけど、これがうまくて、よく注文してました。
ドイツは昼にあったかいもの食べて、夜は常温のものを食べるんですよ。試合をしてる時はホームステイみたいな感じで住んでたんですけど、夜はパンとソーセージとビール。とあんまりあったかい料理じゃないんですよね。せいぜいスープぐらいかな。夜はあったかい料理を食べたいなって思いましたよね。

 

──そしてアメリカではカール・ゴッチさんの家で修行されます。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ゴッチさんの家には半年近くいたんですが、本当にゴッチ夫妻とぼくだけなんですよ。ずっと奥さんの手料理なんですけど、当然ここでもずっとドイツ料理で(笑)。

 

──ゴッチさん、ドイツ人ですからね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:緊張しっぱなしでしたけどね、ドイツ風の煮物みたいな料理がおいしかったですよ。いつも朝6時に起こされて練習して、9時頃から食事が始まるんですよ。ただ、ゴッチさんが昔の人だから、マーチ(行進曲)が好きなんだよね。朝から行進曲をガンガンかけて、気合いを入れられる。

 

──あんまり音楽ジャンルで「行進曲が好き」って人いないですよね(笑)。しかも朝っぱらから!

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:めしを食べた後はゴッチさんは仕事をしてて、僕はその間は「この本でも読んでろ!」って言われて。それが普通のレスリングの解説本ではなくて、(レスリングの起源の)ギリシャのパンクラチオンみたいな殺し合い系の格闘技の解説が載っている古い本を読まされて。外国語なんでほとんど読めないから、絵ばっかり見てましたけど(笑)。

 

──さすが「プロレスの神様」らしいエピソードですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:当時楽しみだったのは、1ヵ月に1回くらい、日本から荷物が届くんですよ。その中に当時の『週刊プロレス』が入っていてね。それを読むのが唯一の楽しみだったのに、ゴッチさんが没収しちゃうんですよ。「こんなもん読む必要ない!」って(笑)。見せてくれないんだもん。

 

──せっかく日本語の雑誌を読めると思ったのに……。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:でもゴッチさんも優しいところがあって、「たまには日本食も食べたいだろう」ってご飯を炊いてくれたりするんですよ。たまにですけどね。ただ、それもギリシャの料理で「グリュックライス」ていうやつでね。ご飯とほうれん草とチキンを一緒に煮た、雑炊みたいなので。雑炊ほどはベチョベチョじゃないんだけど。

 

──ぜんぜん普通の白飯じゃないんですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ゴッチさんは「お前はライスが食べたいんだろう?」って、食べさせてくれたんでしょうけどね(笑)。あとゴッチさんで覚えてるのが、毎晩ワインを飲んでいたことですね。そんなにいいワインじゃないんだけど、いつもデカい瓶でね。1日1本くらい空けてました。でも、ゴッチさんとワインを飲みながら話す時間がよかったんですよね。

 

藤波選手から見た「熊本旅館破壊事件」の真実

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──藤波選手って、お酒は飲まれるんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:なきゃいけないってことはないんだけど、あれば飲みますってくらい。ただ、新弟子になってからは飲まされたよね! 試合が終わった後、食事したら先輩たちはもう終わりでしょ。その時間になってぼくはやっと食事が食べられるんですけど、もうベロベロになった先輩たちの酒の肴ですよ。「おつかれさん! よくやった! 駆けつけ三杯!」って。しかもどんぶりでね(笑)。

 

──若手はまずお酒で遊ばれちゃう。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:しこたま飲まされてね。それも、すきっ腹で飲まされるんですよ。それからじゃ、めしが食えないよね。しかも途中で「練習を見てやる」って言って、旅館の広間なのにもかかわらず、ドカンドカン畳で受け身を取らされたりしてね。あれはもう、一種の「かわいがり」ですよ。

 

──酒も入って腹も減ってるのに、投げられるのはキツすぎますね!

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:それも綺麗な受け身がとれるんだったら大丈夫なんだけど、自分も下手だから擦れるわけですよ。畳だからいろいろな所が擦りむけてね。デビューする前から両肘におでこ、あらゆる所が擦りむけて血だらけでした。だからある時、猪木さんに言われましたから。「お前、デビューもしてないのになんでそんなにケガしてんだ?」って。

 

──ちなみに、「練習を見てやる」って言ってくる先輩は誰でした?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:だいたいタチが悪かったのは中堅選手だね(苦笑)。今その先輩に会うと、気まずそうな顔をしてますよ(笑)。

 

──そして新日本プロレスでお酒というと、「熊本旅館破壊事件」。この事件についは、あちこちでうかがってきたんですが……。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:あれはねえ……あんなのはもう、1回きりですよ! あんなに酷かったのは(苦笑)。

  

──新日本とUWF勢の仲の悪さを察した猪木さんが、両軍を交えた飲み会を開いたら旅館一軒破壊するくらいの大騒ぎに……という話ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:いちど新日本から出ていったUWFを、新日本が吸収しようとしていたわけだから。選手たちの気持ちからすると、自分たちが立ち上げたものが崩れるのは、いい気がしないですよね。前田(前田日明)にしろ、いちばん血気盛んなころですよね。高田(高田延彦)なんかはもともと新日本に長くいた人間だし、わりとすぐに溶け込めたけど、前田は溶け込めなかったから。

 

──緊張関係は作られたものではなかったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:最初は猪木さんが「無礼講で、一緒にめし食って飲めばいいじゃないか」と言って集めて。でも、食事が終わったら猪木さんが「俺がいたんじゃ皆も気を使うだろう」って、坂口さんと出ていっちゃったんだよね。それで自分もいちど出ていったんですけど、どうも大広間がにぎやかなので顔を出してみたら……今思えば、顔を出さなきゃよかったんだけどね(笑)。

 

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──アハハハ! 阿鼻叫喚ですか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:もう全員が酒で出来上がってて、畳の上に一升瓶が転がってて。旅館の壁にボコボコ穴が空いてるんです。あとトイレのドアが、もともと引っ張って開けるものを、押したのかな? もう打ち抜かれちゃってるし。その旅館のトイレが2階にあったんですけど、もう水が詰まっちゃってて、滝のように水が階段を流れてる……すごい光景だったね(ため息)。もう、旅館の人も誰もいなかったもの。

 

──まあ、普通の旅館の人では止められないし、逃げるしかないですよね(笑)。あと、選手が裸で殴り合いしてたとか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:前田と武藤(武藤敬司)かな? 「UWFと新日本、どっちが強いんだ?」って、素手のノーガードで殴り合って、次の日に顔が腫れて、こんなん(大きな手振りで)なってましたからね。もちろん試合だって休みですよ、あんなんじゃ試合に出せないもん!

 

──前の試合じゃ普通の顔してたのに、何が起きたんだっていう(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:次の日に会場に行ったら、別の宿に泊まってた外人選手が前田と武藤の顔を見てみんなびっくりしてましたね。「前の試合そんなキツくなかったのに、どうしたんだ?」って。

 

──藤波さんは酒も入ってなかったし、止める立場ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:そうですね。自分がマジメだからっていうんじゃなくて、旅館の人たちの後のことがすごく心配になってね。普通、興行なんてできないですよ。でも次の日、坂口さんが現場責任者の小鉄さんとふたりで旅館の弁償についていろいろ話してたけど、次の会場では何もなかったかのように試合が始まってましたからね(笑)。

 

──藤波さんが一人で気を揉んでただけという(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:今それをやったら大変ですよ! ワイドショーに取り上げられて、会社だって潰れちゃいますね。それっきり、旅館のあった人吉市には行ってないですね。人吉は鬼門です(笑)。

 

普段からおいしすぎて、妻の料理の凄さがわからないんです 

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そして藤波選手と食の話というと、奥様の伽織夫人の話も外せません。

その料理の腕は著作を持つほどで、現在も「キッチンナビゲーター」として活躍中。また素材にこだわった味噌、ドレッシングなどのオリジナル商品を販売する「藤波家の食卓」は大型百貨店でイベントを開催しています。 

 

www.fujinami-ke.jp

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:彼女は料理がもともと好きだったんだね。小学生のころから炊事場に立って、お母さんが作ってた料理を見よう見まねで作ったりしてたみたいで。結婚してすぐ僕の体を考えたメニューを作ってくれるようになったたんですけど、それまで90キロあるかないかでなかなか太れなかったのが、すぐに体も出来上がりましたからね。

 

──奥様もプロレスラーのごはんなんて、初めてですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:それまでぼくは大皿料理みたいなのばっかりだったんですけど、結婚してからは一品一品、懐石料理やコース料理みたいに出してくれるんですよ。だから家内はぼくが食べ終わるくらいに食べ始める。味付けも、田舎に帰った時におふくろの料理を食べさせたら、すぐに料理の味付けとか合わせてくれて。

 

──奥様は食べただけでその味を再現できるほどの料理の腕前と聞いています。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:海外に試合で呼ばれた時は家内と一緒に行くんですけど、その国の田舎町とか行くと珍しい料理が出るんですよ。ぼくは「おいしいですね」くらいだけど、家内は味や作り方まで覚えて帰ってくるんですよ。

 

──奥様の手料理で印象的だったものはありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:なんでもおいしいんですけど、パンを焼いたり、パスタも手打ちで作ったりするし。あとは、キッシュとか。そういうのはあまり家庭じゃ作らないですよね? だから、うちに遊びに来たお客さんが「こういうのもご家庭で作るんだ」って驚かれますね。でも、ぼくは普段から食べてるから、その凄さがわからないんですよ(笑)。

 

──普通にどれもおいしすぎるんですね。羨ましいです!

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:家内のオリジナル料理で「バトルロイヤルチャーハン」ってのがあってね。選手がいっぱいでてくる「バトルロイヤル」って試合形式があるじゃないですか。あんな感じで、冷蔵庫にあるものをなんでもいっぱいチャーハンの具材として入れるんですよ。お漬物とか納豆とか、どんどん入れちゃう。テレビ番組でも紹介したんですけど、これがけっこうおいしいんですよね。

 

──冷蔵庫にあるものだけでバランスよく作れるのも奥様の腕ですね。藤波さんが今の年齢までプロレスが出来てるのも、奥様の料理のおかげかもしれません。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:それは間違いないですね! よく妻が夫の「胃袋を掴む」っていうけど、うちは典型的です(笑)。

 

──「藤波家の食卓」では、さまざまな食品をご夫婦のチョイスで発売されてます。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:ここではぼくは味見担当です(笑)。無責任に「あれとこれ一緒にやったら、この料理できないの?」って言ってますね。

 

──提案担当なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190404120633p:plain藤波:うちは食事の時間が長いんですよ。朝なんかは忙しいですけど、夜はだいたい平均で2時間くらい。試食も兼ねて、食べながらいろいろ提案してね。事務所にもキッチンあるんで、そこでも料理の話をしながら作って。そこでのアイデアが、また次のメニューに繋がるんですよ。

 

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写真提供/株式会社カートプロモーション

 

毎回さまざまな選手から話を聞くたびに「めしがレスラーを作る」ことに納得させられるこの連載ですが、今回の藤波選手の話では、奥さんの存在の大きさに気づかされました。

現在も現役でリングに上がっている藤波選手、ドラゴンの長命の秘訣は妻の手料理にあり! ですね。

 

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【老舗魚屋さん推奨】ひと味違う「あさりの味噌汁」を作るコツ【魚屋三代目】

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この時期のあさりって、身がふっくらプリプリで本当に美味しい! その旬のあさりを使って、定番ながらやっぱり食べたくなる「あさりの味噌汁」を作ってみましょう。チョイとしたコツも紹介します。砂抜き済みのあさりを使うのが便利ですよ。

たっぷり作ってあまったら、次の日に美味しくリメイクする方法も紹介しますね。

 

魚屋三代目の「あさりの味噌汁」

【材料】4人前

  • 殻付きあさり(砂抜き済み) 300~350g
  • 水 800ml
  • 日本酒 大さじ2
  • 味噌 大さじ3
  • 薬味ネギ 適量
  • 出汁昆布 5×5センチ

(スンドゥブチゲ用)

  • もやし(今回は豆もやし) 100g
  • 長ネギ 1/2本(斜め切り)
  • 絹ごし豆腐 1丁
  • ニンニクチューブ 5cm
  • しょうゆ 小さじ1
  • コチュジャン 大さじ2
  • ごま油 少々
  • 薬味ネギ 適量
  • 粉唐辛子(または一味唐辛子) お好みで

 

作り方

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1. まずは簡単に作る方法から。あさりの殻同士を優しくこすり合わせるように洗います。

あさりをこすり合わせて洗うのは、砂や汚れを落とすため。あさりの殻には凹凸があり、そこに砂や汚れが溜まりやすいんです。殻がひび割れしないよう、やさしくこすり合わせます。

 

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洗ったあさりを鍋に入れ、水、日本酒を加え、弱火であさりの口が開き始めるまで熱します。

日本酒を入れることで、酒蒸し同様にうま味を逃さず、身をやわらかく仕上げます。

 

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アクが出るのですくいましょう。

 

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2. アクをすくい終えたら火を止めます。味噌を溶かし再度火を点け、弱火で沸騰する直前に止めます。

 

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3. 器によそい、薬味ネギを散らします。

 

ちょっと丁寧な作り方。あさりを一旦取り出すともっとウマい

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1. 次はおすすめ、少し丁寧な作り方です。鍋に水と昆布を入れ、15分くらい置いて昆布が戻ったら、

 

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2. 洗ったあさり、日本酒を加えて弱火で熱し、

 

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3. あさりの口が開いたら昆布と一緒に取り出します。あさりを一旦取り出すのは、身が縮むのを防ぐため。

 

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4. アクをすくい取り、

 

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味噌を大さじ2溶かし入れたら、

 

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あさりを戻します。

 

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5. 再度火を点け、弱火で沸騰する直前に火を止めたら、残りの味噌(大さじ1)を溶かし入れ、器に盛り付け薬味ネギを散らします。味噌は風味を飛ばさないよう、2回に分けて仕上げに加えています。

 

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ひと手間かけるだけで、昆布の風味が加わるのはもちろん、あさりの身もよりふっくらしてひと味違いますよ! おすすめです。

 

多めに作って残ったら「スンドゥブチゲ」にリメイク

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残ったあさりの味噌汁は、翌日にちょっとアレンジするとこれまたウマい! 私のお気に入りは、韓国料理の「スンドゥブチゲ」。春が来てもまだまだ夜は冷えます……。体の中から温まるスンドゥブチゲはいかがでしょう。

 

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作り方、といっても材料を入れていくだけ。あさりの味噌汁を温めなおし、コチュジャンを溶かし入れ、

 

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しょうゆとニンニクを加えます。

 

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もやしと、

 

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長ネギを加えたらひと煮立ちさせ、

 

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スプーンで大きめにすくい取った豆腐を加え、コトコト煮たらごま油を入れ仕上げます。

 

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食べる時にお好みで粉唐辛子と薬味ネギを散らしてくださいね。

あさりのうま味たっぷりのスンドゥブチゲ、これはヤミツキになります! コチュジャンの代わりにキムチを入れもOK。豚肉を加えても、ご飯やうどんも投入したくなりますよ~。

 

球史に残る悲劇から8年──。最後のボビー・チルドレンが感じた「野球とBASEBALLの決定的な違い」とは

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今年もいよいよ開幕したプロ野球。各地で繰り広げられる連日連夜の手に汗握る熱戦に「球春到来」のよろこびを感じる、野球ファンも少なくないことだろう。

だが一方、ユニフォームを脱いだ「元プロ野球選手」にとっては、野球とは別のセカンドキャリアに足を踏みだす、新たな門出の季節。そこには試合とはひと味違うドラマがあるのも確かなのだ。

そこで今回は、そんな「元プロ野球選手」のひとりとして、大学院で修士号を取得した元千葉ロッテマリーンズ・伊藤義弘氏にインタビュー。2010年には日本シリーズの胴上げ投手にもなりながら、翌年に起きた“バット刺さり事故”で選手生命を大きく縮めた伊藤氏が思い描く「第2の人生」をうかがった。 

話す人:伊藤義弘(いとう・よしひろ)さん

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1982年6月2日、福岡県生まれ。右投げ右打ち。東福岡高では2年夏に控え投手として甲子園のマウンドを経験。國學院大を経て、JR東海に入社し、3年目の都市対抗では王子製紙の補強選手としてベスト8入りにも貢献した。07年の大学・社会人ドラフトで4巡目指名を受けて、千葉ロッテマリーンズに入団。即戦力として4年連続50試合登板を達成するなど、“YFK”が相次いで抜けた救援陣の一角を担う活躍をみせた。10年の日本シリーズでは胴上げ投手となるも、12年以降は怪我で低迷。16年オフに戦力外通告を受け、現役を退いた。現在は教員免許の取得を目指して日体大に在学中。

 

ボビーが教えてくれた「野球の楽しさ」

たとえ乱闘騒ぎになっても涼しい顔でインコースをビシビシ突く不敵な投球スタイルで数多のファンを魅了した中継ぎ右腕・伊藤義弘は、一昨年の春に入学した日体大の大学院で、学問としてのコーチング、スポーツ心理学を学んできた。
取り組んだ研究テーマは「プロ野球選手が求める監督像の差異」。修士論文を書くにあたっては、12球団の現役選手全員へのアンケートも敢行した。

 

伊藤:ひとくちに「プロ野球」と言っても、選手それぞれのポジションはもちろん、年齢や立場、所属するチームによっても取り巻く環境は大きく違う。高校を出たばかりの新人や、「1.5軍」と呼ばれるような、なかなか1軍に定着できない中堅どころ、現役最年長の福浦(和也)さんのようなベテランでは、指導者に求めるものもまったく変わってきますよね。
なので、そういう部分に着目して、「日本の最上位とされるNPBのなかでもこんなに違うんだよ」ってことを明らかにすれば、指導するうえでの大事なものも自ずと見えてくるんじゃないかな、と。もちろん、僕自身がプロで得た知見をアマチュアの世界に還元したいって気持ちもありましたしね。

プロ入り当初のロッテを率いたボビー・バレンタイン監督は、「エンジョイ・ベースボール」を掲げてメジャー流の価値観を日本のプロ野球に持ちこんだパイオニア。
それまでをずっと「日本式」で過ごしてきた伊藤にとっても、彼との出会いは衝撃的で新鮮なものだった。

 

伊藤:なんて言うか、「野球って楽しいんだな」って初めて思えたんですよね。僕らのような若手とも常にコミュニケーションを取ってくれる監督でしたし、仮に失敗したとしてもそれがチャレンジした結果であれば「またチャンスはあるぞ」と必ずポジティブな発言で返してくれる。
日本人の監督さんだと、個人名を挙げた選手批判みたいな記事がメディアに載ってしまうことも少なくないですけど、ボビーの場合はそういうこともほとんどなかったですからね。日本人の指導者もこういうふうにやったら、もっと野球やスポーツが楽しく感じられるのになっていう思いは、その当時からあったんです。

あらゆることに「俺が悪い」と応じる日本ハム・栗山英樹監督のような人物もいるにはいるが、それはまだまだ少数派。先頃、DeNA・筒香嘉智選手が子どもたちへの指導法に対して踏みこんだ発言をしたように、ことアマ球界では暴言や体罰がまかり通る上意下達の風潮がまだ根強い。

 

伊藤:とにかくボビーは「プレイヤーズファースト」。選手がいかにピークでパフォーマンスを発揮できるか、怪我をしないようにできるかを第一に考えてくれる監督でした。秋季練習で「投げない」ことを褒める監督なんて、日本人にはそういない。「シーズンは終わったんだから、まず身体を休めることが大事だろ。休んで回復したら、キャンプまでにトレーニングをしろ」っていうのが、彼にとっての当たり前だったんです。
ただまぁ、彼の言う「エンジョイ・ベースボール」を実践するためには、しっかりとしたコンディショニングが必須条件でもあったので、要求されるハードルはかなり高かったですよ。試合前夜に深酒をしたり、調整を怠ったりする選手には当然厳しかったですし、いたずらに甘やかすだけじゃない、規律もそこにはありましたから。

 

根深き日本スポーツ界の精神論

まず「楽しむ」。そのために「規律」がある。バレンタインの哲学は、シンプルで明快だった。「規律」を重んじるあまりに、いつのまにか本来あるべき「楽しさ」をかき消してしまう旧態依然とした日本の部活動、スポーツ教育とはまさに対極。
そこにこそ「根っこはある」と伊藤も言う。

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伊藤:これも僕自身、研究したことではあるんですけど、海外と日本ではそもそもスポーツの定義が違うんです。野球やサッカーといった海外のスポーツの多くが遊びの延長や祭事から発展したものであるのに対し、日本はもともと「武道」の国。野球がアメリカから入ってきたのが、ちょうど富国強兵の時期とも重なったことで、旧来の武士道精神の鍛錬と結びついてしまったんですね。だから「練習はしんどくないと意味がない」なんていう精神論がまかり通る。精神を鍛えることと野球が上達することは決してイコールじゃないんですけどね(笑)。

 

本場アメリカのスポーツ界にも、指導者による暴言や体罰のたぐいはもちろんある。だが、NCAA(全米大学体育協会)に代表される統括組織が、そういった指導者の資質をも常に厳しく監視する。
日本とは比べものにならないほどの報酬を得られる一方、ひとたび問題を起こせば、資格そのものを剥奪されることもあるのが、アメリカにおける“普通”でもあるわけだ。

 

伊藤:僕は高校が東福岡なんですけど、高校3年間の体育の教科担任が、当時着任したばかりだった藤田(雄一郎、現・ラグビー部監督)先生だったんです。体育の先生って、金八先生で言うところの竹刀をもって生活指導みたいなどこか「怖い」イメージだったんですけど、藤田先生はまったく違って。
その後、ラグビー部をあれだけの強豪へと育てあげられたことから考えても、あのとき感じた「楽しさ」とボビーの野球には、共通する部分があるはずだ、と。大学院で研究してきたテーマには、そういう僕のなかでの実体験も大きく影響してるんです。

 

悲劇が変えた選手としての運命

一方、プロ野球選手としての伊藤のキャリアは、果たしてどうだったのか。
運命を大きく変えることになったのが、2011年9月1日の日本ハム戦(@QVCマリン)。1年目から4年連続での50試合登板を達成し、防御率2.29と抜群の安定感を誇っていた伊藤を悲劇が襲う。試合中、打者の折れたバットがマウンドにいた伊藤の足に刺さるというイレギュラーな事故に見舞われたのだ。

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▲背番号「30」は渡米した“幕張の防波堤”小林雅英から引き継いだ

 

伊藤:折れたのは自分でもわかったんですけど、ヘッドがこっちに向いてたからセカンド方向に飛んでいくものだと錯覚して、目を切っちゃったんですよね。そしたら、自分のほうに飛んできて……。あの年は肩ヒジも全然痛くなかったし、僕のなかでは最高の状態で投げられていたシーズンでもあったんですけど、いま考えればやっぱりバットが刺さった影響は大きかったかな、と。
目標にしていた「5年連続50試合登板」の可能性がなくなるまでは、早く投げたい一心でめちゃくちゃ焦りもあったから、足首の可動範囲が戻りきるまえにゲームにも復帰して、そのせいで、腰、ヒジ、肩と痛めて、脇腹の肉離れまでやっちゃって。後半の5年間はほぼ、手術してはリハビリして、っていう毎日でしたね。

 

なかでも、伊藤を苦しめたのが故障が相次いだ時期に発症した仙腸関節炎。患部をかばいながら過ごしたことによって崩れた身体のバランスが、脊椎の根元で骨盤の骨をつなぐごくごく小さな関節に多大なる負荷をかけたのだ。

 

伊藤:一歩踏みだすごとに腰が痛んで2ヵ月ぐらいまともに歩けなかったんですよね。手術をする選択肢もあったけど、メスで開けてみないとどっちに転ぶかわからないレベルと言われてしまって。でも、そんなことで復帰がさらに遅れるのは嫌だったから、監督やコーチ、トレーナーから紹介してもらった治療院に片っ端から行ったんです。最終的には兵庫県の明石市にあるカイロプラクティックがハマって、そこから急激によくなりましたけど、あのときは治療のためだけに何百万(苦笑)。
投げられない、トレーニングもできないっていう状態からとにかく脱したくて、新しいアクションを起こすことに躍起になってたんですね。

 

怪我をして以降は、アスリートフードマイスターの資格を持つ妻のサポートが大きかった。プロスポーツ選手である以上、体調がどんな状態であっても食事は常に健康管理の柱となる。

 

伊藤:食事面で言うと、妻がかなり栄養面を考えてくれました。鶏のささみや免疫力を高める葉酸を多く含んでいるブロッコリーなんかは毎日食卓に並んでましたし、その都度いろいろ調べてサポートしてくれましたしね。

 

イチファンの立場からすると想像を絶する過酷な毎日。だが、伊藤の気持ちは折れなかった。
「投げられるようにさえなれば絶対にまた上に行ける──」。その揺るがぬ自信が、ともすれば悪循環へと陥りがちな日々のモチベーションとなっていた。

 

伊藤:人生にはいいときも悪いときもありますし、僕は物事はなんでもポジティブに考えるタイプなんで、いまはそういう時期なんだなって。当時は「試合単価でいったらもしかして涌井(秀章)より上なんじゃないか」ぐらいに考えてましたね(笑)。
そもそもプロは実力だけがモノを言う、すべてが自己責任の世界。世のなかのどこを探してもないそんなサバンナみたいな世界で、好きなことを仕事にしていたわけですから、落ちこんでる場合じゃないんです。なので、プロに入った瞬間からジャイアンツのテストで不合格って言われるまで、野球に対するモチベーションはいっさい下がらなかったです。向上心は常にある。ただ、体の痛みはどうしようもないってだけでね。

 

実はバスケがしたかった少年時代

ちなみに、いまでこそ学問の道にまで進む“野球人”の伊藤も、少年時代は「野球が好きではなかった」という。プロを意識したのも社会人になってから。ドラフト指名も社会人3年目と遅かった。

 

伊藤:僕は『スラムダンク』の愛読者でもあったから、とにかくバスケがしたかったんです。でも、通ってた小学校は1学年2クラスしかないのに、なぜかソフトボールチームが2つもある学校で、必然的にソフトボールをやることになって。
中学では「さぁ、バスケ部に入ろう」と思ったら、野球用具を一式そろえてた親から「だったら家を出ていけ、勘当する」と言い渡されて(笑)。で、「高校になったら今度こそは」と思っていたら、最後の中体連で自分のエラーで0-1で負けて、その悔しさもあって自分から野球をするって言ったんです。

 

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だが、入学した東福岡は、2学年上に村田修一(日大→横浜、巨人)や捕手の大野隆治(日大→ダイエー)、1学年上には田中賢介(日本ハム)らがいた黄金世代。初めて触れた高校野球のレベルの高さには、ただひたすらに圧倒された。

 

伊藤:同級生には負けてると思わなかったけど、先輩たちがスゴすぎて、最初に思ったのは「3年生になったときにこのレベルになれるのかな」でしたね。ただ、もともと負けず嫌いな性格なので「絶対エースになってやる」とは思ってて、結果的には肩を痛めはしましたけど、3年になったときには背番号「1」をもらいました。
その頃の僕はとにかく「負けたくない」一心で、野球を続けてて。ピッチャーをやりたいって思ったのも、甲子園の中継でいちばんテレビに映るからだし、野手は8人いるけど、ピッチャーはひとり。そのひとりになるために誰よりも練習をしたんです。そしたら大学に入る頃には、野球をするのが当たり前になっていて。その適性を見抜いてた親、スゴいなって心底思いましたよね(笑)。

 

國學院大を経て、JR東海に進んだ時点でもまだプロは念頭にはなかったが、曰く「想像していた環境と違った」ことで生来の負けず嫌いが顔をのぞかせ、一念発起。3年目にして王子製紙の補強選手として都市対抗でベスト8入りを果たし、ドラフト指名を勝ち取ることにも成功する──。

 

伊藤:2年目のときに予選でバンバン投げてたのに、本戦で投げさせてもらえなかったのが悔しくてね。カープのスカウトさんは最後まで「プロ志望届を出さないか」と言ってくれてたんですけど、それを「出しません」って断って。「都市対抗で投げてないのにプロに行くのは心残りになるから、来年ドラフトにかからなくてもいいからもう1年やります」って言ったんです。
プロで中継ぎ一本にしたのは、自分がプロで生きていく道は中継ぎだっていう意識があったから。シーンとした状態から試合を作るより、ある程度テンションが上がってる状態で出ていくほうが向いているって自覚があったんです。おそらく大学・社会人出身の選手は、そういう適性や培ってきた自分のスタイルに確信を持ってないと、多かれ少なかれ失敗します。高卒と違って、残された時間はそんなに多くないですから、助言のすべてを受け入れて惑わされてちゃダメなんです。

 

「野球ってそんなにスゴくない」

晴れて修士号を取得した伊藤は、残る教職課程の単位を履修するためこの春も変わらず日体大に通っている。バレンタインや藤田雄一郎といった名将との出会いを糧に、自身の理想とする指導法を現場レベルで実践するのが当面の夢だ。

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伊藤:この歳で大学院生になっていちばんよかったのは、「野球ってそんなにスゴくない」と知れたこと。お金は人より稼げるかもしれないけど、野球にそこまで興味がない大多数の人にとっては、イチローさんや大谷翔平選手レベルになって初めて「あぁ」となるぐらいの縁遠い世界。実際、体育大の学生でさえ「柳田悠岐? トリプルスリー?」となりますしね(笑)。スポーツ栄養学の授業なんかを聴講すると、現役時代に知っておきたかったと思うことも多いですけど、野球界から離れて、いかに自分の生きてきた世界が狭かったかを実感できただけでも、すごく大きかったと思ってます。

 

10年日本シリーズでの奇跡的な“下剋上”から、早8年半。
「胴上げ投手」伊藤義弘の第2の人生は、指導者として現場に立つそのときに向かって、着実にその歩みを進めている。

 

冷凍ごはん消費のバリエーションに。レンジで超ふわふわ食感の「たまご豆腐のおじや」の作り方【エダジュン】

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こんにちは、料理研究家のエダジュンです。

今回は、食べすぎ、飲みすぎの次の日、あっさりと食事を済ませたくなると私がよく食べている「たまご豆腐のおじや」のレシピです。使うのは、冷凍で発掘したカチカチのごはんと、コンビニの「たまご豆腐」。超ふわふわ食感で、電子レンジだけで手軽にできるところも◎。ぜひ作ってみてください!

 

エダジュンの「たまご豆腐のおじや」

【材料】(1~2人分)

  • 冷凍ごはん 150g
  • たまご豆腐 1個(約70g) 
  • たまご豆腐の付属のタレ 1袋(たまご豆腐が味付けの場合は入れなくてもOK) 
  • 水 1カップ(200ml)
  • 和風スープの素(顆粒) 小さじ1
  • 塩 少々
  • 小ねぎ(小口切り)、ごま油 各お好み量

 

作り方

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1. 耐熱ボウルに冷凍ごはん、水を入れて、

 

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ラップをしたら電子レンジ(600w)で3分ほど温める。

 

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2. 一度ごはんを混ぜて、

 

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和風スープの素、

 

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たまご豆腐の付属のタレ(たまご豆腐が味付けの場合は、タレは入れなくても大丈夫です)、

 

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塩、粗めにほぐした、たまご豆腐をのせて、軽く和えてラップをし、電子レンジで3分ほど温める。

 

3. 器に盛り、小ねぎとごま油を散らす。

 

簡単! ほっこり落ち着く味わい

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ほんのりダシの効いたたまご豆腐で、冷凍ごはんがふわふわに仕上がります。食欲がないときでもスルッと入りますよ。

最後、電子レンジから取り出した際に水っぽさが目立つようでしたら、様子を見ながらもう20秒くらいずつ温めてください。(ただし、時間が経つにつれてごはんが水分を吸っていくので、少し水分が残っているくらいがいい感じです)

 

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ちなみにこのおじや、私のおすすめの食べた方がカニカマ(分量外)追加!

 

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カニカマの身をほぐしながら食べると、風味豊かな海鮮おじやを食べているようで美味しいです。冷凍ごはんがあまった時や、胃が疲れ気味の時にもぜひ作ってみてください。

 

【和食のプロに教わる】みそ汁を劇的においしくさせるための基礎知識

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みそ汁、毎日飲んでいますか? 

どうしたら、おいしいみそ汁が作れるのでしょうか。

汁物がないとなんとなく食卓が寂しい気がして、一応作ってみるものの、いまいちおいしくなくて、具だけ食べて汁は飲み切れずに残してしまう……。

あらためてきちんとしたみそ汁作りを学ぶために、今回は和食の料理人である五十木剛人さんに、おいしいみそ汁の作り方を教えてもらうことにしました。

せっかく作ったみそ汁が、いつも余ってしまうと悩んでいる方に、ぜひこの記事を読んでいただきたいです。

 

和食のプロが自宅まで出張して料理しに来てくれる

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▲五十木剛人(いそぎ たけと)さん 

 

懐石料理店、割烹などで20年以上、和食の料理人としてのキャリアを積んだ後、現在は経験豊富なハウスキーパーと家事を依頼したい人が出会える家事代行マッチングサービス「タスカジ」にて、「出張料理人」として活躍中のお方。

五十木さんは、ここで利用者のレビュー4.92(2019年3月現在)という驚異の評価を持っています。

taskaji.jp

 

──さっそく、みそ汁の作り方を習いたいのですが、今回はいつもと同じ材料で、みそやだしパックは自宅にある近所のスーパーで買ったものを使っていただこうと思います。これでおいしくなりますかね……。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:なりますよ。十分です。ただ、だしを取るうえでの、簡単なコツがふたつあります。

 

──簡単なコツ! 待ってました。そこが一番知りたいところです。

 

まずは「基本のだし汁」について知ろう 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:ひとつは、市販のだしパックを、標準の1.5倍から2倍の量を使うこと。

 

──2倍! ちょっとビビる量ですね。いつもついケチってます。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:出張料理で呼ばれて行った先の家庭の人にもよく言われるんですが、おいしいみそ汁のために、そこは勢いよく使ってください。そしてふたつめのコツは、「昆布水」です。

 

──こ、昆布水とは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:水に2〜3時間、昆布を浸して作ります。1.5リットルのペットボトルに、乾燥した昆布を1~2枚くらい入れるだけで出来上がります。この昆布水と、だしパックのふたつがあれば、みそ汁がすごくおいしくなりますよ。

 

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【昆布水※・材料】

  • 水 1.5ℓ
  • 乾燥昆布 1~2枚

 ※1.5ℓの水に対し、乾燥昆布1~2枚を2~3時間浸け置いておく

 

──たったこれだけで?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:はい。ではさっそく「基本のだし汁」を作っていきましょう。このだしパックの場合は「1袋につき400mlのお水で」と表示されてますから、400mlの昆布水を入れた鍋に、だしパックを2つ入れてください。
強火で沸かして、沸騰したら弱火にします。煮出す時間は、だしパックに書いてある表示どおりの時間(分数)で大丈夫です。

 

──少ない量のだしパックで、長い時間煮出せば、同じ濃さのだしになったりとかは……?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:昆布水もそうなんですが、あまり長い時間、漬けっぱなしにするのはよくないんです。えぐみが出てくるので。なので、「量はケチらず、時間は標準」でやってください。

 

──なるほど。そこは潔く。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:はい。そしてこちらが基本のだし汁」です。

 

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 【基本のだし汁・材料】

  • 昆布水 400ml
  • だしパック 2つ(製品に表記してある目安量の1.5~2倍) 

 

 ──澄んだ黄金色が美しい! 湯気の匂いに癒されます。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:この「基本のだし汁」を準備したら、まず1杯目はけんちん汁を作りたいと思います。今日の材料は大根、人参、油揚げ、豆腐、こんにゃくで作りますが、牛蒡(ごぼう)が入ってもおいしいです。これらの材料をすべて1センチ角くらいのさいの目に切ってください。

 

けんちん汁の作り方 

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※注:写真のトレーの材料は、実際に今回のみそ汁に使用する分より多めです

 

【けんちん汁・材料】(2杯分)

  • 大根 2センチ程度
  • 人参 3センチ程度   
  • 油揚げ 1/4枚
  • 豆腐(絹ごし)1/4丁
  • こんにゃく 1/4枚
  • みそ 大さじ1~1.5程度
  • 基本のだし汁 400ml

 

──このサイズに切る理由って……?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:食べやすさですね。以前に出張料理で訪れたお宅でも、「野菜が細かいと、子どもが食べてくれる」って言われたんですよ。なのでお子さんが食べることも考えて、今日もこのサイズにしました。

 

──うちの息子(2歳)はみそ汁の野菜が苦手で、大根もこんにゃくも人参も油揚げも食べてくれないんですよ。これで食べてくれたら、完全に自信喪失します。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:サイズは重要らしいですよ。それと、野菜を細かくするもうひとつの利点としては、小さくすることで火の通りが均一になるので、早く出来上がることですね。

 

──そうなんですね。いつも豚汁なんかの具沢山のみそ汁を作る時って、全部違う大きさにしていましたが、確かに具材のサイズが揃っているほうが綺麗だしおいしそう。料理って見た目も大事ですよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:そうですね、大切です。それと、人参と大根は下茹でしておいてください。材料を水から茹でて、火が通ったら止めればOKです。だいたいこのサイズに切ると、沸騰したタイミングくらいで火が通っています。

 

──下茹で! みそ汁でしたことないんですが、下茹でをすると、なにかいいことがあるんでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:水分が抜けることで、味が染み込みやすくなるんです。やったのとやらないのとでは全然違うんですよ。煮物でもそうなので、根菜類はぜひ下茹でをしてみてください。

 

根菜類は下茹でしておく

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▲面倒だと思った下茹でですが、水から茹でて、沸騰したら火が通ってました

 

──あれ、意外とあっという間に火が通りますね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:そう、小さく切ってありますからね。

 

──なるほど。面倒であっても小さく切ることで結果として時短にもなるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:この下茹でのお湯を捨てる時に、ざるに乗せた油揚げの上からかけると、油抜きが出来て、もう一度お湯を沸かす手間が省けます。

 

──効率がいい!


f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:あとは基本のだし汁400mlに、これらの具材をすべて入れて、沸かし直して、みそを溶いてください。これで完成です。

 

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──えっ、早い! こんなに短時間で、野菜に味がいつ染み込むんですか? それに、いつもに比べてみその使用量も凄く少ないです。


f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:みその量は好みにもよると思うんですが、今回はみそは大さじ1杯ちょっとでしょうか。まぁ、そこの加減は味を見ながら整えてください。家庭ごとの好みがあると思うので。

 

いつもと全然違うみそ汁の味

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──とりあえず実食いたします……お、お、お、おいしい……! いつも使ってるみそとだしなのに、ぜんぜん違う。まろやかで甘い!

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:昆布だしのおかげですね。

 

──こんなに違うなんて衝撃です。野菜類もちゃんと味が染みてるし、それにあんなにちょっとしかみそを使ってないのに、ちゃんとしっかり味が濃い。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:だしが濃いと、みそが少なめでもおいしく飲めるんです。

 

──減塩にもなって健康にもいい。最高じゃないですか。毎日飲むものだからこそ、健康にも気を配って作りたいですし。


f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:みそ汁は、だしがいかに重要かっていうことです。次はしじみとじゃがいものみそ汁を作ります。じゃがいもはさっきと同じようにさいの目に切って、下茹でしておきます。しじみは生でもいいですが、いちど冷凍しておくとさらに貝のうまみが出やすくなっておいしく出来上がります。しじみの砂抜きは塩水じゃなくて、水でも大丈夫です。

 

しじみとじゃがいものみそ汁

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【しじみとじゃがいものみそ汁・材料】(2杯分)

  • しじみ 150g
  • じゃがいも 半分~1個   
  • みそ 小さじ2
  • 塩 ひとつまみ
  • 料理酒 大さじ2杯
  • 昆布水 150ml(しじみに火を通すため)
  • 基本のだし汁 250ml   

 

──しじみは汽水域に生息してるから、水でも砂抜きができるんですね。でも、しじみとじゃがいもの組み合わせって面白いですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:実はうちの妻が青森出身で。小川原湖っていうのが、全国有数のしじみの産地なんです。その周辺はジャガイモも多く育てているらしく、そのあたりでは定番の組み合わせらしいんですが、試しに作ってみたらおいしくて。それ以来、定番にしています。しじみの泥臭さとじゃがいもがすごく合う。

 

──しじみのみそ汁って汁はおいしいけど、具がちょっと寂しい感じなので、じゃがいもを入れるとボリュームが出ていいですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:じゃがいもはあんまり煮すぎると煮崩れてしまうので、水から入れて、いちど沸かして下茹で完了。ざるに空けておいてください。次に、鍋に昆布水150mlを入れて、そこにしじみを入れて沸かします。

 

──なぜ基本のだし汁ではなく、昆布水を使うんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:だし汁は、あまり長い時間、沸騰させているとだしの風味が飛んでしまうんです。なので、まずしじみに火を通すために、だし汁からでなく昆布水150mlを使うんです。

 

──まずしじみに火を通すんですね。火が通るとしじみが開きますよね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:そこに料理酒大さじ2杯を加えて、貝の臭みを消します。さらに、貝のうま味をしっかり味わって欲しいので、よりみそを少なめにするために、塩をひとつまみ。

 

──みそは少なめ、そのかわりに塩を入れるんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:そうです。これに、あらかじめ作っておいた基本のだし汁を250mlを加えて、沸騰直前まで温めたら、みそ(小さじ2)を溶いて完成です。

 

──しじみの風味を生かすんですね。


f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:塩を入れることで、みそが少なめでもおいしく飲めます。みそを入れた後も沸騰させちゃダメですよ。風味が飛んでしまうので、温め直す時はあくまでも弱火でお願いします。

 

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──わっ、おいしい! 自分が作ったしじみ汁と違う味がする。しじみの味がめちゃくちゃ引き立ってます。肝臓に染みる……!

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:だしのおかげですよ。

 

──だし、偉大すぎる!!!

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:料理は愛情っていうけど、やっぱり手をかければかけるほど、おいしくなるんですよね。

 

──五十木さんに出張料理で来ていただくと、こんなにおいしい料理を作っていただけるんですね……ちなみにおいくらで呼べるのでしょうか。また、みそ汁以外だと、どんなお料理を作っていだだけるんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:僕の場合は、1回のスポット利用で7,800円とプラス交通費で、3時間で、10品ほど作ります。料理はリクエストいただいてもいいですし、事前に献立を提案も出来ますし、家にあるもので作ってくれ、というパターンもあります。
その場合、例えばだしパックとか、そういった最低限必要なものは、事前に用意してもらうことになりますが。材料費はメニューによりますが、だいたい7〜8,000円くらいですね。

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▲左上からアレッタとベーコンの炒め物、若鶏の塩ダレ焼き温野菜添え、2列め左からほうれん草と人参の胡麻和え、壬生菜の浅漬け、ブロッコリーのペペロンチーノ、カレイの煮付け、3列め左から大根と豚肉の照り焼き、大阪しろ菜のナムル、ほうれん草の胡麻和え、小松菜と油揚げの煮浸し

──合計15,000円から20,000円くらいで、お願いできるんですね。どういう方のご利用が多いんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:子どもがまだ小さくて、外食ができない夫婦の方が多いですね。

 

──なるほど! 小さい子連れで外食って、店選びからしてすごい大変ですし、かといって、いつもファミレスばかりではなく、たまにはちゃんとおいしいものが食べたい。そういう時に、プロの料理人の作ったものが自宅で食べられるのは、ありがたいです。
誕生日とかに、夫がタスカジさんの出張料理をプレゼントしてくれたら、妻は大喜びじゃないでしょうか。当日においしいディナーが食べられるだけじゃなくて、しばらくご飯作りから解放されるわけですから。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:一人暮らしの男性のお客様とかもいらっしゃいますけどね。それこそ、1週間分の昼と夜の分を作って、保存容器に分けておいてくれ、とか。

 

──毎回自分で作るよりもずっとコスパが良さそうですね。ところで、出張料理でいつも作る定番料理ってなんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:だし巻き玉子は評判がよくて、よくやりますね。自分の卵焼き器を持っていってやります。あとは肉豆腐とか。基本的には作り置きで、日持ちする和食。あとは冷凍OKなものですね。鶏の照り焼きとか。牛肉のしぐれ煮とかね。煮物系が好きですね。煮魚とか。

 
──煮魚はおいしいですよね。自分で作ると難しいですけど。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:それは自分で作るのと、まったく違うって言われますね。お店の味だって。いちど呼んでいただくと、ありがたいことにリピートしてくださる方も多いです。

 

──プロの味が家で食べられる、っていうのは本当に魅力的だと思います。

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:では、最後のみそ汁に行きましょう。3杯目はあおさのみそ汁です。これはもう、すごく簡単です。基本のだし汁に葱を入れて、ひと煮立ち。みそを溶いたら、あおさを投入で。

 

あおさのみそ汁

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【あおさのみそ汁・材料】 (2杯分)

  • あおさ 適量
  • 長ネギ 4センチ   
  • みそ 大さじ1~1.5
  • 基本のだし汁 400ml 

 

──めっちゃ簡単! ですが、おいしい……これもおいしい! 同じだしとみそを使っているのに、まったく味が違う……。みそ汁の味に、こんなにバリエーションがあるんだって、すごい驚きです!

 

f:id:Meshi2_IB:20190403092036p:plain五十木:和食はだしが大切なんです。ぜひ、だしをケチらずに作ってみてください。

 

みそ汁ひとつとっても、プロの手にかかるとここまでおいしくなる、というのも衝撃でしたが、なんと、翌日、息子に五十木さんに作っていただいたけんちん汁を飲ませたところ、まさかの完食。

みそ汁に入った野菜が食べられないのではなく、わたしが作ったみそ汁の野菜が食べられないだけだったとは……。

 

  1. だしパックを標準の1.5倍から2倍の量を使う
  2. 昆布水を使う

 

皆さまも騙されたと思って、いちどこの「ふたつのコツ」を試してみてください。

塩分控えめなのに、うま味たっぷりの、最後まで飲み干せるみそ汁が作れちゃいますよ。

 

ある営業マンが年収トップクラスの会社をやめて、醤油の販売を始めた理由【職人醤油】

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日本各地の醤油を100mlの瓶に入れて売る「職人醤油」という店があるらしい

職人醤油」という名前を初めて聞いたのは、先月アボカド専門店「立呑 あぼ太郎」さんを取材していた時のこと。

www.hotpepper.jp

 

「ほぼマグロをクラフト醤油で」という名前のアボカド料理を頼んだら、一緒に小瓶に入った醤油が出てきたのです。

 

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統一された小瓶にそれぞれ違うラベルの、タイプが違う醤油です。

 

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あぼ太郎店主の佐藤さんによると、「全国のこだわりの醤油のなかから、アボカドに合う醤油を職人醤油さんという会社にお願いして選んでもらっています。社長さんが全国の蔵を回って、地元で愛されている醤油を100mlずつで売っているんですよ」とのこと。

 

そして、それぞれの料理に合う醤油を選んでいただいて試してみると、それぞれまったく違う味わいなのです。職人醤油の冊子を見ると、全国のたくさんの醤油がずらり。

 

醤油がこんなに全国で作られていたなんて!

そして、それを少しずつ売るってどういうこと?

 

気になって仕方がなくなってきたので、職人醤油まで行ってみることにしました。

 

群馬前橋市の職人醤油本店を訪ねてみました

職人醤油の直営店は、前橋本店と東京の松屋銀座店。

商品は全国各地の取扱店でも購入できます。

でも、ここはせっかくなので、前橋本店まで行ってみました。

 

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職人醤油前橋本店は、群馬前橋市、電車だと上毛電鉄・三俣駅が最寄り。

車だと関越自動車道・前橋インターを降りて10分ほど。

 

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店の外装もロゴもスタイリッシュ。ここからも醤油に対する思いが感じられます。

 

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酒粕、もあるようです。

 

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入り口は手で開けます。醤油の瓶のイラストがかわいい。 

 

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店内には例の醤油の小瓶がずらりと並んでいます。

 

年収トップクラスの会社をやめて、醤油の販売を始めた理由

職人醤油前橋本店がある、群馬前橋市は代表の高橋万太郎さんの出身地です。

 

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落ち着いた雰囲気の店内です。お子様連れのお客様もゆっくり選べるように、と絵本などが並べられたキッズコーナーも。

 

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代表の高橋万太郎さんは、1980年生まれ。群馬前橋市出身。

立命館大学卒業後、株式会社キーエンスで精密光学機器の営業に従事し2006年に退職後、株式会社伝統デザイン工房を設立。2008年5月に職人醤油をオープン。

 

以前に勤めていた会社である株式会社キーエンスは、大阪府に本社を置く精密光学機器の製造販売をしている会社です。営業力が大変高く、社員の給料が日本でトップクラスに高いことで知られています。

高橋さんはなぜ、そんな会社をやめて、醤油を販売する店を作ったのでしょうか?

 

──大学では何を専攻していらっしゃったのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:経済学部でした。

 

──学生時代から醤油には興味があったのでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いえ、多分普通です。他のいろいろな食材と同じで、特に意識はしていなかったです。

 

──会社をやめる時には、自分で会社を設立することは決めていたのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。伝統的なものでやりたいなと思っていました。独立して何かをやりたいと思っていたのですが、具体的にコレというものは見つかっていませんでした。

 

──独立して自分の道を歩みたいという気持ちだけがあったんですね。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。もやもやした気分になっている時に、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの卒業祝賀スピーチ(2005年6月12日、スタンフォード大学)に出会いました。
「自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら、探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です」この文章が最後のひと押しでした。

 

──学生時代から日本の伝統的なものに興味をお持ちだったのでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いえいえ、特に興味はなかったんです。自分に営業の力があるとして、「良いものを作っているのに、営業力が足りなくて困っている業界はどこだろう?」と考えた時に、伝統産業や地域産業に目が止まったんです。

 

──やめた後に新婚旅行で、車で日本全国を回ったそうですが、その時には醤油にターゲットを絞っていたのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150328j:plain高橋さん:その段階では特に絞らず、伝統産業全体を見ていた感じですね。陶器、漆器。たわし、仏壇など。最終的に300アイテムくらいのリストを作って、いろいろ回って、そこで絞り込んだんです。

 

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▲統一された100mlサイズの醤油の小瓶が並ぶ

 

──他に有力だった商品は、どういったものでしたか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:醸造関係が多かったと思います。お茶とか日本酒とか。

 

──そのなかで醤油に決めた理由はなんだったのでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:日本人に欠かせないものであって、なおかつ消費者の立場からすると「選んで買っていない存在」かなと思いましたので。面白いかなと思って。

 

──選んで買っていない、とは?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:ただ醤油が並んでいても、普通の人ってどれを買っていいかわからないと思うんです。自分もある程度勉強したはずなのに、百貨店の醤油売り場で壁一面並ぶ醤油から、どの醤油を買うべきか全くわかりませんでした。
では、自分ならどうしたいかを考えてみると、少しの量でいいから試食をしてみたいけど、1リットルの醤油を数本買うのはハードルが高すぎるわけです。では、小さいサイズにしよう。というわけで、100mlの瓶に入れて売ってみようということになりました。

 

「そちらで一番の看板商品を、そのまま小さくしてください」

この100mlの瓶をよく見てみると、不思議なことに気がつきます。

ラベルのどこにも「職人醤油」の表記がないのです。

店でこの醤油を見かけた消費者は同じ瓶が並んでいるので、当然同じメーカーのものだと思うと思うのですが、瓶の裏には蔵元が直接販売している商品と同じように、原材料名やメーカー名しかありません。

 

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▲瓶の規格は統一されていますが、ラベルのデザインはバラバラ

 

──ラベルに「職人醤油」の表記がないのはなぜでしょう?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:ラベルはいじりたくないという話をしています。蔵元さんには、「そちらで一番の看板商品を、そのまま小さくしてください」って言ってます。ラベルもそのまま小さくしてくれればいいよ、って言ってます。特にこちらではいじりたくないと思うので。そこで、かなり個性が出るんじゃないかなと思います。

 

──「100mlの小瓶でしか販売しない」というポリシーの理由は?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:気に入ったら大きいサイズのものを蔵元さんから直接買ってもらえればいいかなと思っています。自分が買い手の立場になっても、ネットでも探せますので、だからそこに関わるってことはしない方がいいのかな、と思います。

 

──蔵元さんの高年齢化もあり、直販や対応に慣れていない方が多く、そこで売りづらくなっている面もあると思うのですが、そこの部分のサポートはしてらっしゃいますか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:特にないです。それはそれぞれが自分でやらなくちゃいけないことだと思うので。それに、そこまで困っている人はいないような気がなんとなくします。今、ネットでモノを売るのは、それほどハードルは高くないと思うんです。

 

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▲醤油のタイプは、出汁入り、甘いものなどいろいろ。

 

──amazonなども利用できますし。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。そこら辺のことは蔵元さんが自分でしっかりやっていかなくちゃダメだと思いますし。もっと買ってくれる人、使ってくれる人との距離を縮めないといけないと思います。特に若い人はその中心になっていくべきだと思うし、僕が出て行く必要はないと思っています。

 

 ──お客様の層はどんな感じでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いろいろです。男性の方も女性の方もいて、年齢も若い方から上の方まで。30代~40代が一番多い気がしますね。あとは、食に興味がある人が多いような気がしますね。

 

──職人醤油で取り扱ったことによって、こんなに売り上げが上がったよ、といった声を蔵元さんから聞くことはありますか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:蔵元さんから、うちで購入したのがきっかけでお客様から連絡をもらったという話はききますね。それから真偽は定かではないですが、地方のコンビニチェーンとかで「地元の醤油を使って焼きおにぎり作ろう」みたいな企画が出た時、地元メーカーの醤油を探すためにうちのサイトを見ていただいている……そんなパターンが多いようです。そういった企画で声をかけてもらった時に、きっかけを訊いたら「ここ(職人醤油のホームページ)見たから」っていうのは多い気がしています。

 

置く場所によって「高い」とも「安い」とも言われる

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──100mlの値段が、主婦感覚からすると高めな気がしますが。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:実際高いですし、食品店などでは高いと言われます。一方で、うちは雑貨屋さんに置いてもらっているところが多いのですが、5本セットで2,000円のギフトセットなどにすると逆に安いって言われます。置く場所によって、反応が真逆だなと感じます。

 

──この100mlのパッケージングは職人醤油さんでやっているのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いえ、うちは特に何もしないんです。蔵元さんに充填とラベル貼るとこまでやってもらってます。

 

──意外です! この製品になった状態で仕入れるんですね。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。手で注いで詰めているところも多いです。小ロットなので、機械の設定を変えるよりも、手でやっちゃった方が速かったりします。それで、ラベルも手で貼ってたり。

 

──手間がかかるんですね。では蔵元さんが自社で売っている大きい容量のものよりも単価が高くなることもあるのでは?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:なかにはあります。蔵元さんによってはこれよりもっと大きいサイズでもっと安く売っているケースもあるので、価格と量が逆転しているケースもあります。ですので、こちらで試していただいて、気に入ったら蔵元で買ってくださいというスタンスですね。

 

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──「職人醤油」というネーミングの由来は?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:聞いてわかりやすいネーミングにしたいと思ってたんです。で、そういう感じでいろいろ紙に書きながら考えたんだと思います。もう10年以上前なのでちゃんと覚えてないんですけど。
名前をきいたら、何やっているのかって全体のことがわかるようなもので、できれば日本語の表記がいいなと思っていたので、キーワードを出して掛け合わせてできたと思います。

 

──「職人」の「醤油」。すごく中身がわかりやすいネーミングだと思いました。ご自分で職人になってみようと思ったことはありますか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そういうのはないですね。

 

──もともと、「職人と消費者をつなぐこと」に興味があったんですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。もの作り自体は、たぶん僕は、やり出したら好きだとは思うんですけど。でも、それより今のポジションの方が全体を見たときには力が発揮できるかなと思います。今の立ち位置が自分にも合ってますし、いいかなと思います。

 

約50の蔵元、約90種類の醤油

職人醤油の直営店である前橋本店と松屋銀座店には、職人醤油が取り扱っているすべての銘柄が揃っています。

 

──今こちらにある醤油は、何種類くらいなのでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:今取り扱っているのは、メーカーでいうと50社くらい、種類は90種類くらいです。

 

──これは常にアップデートされているのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。新しく回っているところもありますので。

 

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前橋本店には、蔵元さんが作っている醤油以外の商品もあります。

  

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鰹ではなく、鰯の削り節。

 

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米麹。

  

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麺つゆ、みりん、梅酒など。

 

「アポなし」で全国約400軒の醤油の蔵元を訪ねた

高橋さんは今までに日本全国の約400軒の醤油の蔵元を訪問してきました。そして、現在取り扱っているのは約50の蔵元の約90種類の醤油です。そのことについて印象的な蔵元さんのエピソードを含めてうかがってみました。

 

──取り扱う蔵元さんを決めるポイントはなんでしょう?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:僕は人で選んでいます。本当にいい作り手さんかどうかっていうところで。

 

──醤油にかける情熱とか、そういうものでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:それよりも、ちゃんと考えて、ちゃんと作っているかっていうことです。昔ながらの作り方が良いという人でも、「どうして昔ながらの製法が良いのか」という考えをきちんと持っているか。一方で新しいものを採り入れようという時でも、どういう理由があってそれを採り入れているか。そういう考えがしっかりしている人が、僕は信用できるなと思うし、基準にしています。話してみて、人柄を含めて考えがしっかりしている人ですね。

 

──醤油の作り手さんの後継者事情は厳しいのでは? 年配の方が多いのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:それはいろいろですけど、メーカーさんが減っているのは事実です。10年くらい前には1,600くらいあったんですよ。それが今では1,250くらいだと思うので。

 

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▲大久保醸造店(長野松本市)写真提供/職人醤油

 

──減ってきたとはいえ、思っていたよりたくさんあるんですね。醤油に適した気候は? 意外とどこでもできるのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。むしろ昔、自動車がない時代に液体を運ぶのって相当大変なことなんですよ。なので、必ずその土地に作り手がいるんです。醤油も味噌も日本酒も。そういうものって、人が担いで山を越えて何千里っていうのが無理なので。必ずその土地に合ったものがあります。

 

──自然や気候や原材料によって個性が出そうですね。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。でもどちらかといえば、気候よりもその土地の人の味覚の方が重要です。味の好みですね。まわりの人がおいしいっていうからそれを作るっていうのが自然な流れじゃないですか。寒い地域と暑い地域だと求められる味が違うので、それに伴って味が変わってきたんだと思います。

 

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▲大久保醸造店(長野松本市)写真提供/職人醤油

 

──印象的だった蔵元さんのエピソードを教えてください。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:門前払い系」といえば大久保(醸造店)さんですね。ホームページも持っていなくて、百貨店のバイヤーとかが来ても帰しちゃう。頑固というよりは、好き嫌いでしょうか。

 

──年配の方ですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね、もう70代くらいかな。お蕎麦業界とか老舗の料亭業界だとすごく有名です。みんなが使いたいと言うけど、なかなか売ってくれないみたいな、そういうところです。

  

──長野は蕎麦屋さんが多いので地元の老舗さんが使っているのでしょうか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうですね。あと東京の有名な料亭もかなり使ってます。そういう有名なところが使っているので、「扱いたい」と言っても、「いやいや」みたいな。ホームページを持っていないので、よくうちに間違い電話がかかってくるんですよ。「大久保醸造店」で調べるとうちのサイトが一番上に出てくるので。

 

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▲大久保醸造店(長野松本市)写真提供/職人醤油

 

──ここは、こういうところだとご存知の上でうかがったのですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いや、僕は基本、事前のアポイント無しのノーアポで回るんです。ただここは、雑誌に載っていたのでアポイントを取ろうと思って電話したら「いや~うちは売らないよ」って。そこで「まあお話だけでも」って押しかけて行って。
朝の10時くらいにお邪魔して、ず~っと話をして、出てきたのが夕方の6時でした(笑)。最終的に「ああ、いいよ」って感じになりました。

 

 ──10時から6時って……8時間も! どう言って説得したんですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いや、もうずっと話を聞いていただけです。話をずっと聞いていて、お昼どきになったら「じゃあ、蕎麦でも食いに行くか?」って近所の蕎麦屋さんに連れていってもらって。その後、「うち来るか?」って。大久保さんの趣味の館があるので、そこに行くと昔の蓄音機があるんです。レコードを手で回して聴く、戦前くらいの蓄音機で。そこでいろいろなレコードをずっと聴かせてもらって、話を聞いて……みたいな感じです。

 

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▲大久保醸造店(長野松本市)写真提供/職人醤油

 

──では、人として気に入っていただいた。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:ですかね。で、100mlの商品も作ってもらえることになりました。初回訪問で一番長くいた醤油屋さんです。

 

 ──最近の蔵元さんでは、どういったところがありますか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:まだ、カタログに載っていないのですが、鈴木醤油店。福島の蔵元です。鈴木さんもホームページを持ってないんですよ。なので「鈴木醤油店」で検索するとやはりうちのサイトが一番上に出てくるんです。で、これもお客様が間違えるんですよ。 

  

本当に「手作り」と呼ぶことができる蔵元

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▲鈴木醤油店(福島県岩瀬郡天栄村)写真提供/職人醤油

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:すごいちゃんとしてるんですよ。若いご夫婦がやっていて。特徴なのが、昔ながらの木桶と、これが、麹を作る麹蓋(こうじぶた)ってところなんです。麹作りをするところなんですが、この麹蓋って作り方で麹を作っている蔵元ってもう全国探しても10軒もない感じなんです。

 

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▲鈴木醤油店(福島県岩瀬郡天栄村)写真提供/職人醤油

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:この「室(むろ)」という部屋の中に積まれているのが麹蓋です。

 

 ──クラシックな製法?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:かなりクラシックです。

 

──若い方達があえてこのやり方で作っているんですね。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうなんです。ここには最初関西のテレビのロケで行ったんです。タレントさんが何かのマニアの人に密着をするというもので、僕が醤油の蔵元を訪ねるところに一緒に密着するという企画で。

 

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▲鈴木醤油店(福島県岩瀬郡天栄村)写真提供/職人醤油

 

──テレビの時は、一応アポを取ったんですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:いえ、本当にノーアポだったんです。ご主人の鈴木さんは職人醤油のことは知っててくれていて、「連絡したかったんですけど、連絡を躊躇してたら本当にアポなしでくるんですね」って驚いてました(笑)。で、ちょっとテレビもいるんですけど、取材いいですか?って。
ここはホームページもないので、まったく情報がない状態だったんですが、中を見せていただいたら、醤油の作り方がすごくてびっくりしたんです。

 

──この方々は、元々あったご実家の醤油蔵を継いだんですか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:そうです。醤油の世界で「手作り」というワードって、定義がしっかり決まっているんです。そのひとつで「麹蓋を使う」というのがあって。だから多くの蔵元は「手作り」って呼べないんです。ただ、ここは堂々と「手作り」と呼ぶことができるという作りをしているという意味でもすごく珍しいんですけど、さらに今まであまりにも知れ渡ってない、多分誰も知らないです、この蔵元さんのことは。

 

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▲鈴木醤油店(福島県岩瀬郡天栄村)写真提供/職人醤油

 

──では、まさに職人醤油さんが紹介をしなくては! という蔵元ですね。こういうところを紹介することに使命感みたいなものがあるのでは?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:う~ん、使命感ってほどじゃないですが、面白いですよね。そうそう。散々言ったんです、とりあえずホームページ作った方がいいよって。せめてドメインだけ取りなって言ったんですけど、なかなか。まあ、そういう人だからこそ、こういう手間のかかる昔ながらの作り方をするんじゃないかな。

 

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▲鈴木醤油店が経営するりんご園 写真提供/職人醤油

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:あと、りんご農家をやってらっしゃるんですよ、ここ。だから珍しいですよ。りんご作りながら、醤油も作るっていう。

 

店内ですべての醤油の試食ができる

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醤油に興味があるけど、何を選べばいいかわからない、そんな時はとにかく店に足を運んでみましょう。

前橋本店と松屋銀座店ではすべての銘柄が試食でき、好みや用途に合わせてアドバイスもしていただけます。

 

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醤油のタイプは大きく分けて6タイプ。

  1. 白醤油
  2. 淡口醤油
  3. 甘口醤油
  4. 濃口醤油
  5. 再仕込醤油
  6. 溜醤油

それぞれのタイプ別に、好みや用途に合うものを選んでいただいて、試食をして選べます。タイプ毎の特徴や合う料理もわかりやすく教えていただけます。

 

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試食は小さいスプーンでひと舐めずついただきます。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:っち(向かって左側)にいくほど見た目は薄くなってしょっぱいんです。こっち(右側)にいくと見た目が濃くなる。だから素材を味わいたい、素材を生かしたいときは左側、逆に味を足したいときは右側。

わかりやすくいうと、塩とか、レモンとかオリーブオイルとかかけたい感じのものには薄口(白醤油、淡口醤油)が、ソースをかけたい時には濃口(濃口〜溜醤油)で。

 

──濃口の醤油はソースがわりにも使えるんですね。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:よくお刺身にはどれって聞かれるんですけど、白身系だと塩レモンがいいと思うので左側。マグロ系なら右側ってイメージです。卵かけご飯でも、いい卵をもらったよってときは左側なんです、で、普通の卵をおいしく味わいたい時は右側で。

 

──いい卵はそれを生かして、普通の卵はコクを足す感じですね。

 

一般流通していないレアな醤油も

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こちらは大変レアな醤油、生揚(きあげ)醤油。

通常の醤油は製品化する時に熱処理をしてから瓶詰めをしますが、これは醤油を搾って熱処理をしていない、「生」の醤油。

商品として一般流通はしておらず、醤油メーカー間や加工品メーカーに対して販売されています。熱処理等をしていないので微生物が生きていて、そのまま瓶詰めをすると密閉空間で発酵がすすみキャップが飛んでしまいます。

 

生揚醤油は直営店のみでお好みのサイズで購入できます。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:生揚醤油は常温で置いておくと、どんどん発酵が進んでしまうので、冷蔵保存してください。醤油は熱処理、火を入れた段階で香りが立って完成するんです。ですので、この醤油はそのままだとあまり香りがありません。
生揚醤油のおすすめの使い方は、料理をする時に入れて、さっと火を通すんです。そうするとその瞬間に醤油が完成して、まさにできたての一番フレッシュな香りを味わえるんです。

 

──できたての醤油! 生揚醤油で焼きおにぎりをしたら、最高でしょうね。醤油の世界を知って良かったこと、料理の仕方が変わったりとかしましたか?

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:僕、料理をほとんどしないんですよ。ただ、醤油がおいしいと、なんでもおいしいですよ。単純なところですが。回転寿司とかでも、おいしい醤油を持っていくと全然違いますよ。おいしくなります。単純にそれです。

 

──『メシ通』読者に、職人醤油の魅力をアピールしてください。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:醤油って、使ってみないと絶対わからないものなので、まずは使っていただければ、すごく魅力をわかってもらえると思います。うちの商品はいろいろな醤油を試していただくのに良いと思います。
また職人醤油の商品は、結婚式用などのギフトラッピングもできます。お二人の地元の醤油を組み合わせてプチギフトにする、なんていうのもおすすめです。

 

──最後に、醤油という食材の魅力を教えてください。

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:とにかく使ってみてください。僕は醤油は日常にある食べ物のなかで一番、費用対効果が高い食品だと思っているんです。
例えばお肉とかお野菜とかで良いものを買おうとすると、1食あたりに換算して、数円とか数十円高いものを買ってもあまり差はないと思うんです。でも醤油って1食あたりでいうと、1円高い醤油を使うだけで劇的に変わると思うんです。すごく良い素材じゃなくても醤油がしっかりしてるとおいしくなります。そういった意味では費用対効果がすごく高い食品だと思います。

 

──なるほど、費用対効果の高い食材!

 

f:id:jurilin:20190328150335j:plain高橋さん:だから、ちょっと面白い、個性的な醤油を使っていただくのはありなんじゃないかなと思います。1本だと高いと思っても、これだけでこんなにおいしくなるんだったら、って納得していただけると思います。

 

知れば知るほど、奥の深そうな醤油の世界。

職人醤油さんが扱っている醤油のそれぞれの個性や、おすすめレシピなど、一度ではとても伝えきれないので、また別の機会にご紹介したいと思います。

乞うご期待!

 

お店情報

職人醤油 前橋本店

住所:群馬前橋市西片貝町5-4-8
電話番号:027-225-0012
営業時間:10:00〜18:00
定休日:月曜日

www.s-shoyu.com

 

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