僕もうつで会社を辞めました
メンタル不調に苦しむ友人、知人の話を立て続けに聞いた。端から見ればみな仕事がデキる、それぞれの業界でキラ星のような活躍をしている人たちだ。
実は、僕も10年前に、当時勤めていた会社をうつで辞めた。
その後、医師の診断は「双極性Ⅱ型」、いわゆるバイポーラーに変わった(よくあることらしい)。おかげさまで、今は仲間と仕事に恵まれて落ち着いている。10年という時間で失ったものもあるが、気づいたことや得たものも多い。
今回インタビューした坂口恭平さんを知ったこともそうだ。
坂口さんは、ひとつのカテゴリに収まらない活動をしている人だ。
路上生活者の住居をフィールドワークした写真集、『0円ハウス』(リトルモア・刊)でデビュー後、小説を書き、絵を描き、歌も歌う。
東日本大震災後には生まれ育った熊本で、生活に1円もかからないゼロセンターを開設したり、死にたい人のための相談電話、「いのっちの電話」を携帯ひとつで始めたりと、じつにさまざまな顔を持つ。
坂口さんは、躁うつ病であることを公表している。
自身の躁うつの日々を赤裸々に綴った『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院・刊)は、当事者が書いた異色の本として業界内外で話題になった。
そんな坂口さんの最新刊が『cook』(晶文社・刊)だ。
この本は、坂口さんの料理日記。
朝昼晩の1日3回、食事をつくる様子を写真と文章とイラストで綴った毎日の記録だ。調理を通してうつ状態が改善されていく過程と、その間の思考の変化が描かれている。
(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)
『cook』がつくられた経緯、料理とうつとの関係、食事をつくり記録し続けるなかで見えてきたことについて、坂口さんに話を聞いた。
注※)このインタビューはあくまでも坂口さん個人の事例であり、誰もが同じ方法でうつや躁うつから寛解できることを意味するものではありません(2019年4月23日編集部追記)
料理をすることで、うつから回復する
cook 坂口恭平 https://t.co/1T3CVOYYhP
— 坂口恭平 (@zhtsss) December 5, 2018
料理本ですが、手書きの文字集でもあるし、ドローイング集でもあるし、全部僕がiPhoneで撮影した写真集でもあるし、料理自体、絵だと思ってるので画集でも思ってます。多次元の本になってると思います。自分のノートをそのまま本にするの夢だったので。
── 『cook』ができるまでの経緯を教えてください。
坂口恭平(以下、坂口):書き始めたのは去年の夏。うつがキツくて、全然治らなくて、かなり苦しかった時期なんです。きっかけは、今書いている本の産みの苦しみからだったと思うんだけれど。
── そうなんですか。まったくわからなかった。料理は普段から?
坂口:うつが抜ける最後くらいの時期にはしてたんです。『cook』を書いた時もそろそろ抜ける予感はしていて。精神科医の神田橋條治さんが「手首から先を動かせ」って言ってたんですよね。それを経験で知っていたから「うつには料理がいいんじゃないか」って思って。
── 「手から先を動かす」が、うつに改善にいいという話は、僕も聞いたことがあります。
坂口:で、家の台所にはたいてい嫁さんがいるから、俺が入れる空間ではないんです。手伝いはしていたけれど、材料がどこにあるかとかがわからない。でも、一度「やってみる」といって料理を始めてみたんです。自分でやるようになったら、少しずつ自分の空間になってきて。そういう感じで『cook』は始まりました。
── 慣れない人が毎日料理を作るって面倒じゃありませんでした?
坂口:うつで寝てるからといって、何もしないのも嫌だなって思ったんで、なにかやろうと。「毎日の料理をつぶやいて、それが本1冊にでもなったら文句は言われないだろう」っていう(笑)。でも、とにかくきつかった。
元気のない時にはあえて手を抜く
(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)
──『cook』を読んで最初に思ったのは、料理本としてはすごく敷居が低くて内容もシンプルだということでした。1日目は「お米を炊こう」っていうところから入っているし、「元気のない時にはあえて手を抜く、無理をしない」というのも新しくて。こういうスタンスの料理本はあまり見たことがないです。
坂口:そうですね。たしかにサボってる。センスのいい人たちが作っているすべての料理本は、疲れるんですよね。
── レシピが適当で大雑把なところも、個人的に目から鱗でした。普通の料理本は食材や調味料の明確な分量を数字で載せるのが基本なのに、一切書かれていない。調味料の分量とかを厳密に計るのって結構なストレスだから、むしろ心地よかったんですよ。
坂口:正確な分量なんてないですよ。分量は自分で考えればいいんです。レシピ本にあるのはそれを書いた人の味つけだから、自分の体の調子に合わせて大体な感じでいいと思うんですよね。作詞家の竹花いち子さんが僕の料理の師匠なんですけれど、いっちんがそういう人だった。分量とかは絶対に教えない。「大体でいい」って。
(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)
── 本の中に書かれていた、「すぐ(料理の)コツをインターネットで調べるんじゃなく、まずは自分でやってみたら? あなた40歳でしょ? つまりもう4万回以上ごはんを食べてるんだから、きっとできるよ」という言葉。妙に説得力がありました。
坂口:そうなんですよ。料理が僕にそうささやいたんです。
料理をすると自分のコンディションがわかる
── 『cook』はおよそ30日間、坂口さんが1日3食作った料理の写真と内容、作り方、そして、調理のプロセスから気づいたことや考えたことがまとめられています。1ヵ月間、毎日3食つくり続けるなかで、なにか気づいたことはありますか?
坂口:元気がなくなると、料理に彩りがなくなってくるのが面白かった。うつになると無意識に色のある食材を使わなくなるから、料理がどんどん茶色になっていくんです。でも、元気がなくても料理に色味をつけることはできるから、彩りのある野菜を使って、わざと料理に色をつけていくと気分が変わる。そうすると、元気が出てくる。
── 料理が心身の状態を可視化してくれるわけですね。そのうえで、彩りを自分でコントロールすることで元気が出てくるっていうのは面白い。
坂口:本を最初から見ていくと、そのあたりの様子がはっきり写真に現れているから面白いですよ。茶色の料理が続いたら絵を描くように料理に色をつける。それで気分を変えてあげる。
── なるほど。これはうつ病患者だけでなくて、ちょっと落ち込んでいるくらいの人がやっても効き目がありそうだ。
「明日、なにを食べる?」を考えれば生き延びられる
── なかでも一番響いたのは「明日のメニューを考える」っていう内容でした。これは本当に大事だと思ったんです。
坂口:書きながら気づいたんです。俺、うつの時は本当に明日のことが考えられないんですよ。「いのっちの電話」に掛けてくる子たちみんなが、「明日が来なきゃいいのに」って言うんです。だから、うつになるとみんな布団から起きなくなる。
(写真:『cook』より転載 ©︎坂口恭平/晶文社)
── わかります。そういう時に、「あと1日だけ生き延びる」ための方便として、翌日の献立を考えておくというのは有効だなと。
坂口:明日のことをなにも考えられないのに、料理だけは「明日はなにを作ろうか?」って考えられたんですよ。『cook』をつくり始める前は「明日はまたキツイな」って思ってたけど、つくり始めてからは、明日の朝どうするかを考えられた。それで、料理をするためには買い物をしなきゃならない。買い物って、ちょっと未来をやってる感じでしょう?
── そう言われるとたしかにそうですね。
坂口:その頃の俺は「過去を後悔して、未来を思い悩む」ことばかりをやっていたんです。それって、「今」がどんどんなくなっていくことなんですよ。それを逆転したいっていうのがあった。だから、どうにか自分で生き抜くために『cook』を書いたんです。この本を書いたことで俺の視界もはっきりしたし、本としても起承転結の「転」が訪れたんだと思います。それが書き始めてから3日目くらいの出来事で。
── 「明日、なにを食べようか?」を考えるだけでもう1日生き延びられる。次の日も同じことを考えれば、もう1日だけ生き延びられる。そうやって点が線になれば死なない、っていう。これは「発見」じゃなくて「発明」かもしれませんね。
俺は躁うつ病じゃないのかもしれない
── 坂口さんは双極性I型でしょう?
坂口:I型じゃないと思いますよ。
── 実は、2012年のトークイベントで初めてお見かけしていて、その時のテンションの高さから「この人はI型だ」って感じたんです。
坂口:結論から言うと、今は、俺は躁うつ病じゃないって思ってるんです。俺は高校生の時には躁うつが出ていなかったんです。理由は多分、「日課」があったから。
── 生活習慣が安定していると気分も安定する、っていうことでしょうか?
坂口:自分に合った形の1日のスケジュールを持っているから、症状が出ないんですよ。つまり、躁うつが出る人は、今の自分のスケジュールが間違っている人なのかもしれない。実際に、『cook』を書き始めてから俺もそれで直ってきてるんですよ。なので、最終的に向かっているのは「そもそも躁うつ病ってなに?」になってきています。
── 躁うつは病気というより、生き方や生活の送り方が本来の自分のそれに合っていないことを表すシグナルだということでしょうか?
坂口:そう。でもまあ、医学的にどうこうということではなくて、あくまでも俺自身のことです。自分自身のことしかわからないですからね。
嫁さんは「この人死ぬかも」って思ってるみたい
── うつの時の坂口さんはどういう感じなんですか?
坂口:嫁さんはいつも「この人死ぬかも」と思って見ているみたいです。うつの時は、虚しさがすごいですよね。結構きますよ。誰も信じてくれないけれど。
── 自分が躁うつだと気づいたのはいつ頃?
坂口:高校の部活を辞めてからおかしくなったんですよ。それまでは全然出てなかった。辞めてから、ときおり虚しくなったり。元気な時もあったんだけど、学校の中だったからそんな無茶はしなかった。
── 毎日決まったカリキュラムをこなして、運動もして、学校が終われば自由。
坂口:それに、母ちゃんにご飯を食べさせてもらえてたわけでしょう。
── 病院で診察は受けていますか?
坂口:受けています。薬はデパケン400mg。飲みたい時に飲んで、飲みたくないときは飲まない。
── 『cook』をつくっている間はどうでした?
坂口:始める前はうつがキツくて、料理をつくる時以外は寝ていました。本をつくっている間は大丈夫だったけれど、その後、東京に来ていた時があまりにも酷すぎて。斎藤環さんの病院に行ったくらい。
── 『社会的ひきこもりー終わらない思春期』(PHP新書・刊)を書いた精神科医の斎藤環先生ですね。
坂口:「先生、俺、死ぬかも」って言ったら「死んだらまずいから今すぐ来てください」「ヤバいから抗鬱剤飲んでもらっていいですか?」って言われて。それで、1週間で治ったんですよ。地元の熊本に戻って主治医の先生に話したら「抗鬱剤は1週間くらいじゃ効かないから、それはプラシーボ効果だよ」って笑われた。
── 躁うつ病患者が抗鬱剤を飲むと躁転するって言いますよね。
坂口:斎藤先生もそれを狙ってたんだと思います。熊本に戻ってなんとなく大丈夫かもって思っていたら、次に書く本の題材が見つかった。今は『cook』で見つけたとにかく3食作るっていう日課と、原稿を毎日10枚書くっていう日課、それに散歩と運動を合わせてやっています。
── 安定しました?
坂口:それまではだいたい3ヵ月周期で躁とうつを行き来していたんだけれど、今はその気配もないです。高校生の時に戻った感じ。かわりに、誰よりもたくさん原稿を書いてるんですよ。受験勉強をするくらいの勢いで。高校生の時は誰よりも勉強していたんです。楽しかったから。
── それは躁状態だったのでは?
坂口:躁状態だったのかもしれないけど、なんの問題もなかったわけですよね。むしろ、勉強をすればするほど他人が喜ぶし自分も嬉しいっていう。多分、人間は自分のやっていることをそういうポイントに持っていかないとダメなんです。自分がやることが周囲から喜ばれる、感心されるっていうポイントまで持っていくのが大事。
── 先に話した、精神科医の神田橋條治先生も似たようなことを言っていたのをどこかで読んだ記憶があります。
坂口:神田橋さんには2回診てもらったことがあって、「君に薬は必要ない」って言われました。「飲みたいときにちゃちゃっと飲んで、飲みたくないときには飲まなないで、自分で調整すればいい」って。もちろん、俺は薬がもういらないとは思っていませんけど。
うつの時だって動いてるしメシも食う。だから……
── うつの一番ひどい時には身体を動かせないし、まともにものを考えられない。多少よくなってきても動くのは面倒だし、ただ悲しくて辛くて、外に出たり人に会おうなんて気にはなれませんよね。
坂口:「本当にうつの人は料理なんてできない。そんなこと言わないで」って言われることがあります。わかるんですよ、俺も。なにもやりたくないんです。そのうえで俺が言いたいのは、「料理をするよりも薬を飲み続けてるほうがキツくないですか?」っていう話。どうにかして薬じゃない方法を見つけたいんですよね。
── でも、僕も本当にキツい時は体が動かせないくらい重く感じたりしましたよ。
坂口:そういう「ドうつ」の時は寝てればいいんです。でも、ドうつの状態は1週間も10日も続かない。せいぜい3日。俺もずっと経験してきました。でもね、3日目には買い物くらいならできるんですよ。なのに、なぜかできない。やる気が起きないし面倒臭い。
── わかります。
坂口:「いのっちの電話」にかけてくる子たちも「うつで何も食べてない」みたいなこと言うけど、コンビニに行ってパンとかを買って食べてるんですよ。昼間の外出はキツくても深夜には出歩いたりしてる。だから、体は動いてるんですよ。そこはメスを入れたいところですよね。それは俺も同じ。『cook』は自分のためでもあるんです。
── 経験者として、うつ、あるいは躁うつって、人によって状態が違う気がするんです。精神科医が指標として使うDSM(アメリカ精神医学会が決めた精神疾患の診断基準)で明確に分類、診断できるほど一律でシンプルじゃないんじゃないかって。坂口さんは「うつ」ってどういう状態だと思いますか?
坂口:うつっていうのは「動けない」ことを言うんですよ。本当に動けない時、あれがうつ。それ以外はうつじゃないって思う。だから、今の俺は「うつ」はあっても「うつ病」というものはないんじゃないかっていう結論になってきています。
── 先にも話に上がりましたが、それぞれに違う性質を持った個々人に同じ枠組にハマることを強いる世の中の仕組みが、躁うつ的な疾患を引き起こしているっていう話にもなるのかもしれない。
坂口:「うつ病」と言うより「うつ社会」ですよ。うつ病というのはなくて、それこそ「権力が人間の力を奪う」って言ってたドゥルーズじゃないけど、「うつだ。なにもできない」ってみんなが思わされている。だから、料理はもちろん、生活するっていう作業を自分の手に取り戻すことをしたほうがいいんだって、急に焦点が合い始めた。不思議なんですけれど。
「料理をしていると材料が語りかけてくる」「材料は友達」
── 本の最後に料理そのものについての坂口さんの思考を、まとまった文章の形で載せていますね。
坂口:最後にこのテキストを載せたのは、この本をつくる前に僕がベルグソン(フランスの哲学者)を読んでいるという、不思議なことがあって。
── ? ベルグソンを読んだことと『cook』との間にどういう関わりが?
坂口:この本の巻末の原稿はベルグソンの文章を翻案したものなんです。元ネタは『意識と生命』っていう彼の本。それを「料理とは何か」というタイトルに変えただけ(笑)。
── 「料理をしていると材料が語りかけてくる」「材料は友達」というような、『キャプテン翼』みたいなことが書かれていますけれど、本当に語りかけてくるんですか?
坂口:俺がベルグソンを読み取るとそうだ、っていうことなんですよ。
── そのあたりを、もう少しわかりやすくお願いします。
坂口:ベルグソンが言っているのは、「人間は不確定なものである。しかし、動物と植物、あらゆる鉱物は不確定ではない」と。そういう世界の輪の中で僕らは生きている。つまり、動植物や鉱物は動かすことのできない世界の輪の外に飛び出ることはできないけれど、人間だけはそこから飛び出ることができる。
── ?? 人間だけがどうして外に出られるんでしょうか?
坂口:内側が何も決定していないから。「決定してない」っていうのが重要で、料理というのは「決定していない」ってことなんですよ。
── ??? ますますわからない。
坂口:人間以外はただ食べ物をむしゃむしゃ食べるだけでしょう。ただの食事。でも、人間と食品の間には「cook」という概念がある。「cook」で食品を変形させるわけです。この、変形させるっていうのがすごい重要。なぜなら、変形させた後が確定していないから。料理って、確定していないものに対しての想像力なんです。
── おお! なんとなくわかってきました。
坂口:最初は全部ベルグソンを書き換えて出そうと思っていたんだけど、行き詰まった。そこでベルグソンから言われたのは「お前が不確定なんだから、お前がやりなさい」と(笑)。そこから書き直したのが『cook』なんだけど。
── ベルグソンが語りかけてきた(笑)。文章の冒頭に「※この原稿はとても元気な時に書いています。そのため突っ込みどころ満載な飛躍した文章がいたるところでくり広げられています。ファンタジーとしてお楽しみください」と注意書きが入っています。「歓喜」っていう言葉が何回も出てくるので、「ああ、坂口さんはアガっているな」と感じました。
坂口:「歓喜」はまさにベルグソンの言葉なんです。でも、ベルグソンはアガってないのに書いてるから、そこは書いておかないと。歓喜というか喜び。カフカもプルーストも苦しかったけど、歓喜を感じていたわけで。
人生の「不確定」を磨き、楽しむために「cook」する
── 「人間の営みは不確定」っていう話をされていましたけど、この不確定さこそが、人がうつ状態に苦しむ原因のひとつにもなってるんじゃないかと思うんです。その一方で、不確定であることは、ある意味、救いでもあるんじゃないかと思うのですが。
坂口:問題はね、「先輩」がいなさ過ぎるんですよ。世の中は不確定なものなんだけど、迷った時に「お前さ、それはこうすればいいんだよ」って教えてくれる先輩がいない。それでみんなビビってる。
── 「先輩」の不在が問題だと。
坂口:そう。だから、先輩がひとりいればいい。中学の時とか、いたでしょう? ヤンキーでもガリ勉でもなくて、頭がいいにも関わらずシンナーなんかを調達してきちゃうような先輩。そういう人しか不確定なものを超えられない。結論として、この自分の「不確定さ」は磨かないとダメだなって。俺、かなり本格的な不確定野郎だと思いますよ。
── (笑)。なんにつけても明確な答えがない時代だからこそ、自分の不確定さを磨く。確かにそうだ。
坂口:今はヤンキーかガリ勉だけに分かれて、両方それぞれが凝り固まっている。両方を行き来できる人じゃないといけないんです。
── 自分の不確定さを磨いてうまく使っていくためにも、たとえば早寝早起きみたいな毎日の習慣、そういう生活の型って重要なのかもしれません。
坂口:もちろんそう。それもベルグソンの言っていることです。「持続」って言います。そのうえで、俺はそれを自分の経験から得たんですよ。理論と経験、両方やってるんです。経験をして理論をやって、お互いを参照する。両方を生きなきゃならない。「cook」がまさにこれなんですよ。
精神科への通院が終わった
坂口さんへのインタビューは刺激的だった。20年以上続く躁うつの経験から坂口さんが得た知見と、その間に学んだ哲学や思想が話の随所に散りばめられていた。
坂口さんの話を1フレーズでまとめれば、「自分のメンタルコンディションは自分の手で取り戻そう」ということになるのかもしれない。そしてきっと、『cook』は料理本の体裁をした、そのための手引書だ。
最後に、読者のみなさんに報告したいことがある。
今年2月末のインタビューを記事をまとめていた4月半ば、「無事に精神科への通院を終了して、薬を飲む必要もなくなった」と、坂口さんから連絡を受けた。
無論、この記事は坂口さん個人の事例であり、誰もが同じ方法でうつや躁うつから寛解できることを意味するものではない。けれど、こういう形で回復した人がいることは僕にとっても支えになる。坂口さん、おめでとうございます。そして、お疲れさまでした。
プロフィール
坂口恭平(さかぐち・きょうへい)
1978年、熊本生まれ。2001年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。作家、建築家、音楽家、画家。2004年、路上生活者の住居の写真集『0円ハウス』を刊行。2008年、それを元に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』で文筆家となる。2011年、東日本大震災をきっかけに「新政府内閣総理大臣」となった経験を「独立国家のつくりかた」に著し大きな話題となる。2014年『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞、2016年『家族の哲学』で第57回熊日文学賞を受賞。その他の著書に『ゼロから始める都市型狩猟採取生活』『徘徊タクシー』『現実宿り』『けものになること』『建設現場』など。
撮影:熊谷直子(KUMAGAI NAOKO photograpy)